はじめに
IBM Thinkは2026年10月1日、製造業やインフラ企業が「壊れてから直す」事後保全から抜け出せない理由と、その解決策を解説する記事を公開しました。IBMの製品担当者2人が、データの不備を理由に変革を先送りする組織に向けて、3段階のフレームワークと段階的なデータ整備の考え方を示しています。本稿では、その内容を整理します。
参考記事
- タイトル: Reactive maintenance costs manufacturers USD 119 billion a year. There’s a better way. Why aren’t they trying it?
- 著者: Mesh Flinders(Staff Writer, IBM Think)
- 発行元: IBM Think
- 発行日: 2026年10月1日
- URL: https://www.ibm.com/think/news/reactive-maintenance-costs-manufacturers-asset-management
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要点
- 多くの企業は設備の資産管理(運用・保守)をコストセンターとみなしており、その結果、壊れてから直す事後保全に頼り続けている
- NISTの分析では、事後保全に頼る製造業者は、予知保全を行う企業に比べて不良が16倍、停止時間が3倍だった
- IBMは、資産管理を価値の源泉として捉え直すため、「Frame(枠組みづくり)・Run(運用)・Refine(改善)」の3段階のフレームワークを提案している
- データが整っていないことを理由に待つのではなく、実践を始めながら必要なデータを段階的に整える方法を勧めている
- ロンドン交通局やアトランタ市の資産管理部門が、管理システムの統合によって業務を改善した事例が紹介されている
詳細解説
事後保全が生む見えにくいコスト
記事は、フォーチュン500企業の製造工場で働く保全技術者の姿から始まります。設備やインフラは数十年前に多数のベンダーによって作られたもので、故障が起きると、技術者は修理の前に、表計算ソフトやインデックスカード、あるいは自分の頭の中に記録された何年も前の保全履歴を参照しなければなりません。
非効率で時間もかかりますが、多くの設備投資の計画担当者(キャピタルプランナー)は、こうした慣行を刷新する取り組みへの投資に消極的です。記事はこれを、ますます高くつく「もぐらたたき」にたとえています。その背景には、資産管理(運用・保守、O&M)を価値を生むものではなくコストセンターとして定義する考え方があるとしています。
事後保全への過度な依存は多くの業界に影響しますが、特に電力・ガスなどの公益事業、交通インフラ、石油・ガスといった設備資産の多い業界で深刻です。修理費が増えるだけでなく、計画外の停止、安全上のリスク、環境への被害を招くことがあります。記事が紹介する主なデータは次のとおりです。
- ABBの最近の調査によれば、計画外の停止による産業企業の損失は、1時間あたり最低1万ドル、最大で50万ドルに達する
- 2020年のNIST(米国国立標準技術研究所)の分析では、事後保全に頼る製造業者は、予知保全を行う企業に比べて不良が16倍、停止時間が3倍だった
- 2024年のSiemensの報告書によれば、世界の上位500社の計画外停止による損失は年間約1.4兆ドルで、総売上高の11%に相当する
なお、記事の見出しでは、事後保全による製造業者の損失を年間1,190億ドルとしています。
IBMでサステナブルな施設・資産管理の製品を担当するVishal Rane氏は、長年、資産管理への見方を変えようとしてきました。同氏は、コストだけを見る組織は資産管理を事後対応に矮小化しがちで、その結果、成果は悪化すると指摘します。資産管理の国際規格ISO 55000は、資産のライフサイクル全体を通じた管理の重要性を強調しており、Rane氏も「壊れたら直すのではなく、構想と計画から調達、運用、実行、廃棄まで、資産に関わるすべてを考えるべきだ」と述べています。
