はじめに
IBMは2026年2月24日、レガシーシステムの近代化(モダナイゼーション)において、決定論的データ解析とエージェンティックAIを組み合わせることで技術的負債を削減する取り組みを発表しました。本稿では、その手法の概要と実際の導入事例を中心に解説します。
参考記事
- タイトル: Reimagining brownfield application modernization: Combining deterministic data and agentic AI for technical debt reduction
- 著者: Vikas Ganoorkar, Anupama Padmanabhan, Gaby Choucrallah, Kevin Furet
- 発行元: IBM Think
- 発行日: 2026年2月24日
- URL: https://www.ibm.com/think/insights/reimagining-brownfield-application-modernization
要点
- 2025年時点で世界の技術的負債は修復に61億日相当の作業量に達しており、世界のコードの45%が「脆弱」と評価されている
- IBMの調査では、技術的負債をAI・モダナイゼーション計画に組み込んだ企業は、そうでない企業と比べて最大29%高いROIを見込めることが示されている
- 決定論的な静的コード解析ツール「CAST」を用いることで、モダナイゼーション対象のコードベースを約30%削減できる
- IBMはCASTによる構造解析とエージェンティックAIを組み合わせた「ハイブリッドモダナイゼーション」アーキテクチャを設計した
- ブラジルの大手銀行への適用事例では、アプリ1件あたりの移行工数が約90時間から56時間に削減された
詳細解説
技術的負債が経営課題になっている背景
技術的負債(Technical Debt)とは、短期的な判断や時代の変化によってシステムに蓄積された非効率なコード、設計上の問題、セキュリティ上の欠陥などの総称です。CASTの調査によれば、2025年時点で世界全体の技術的負債は修復に61億日相当の作業量に達しています。米国だけを見ても、コード1,000行あたり平均2.07日の修復作業が必要とされており、言語ごとに差があり、Pythonでは4.5日、Objective-C/C++では2.87日が必要とされています。
IBMのIBV(Institute for Business Value)の調査では、AI導入やモダナイゼーション計画において技術的負債のコストを適切に考慮した企業は、そうでない企業と比べて最大29%高いROIを見込めることが明らかになっています。一方、技術的負債を見過ごした場合、期待リターンの18〜29%が失われるリスクがあります。また、経営幹部の81%が技術的負債はすでにAI推進を制約していると認識しており、69%がデリバリーのタイムラインに15〜22%のコスト増をもたらし得ると回答しています。
このような状況でも、技術的負債の解消は別予算・別チームが必要とされることが多く、実際には後回しにされがちです。IBMはこの課題を「モダナイゼーションの一部として組み込む」という形で解決しようとしています。
レガシーコードに潜む3つの非効率パターン
IBMによれば、長年運用されてきたシステムには共通して3つの問題が生じやすいとされています。
1つ目はデッドコード(死んだコード)です。機能の廃止や置き換えに際して、対応するコードが削除されないまま残り続けるケースです。このコードは実際には実行されていないにもかかわらず、テストやセキュリティスキャン、モダナイゼーション作業の対象として処理され続け、無駄なコストを生じさせます。
2つ目は複数回の担当者交代による構造的な劣化です。長期にわたって開発チームが入れ替わると、コーディング規約や設計方針の一貫性が失われ、密結合で保守しにくいコードが蓄積されます。
3つ目は重複コードです。ドキュメントが不十分な場合、新しい担当者が既存の機能を再実装してしまうことがあり、同じロジックがシステム内に散在する状態が生まれます。
ソフトウェア開発の現場では、これらの問題は「技術的負債」として長年認識されてきましたが、体系的に可視化・定量化する手段が乏しかったことが根本的な課題でした。
決定論的解析で「モダナイズすべきコード」を絞り込む
IBMが提案する第一のアプローチは、CAST(キャスト)を用いた決定論的な静的解析です。決定論的とは、AIの推論に頼らず、ルールベースで確実にコードの構造を把握する手法を意味します。COBOLやJava、RPGといったレガシー言語のソースコードを抽象構文木(AST)などの機械可読な形式に変換し、依存関係、品質、セキュリティ上の問題を100%の精度で把握することが可能とされています。
IBMによれば、約100万行のレガシーコードを持つ典型的なシステムに対してこの解析を行うと、最初のイテレーションだけでモダナイゼーションの対象範囲を約30%削減できます。デッドコードや重複コードを除外し、実際にビジネス価値を生み出している約70%のコードに集中することで、コスト・期間・リスクを削減できるという考え方です。
このような「スコープの最適化」はモダナイゼーションプロジェクトの経済性に直接影響します。対象を絞り込む前と後では、作業量・予算・プロジェクトリスクが大幅に異なる可能性があると考えられます。
エージェンティックAIとの組み合わせで自動化を実現
IBMは決定論的な解析結果を基盤として、エージェンティックAI(Agentic AI)による自動化を組み合わせたハイブリッドアーキテクチャを設計しています。エージェンティックAIとは、人間の指示なしに自律的にタスクを判断・実行できるAIシステムの総称で、近年大規模言語モデルの発展とともに実用化が進んでいます。
このアーキテクチャは大きく2つの要素で構成されています。一方はCASTやIBM Code Transporter、IBMのモダナイゼーションブループリントといった「決定論的データ」の層です。もう一方は、MCP(Model Context Protocol)ベースのマルチエージェント連携、依存関係の競合やコンパイルエラーの自律修正、技術的負債のホットスポットの優先順位付けといった「エージェンティックAI自動化」の層です。
IBMはこの組み合わせを「クローズドループのモダナイゼーションエンジン」と表現しています。AIが構造解析の事実に基づいて動作するため、精度の高い自動化が実現できるという点が特徴です。
ブラジルの大手銀行への適用事例
IBM Consultingは、移行作業の遅延に課題を抱えていたブラジルの大手銀行に対して、このアプローチを適用しました。CASTによる決定論的解析でデッドコードや重複コードを早期に可視化し、モダナイゼーション対象を約30%削減しました。
IBM Code Transporterを活用して、Javaのバージョンアップやフレームワーク移行などの繰り返し発生する負債パターンを自動化するレシピを整備し、手作業による修正工数を大幅に削減しています。残る複雑な問題についてはエージェンティックAIが対処し、依存関係の競合やコンパイルエラーを自律的に解決しました。
IBMの内部データによれば、この取り組みの結果としてアプリケーション1件あたりの移行工数は約90時間から56時間に削減され、月間処理件数は40〜55件以上に増加したとされています。技術的負債の削減がモダナイゼーションの継続的な成果として組み込まれ、より安全で将来性の高いシステムが実現したとのことです。
まとめ
IBMが示したアプローチは、技術的負債の解消を別プロジェクトとして切り出すのではなく、モダナイゼーションの工程に組み込む点が特徴です。決定論的な静的解析で「何をモダナイズすべきか」を正確に把握し、エージェンティックAIで自動化するという組み合わせは、今後のシステム刷新プロジェクトの参考になる考え方だと思います。