日本の製造業では、TPM(全員参加の生産保全)や予防保全の考え方が早くから根づいてきた一方で、保全記録が紙や表計算ソフト、ベテランの経験に頼っている現場も少なくないと考えられます。本稿としては、記事の描く状況は国内の工場やインフラの現場にも当てはまる部分が多いと受け止めています。
「データが整っていない」という壁
IBMで資産投資計画の製品を担当するPhilippe Jetté氏は、交通インフラ、公益事業、石油・ガスの設備投資計画の担当者が集まる会議で頻繁に講演しています。より成熟した技術的な手法を取り入れない理由を尋ねると、返ってくる答えはたいてい「うちのデータは準備ができていない」だといいます。
Jetté氏によれば、こうした組織はゼロから始めるわけではありませんが、システムが分断され、データが汚れていたり欠けていたりし、データモデルの食い違いも抱えています。たとえば公益事業では、高圧送電線を支える鉄塔の多くに設置日が記録されていません。設置時期が分からなければ、資産の状態を評価するモデル(ヘルスモデル)は作れません。
Rane氏も、根本原因を分析すると99%は組織の未成熟が問題だと述べています。読み取れる保全情報がないまま総保有コスト(TCO)の算出を頼まれ、データを求めると読めないデータが渡されたこともあり、階層も分類もない100万行のExcelファイルを受け取ったこともあるといいます。
資産管理者は、構造化されていないデータや矛盾するデータモデルを抱えたまま、それを最新のCMMS(コンピューター化保全管理システム)に投入しても使える結果が得られず、結局は長年続けてきた事後保全に戻ってしまいます。Rane氏とJetté氏は、この行き詰まりから抜け出し、数百万ドル規模の節約につながる道があるとしつつ、そのためには資産管理者と設備投資の計画担当者がこれまで以上に密接に協力する必要があると述べています。
Frame・Run・Refineの3段階
設備投資の計画担当者が新しい資産管理の戦略への投資に消極的なのは、それが高価だからです。短期的には、問題が積み重なるとしても、壊れてから直す方が安く済みます。そこでJetté氏は、「資産のライフサイクル全体を通じて、いかに多くの価値を引き出すか」という問いから議論を始めるといいます。その答えとして示されるのが、保全の取り組みをコストではなく価値に向けるための3段階のフレームワークで、最新のAIソリューションに支えられ、各チームが担当業務を切り離された作業ではなく、統合された全体の一部として考えることを求めています。
第1段階の「Frame(枠組みづくり)」では、資産管理者と設備投資の計画担当者が協力して、自分たちの仕事を捉え直します。コストではなく全体の価値に目を向け、資産の停止時間、耐用年数、時間の経過に伴う想定性能など、価値に結びつく指標を詳しく見ます。IoTによって企業はかつてない量のデータを得られるようになっており、Jetté氏は、資産を仮想空間に再現して購入前に試せるデジタルツインの構築も勧めています。この段階では、どの資産を購入し、その健全性と重要度をどう測るかという具体的な計画をまとめることが理想とされています。
第2段階の「Run(運用)」では、その計画を実行します。新しい資産を購入して稼働させ、注意深く監視しながら性能の最適化を目指します。通常は、CMMSやEAM(企業資産管理)のソフトウェアを使って問題を見つけ、予防保全の作業を提案させます。ただし、長年事後保全を続けてきた組織にとって、この段階は難しいものになりえます。最新の状態監視ツールは停止に至る前に問題を見つけて解決できますが、専用センサーの設置、データ分析ソフトへの追加投資、それを運用する人員が必要で、短期的な視点の計画担当者にとってはこの費用が障害になります。
Jetté氏は、これを社内の「言葉」の問題だと捉えています。設備投資の計画担当者は金額やリスク、ポートフォリオのトレードオフで考え、技術者は故障モードや確率、重要度のスコアで考えます。両者は、安全上の責任、社会的コスト、環境面の罰則、保全費の削減といった事業上の成果の言葉で話す必要があるとし、「配電用変圧器1台の故障が総額140万ドルの影響をもたらすと全員が理解できれば、議論はリスクを減らすための投資へと移る」と述べています。
第3段階の「Refine(改善)」は、Runの段階を資産のライフサイクルの残りの期間へと延長する位置づけです。保全チームと資産投資の計画担当者は、導入した新しいツールと手法を使って、継続的に業務を改善し、コストを下げていきます。たとえば、CMMSを在庫管理を担う部門(一般にMRO:保守・修理・運用資材の管理)とつなげれば、CMMSに蓄積された資産ごとのデータや保全履歴を在庫戦略に生かし、必要なときに部品がそろうようにして、高くつく急な手配を減らせます。CMMSがデータを蓄積・分析していくと、資産がいつ、どのように故障しそうかを予測し、対策まで提案する予測分析も行えるようになります。
このモデルを適切に実行すれば、資産のライフサイクルの各段階への取り組み方を変えられると記事は述べています。たとえば、健全性と重要度の評価をもとに、どの資産を予防保全の対象にし、どの資産を故障するまで使う(事後保全のままにする)かを決め、その結果を性能の基準値として設定すれば、CMMSが異常を検知する際の拠り所になります。最新のEAM基盤は、こうしたライフサイクル全体にわたる統合的な実践のために作られており、取り込むデータが増えるほど効果が高まるとされています。
すべての資産を予防保全にするのではなく、重要度に応じて「壊れるまで使う」資産もあえて残すという判断は、限られた保全予算を配分するうえで現実的な考え方だと思います。本稿としては、技術者の言葉を経営の言葉に「翻訳」するというJetté氏の指摘が、このフレームワークの成否を左右する要素だと受け止めています。
完璧なデータを待たない
それでも、データの分断という問題は残ります。どれほど高度なツールでも、不正確なデータを与えられれば役に立ちません。重要な資産について、設置日、運転能力、基準となる性能値といった基本的な情報すら持っていない組織もあります。
Rane氏は、スマートビルの管理者が従業員の入館記録から在館状況を測ろうとする例を挙げています。入館時しか記録されず退館は記録されないため、1時間で帰った従業員も、センサーのデータ上は一日中在館していたことになってしまいます。
こうした場合、管理者には次の3つの選択肢があります。
- 何もせず、不十分な結果を受け入れ続ける
- すべてのデータ源を刷新し、完璧なデータがそろうのを待つ
- 問題を直しながら、新しいフレームワークの導入を始める
Jetté氏が勧めるのは、実践そのものに要件を導かせる方法です。こうした組織はつい待とうとするが、「あと2年間誤った判断を続けることにどれだけのコストがかかるかを考えるべきだ」と同氏は述べています。初日から完璧にはならなくても、日々少しずつ良くなっていくという考え方です。資産の健全性と重要度を冷静に評価するところから始めれば、決して実現しない全面的なデータ刷新を待つのではなく、すぐに価値を生み出せるとしています。
その例として紹介されているのが、ロンドン交通局(TfL)です。TfLは長年、ネットワークと委託業者のサービスを別々のシステムで管理していたため、ある部門が必要な部品を他の部門が持っていても分からず、別の部門の倉庫にある部品を新品で購入してしまうことがよくありました。そこでTfLは、既存の資産管理システムを見直し、統合できるところから統合しました。道路関連の契約から始め、技術設備、信号機、標識、監視カメラへと広げ、すべての保全業務を1つの基盤にまとめたことで、技術者は進行中の作業指示、在庫、資産の保全履歴を一元的に見られるようになりました。
Jetté氏によれば、この進め方は、最も高度なデータ成熟化の取り組みでも得られないもの、つまり設備投資の計画担当者が注目するに値する事業上の根拠(ビジネスケース)も生み出します。「ごく基本的なところから始め、プロセスに要件を導かせれば、たとえばこの資産の公称電圧のデータがもっと良ければ健全性の評価が格段に良くなる、といった改善点がすぐに見えてくる。そこが投資すべきところだ」と同氏は話しています。Rane氏は、ここでの適切なパートナーとは、ソリューションを売って去るのではなく、資産管理の成熟に向けた道のりをともに歩む存在だと述べています。
「データが整ってから」という発想は、AI活用全般でもよく聞かれる導入の障壁です。本稿としては、使いながら足りないデータを特定し、そこに投資するという順序は、製造業の現場でのAI研修の広がりと同様に、現場の人材とデータを並行して育てていく考え方として、規模を問わず参考になると考えています。
変化には時間がかかるが、始めるのは今
資産管理の世界では、変化はゆっくりとしか起きません。企業の資産のライフサイクルは数十年に及ぶこともあり、保全チームは、このフレームワークを可能にしたAI、機械学習、IoTセンサーが登場するはるか以前からの慣行に頼っていることが少なくありません。
Rane氏は、建設現場でのコンクリート打設のような基本的な場面でも、この問題を目にしてきました。ある公共工事でIoTセンサーの導入は認められたものの、それを実行できる技術者の手配は認められず、業者は仕様どおりにコンクリートを打設しても、センサーは何も取り付けませんでした。その結果、建物のCMMSで実行できる分析は限られてしまいました。同氏は、センサーをどこに配置するか、どのKPIを取得するか、どのしきい値で状態や重要度への対処が必要と判断するかを最初から考えるべきだったと述べています。そのうえで、データを活用するツールに慣れ親しんだ世代が、壊れてから直す時代にキャリアを過ごしてきた世代と入れ替わりつつあり、変化の時機が来ているとしています。
もう1つの事例は、市のすべての物理的な資産の保全を担うアトランタ市の企業資産管理局(DEAM)です。数年前、DEAMはEAMシステムを刷新する必要がありました。IBM Maximoの導入事例によれば、同局のRemy Saintil局長は、施設保全の根幹は顧客サービスにあり、たとえば消防署で生活する消防士は、屋根の雨漏りや空調の故障を気にせず、すぐに消火に出られる環境を必要としていると述べています。
DEAMは、新しい作業依頼を受け付け、消防士などの依頼者とリアルタイムにやり取りして解決できる仕組みを必要としていましたが、新しいシステムの立ち上げに必要なデータを集めることが壁になっていました。同局のTiffany Burden総務部長は、データの収集は大変な労力を要し、終わりのない継続的な作業であり、システムは入れた情報以上には良くならないと語っています。チームは2022年にデータの収集と整備を始め、新システムの稼働までにほぼ1年を要しましたが、稼働後は職員に統合された1つの基盤と包括的な監視・信頼性管理の機能がもたらされ、各部門が自ら保全作業の計画と予定を立て、作業指示を追跡し、在庫を管理できるようになりました。
記事は、情報をつなぎ、きれいに保ち、リアルタイムに監視する最新のデータツールへの投資が、資産の状態と修理の時期を正確に把握することにつながると述べています。設備投資の計画担当者が信頼できるAIによる評価がなければ、これまでそれなりに機能してきた直感や手法が、長期的にどれだけのコストを生んでいても、予算サイクルのたびに新しい手法を押しのけてしまうとしています。
Jetté氏とRane氏は、資産管理に携わる人々に「どうすれば支出を減らせるか」ではなく「どれだけの価値を見いだせるか」を問うよう求めています。Jetté氏は、多くの組織がいまだに表計算ソフトで設備投資計画を管理しており、利用できるツールの中で最善を尽くしてきたとしつつも、表計算ソフトは視野を狭め、資産のライフサイクル全体ではなく予算サイクルに合わせた最適化を強いると指摘します。その結果、「どう最適化するか」ではなく「どこを削れるか」という問いに陥りがちだといいます。
記事は、その問いに答えるツールはすでに存在するものの、恩恵を受けられるのは、資産管理をコストセンターではなく価値の源泉として捉え直す意思のある組織だけだと結んでいます。
本稿としては、記事がAIや予知保全の技術そのものよりも、組織の言葉、予算の考え方、データ整備の順序といった「人と組織の側の課題」に多くの紙幅を割いている点が特徴だと受け止めています。技術の導入よりも、それを使う組織の準備が成否を分けるという指摘は、設備保全に限らず、多くの企業のAI活用にも通じる論点だと考えています。
まとめ
IBMは、資産管理を価値の源泉として捉え直し、完璧なデータを待たずに実践しながら改善していく道筋を示しました。古いシステムと向き合う点では、エージェント型AIによる技術的負債の解消もあわせてご覧ください。
