はじめに
MITニュース(Laboratory for Nuclear Science)が2026年3月11日に公開したインタビュー記事で、MIT物理学教授のJesse Thaler氏がAIと数理・物理科学(MPS)の相互発展に関する見解を語りました。本稿では、2025年に開催されたAI+MPSワークショップの提言と、MITが進める具体的な取り組みを紹介します。
参考記事
- タイトル: 3 Questions: On the future of AI and the mathematical and physical sciences
- 発行元: MIT News(Laboratory for Nuclear Science)
- 発行日: 2026年3月11日
- URL: https://news.mit.edu/2026/3-questions-future-of-ai-and-mathematical-physical-sciences-0311
要点
- 2025年にMITが開催したAI+MPSワークショップの成果がホワイトペーパーとして学術誌『Machine Learning: Science and Technology』に掲載された
- AIと科学の関係は「科学がAIを使う」だけでなく「科学がAIを改善する」双方向の取り組みであるべきとの合意が得られた
- 「サイエンス・オブ・AI」として、AIを駆動・触発・説明するという3つの方向性が示された
- AIと科学の両方に精通した「ケンタウロス科学者」の育成が重要な課題として浮上した
- MITはIAIFI、A3D3研究所、学際的な博士課程など複数の取り組みでこの方向性を既に実践している
詳細解説
ワークショップの背景と成果
2025年、MITは米国科学財団(NSF)の資金援助のもと、「AI+MPSの未来に関するワークショップ」を開催しました。天文学、化学、材料科学、数学、物理学という5つの科学コミュニティから第一線の研究者が集い、AIと数理・物理科学の今後を議論した場です。その成果は学術誌『Machine Learning: Science and Technology』にホワイトペーパーとして発表され、資金機関や大学、研究者に向けた提言がまとめられました。
このワークショップが開催された背景には、AIと科学の深い結びつきがあります。2024年のノーベル物理学賞・化学賞がいずれもAIの基礎的手法や応用に深く関わる研究者に授与されたことは、この繋がりを広く可視化した出来事と言えます。現代のAI技術は、数十年にわたる数理・物理科学の研究が生み出した問題設定、データセット、洞察を土台としており、両者の関係は一方的なものではないという認識が共有されています。
「双方向の道」としてのAIと科学
ワークショップで中心的なテーマとなったのは、AIと科学の関係を「双方向の道」として捉え直すという視点です。Thaler氏は「科学がAIをより良くすることもできる」と述べており、これを「サイエンス・オブ・AI(science of AI)」と呼んでいます。この概念は3つの方向性として整理されています。
第一は「科学がAIを駆動する(science driving AI)」で、科学的な推論がAIの基礎的アプローチに直接的な示唆を与えるものです。第二は「科学がAIを触発する(science inspiring AI)」で、科学が直面する課題が新しいアルゴリズムの開発を促進するという側面です。第三は「科学がAIを説明する(science explaining AI)」で、科学的なツールや思考法を使ってニューラルネットワークのような複雑なAIシステムの振る舞いを解明しようとするものです。
Thaler氏自身が研究する素粒子物理学の分野では、大型加速器実験が生み出す膨大なデータを処理するためのリアルタイムAIアルゴリズムが開発されています。こうした研究は物理学の新しい発見に直結するだけでなく、アルゴリズム自体が他の分野にも応用できる汎用的な価値を持つとされており、AIと科学の相互作用の具体例と言えます。
「ケンタウロス科学者」の育成
ワークショップ参加者が一致して強調したのが、AIと特定の科学分野の両方に精通した研究者の必要性です。これを「ケンタウロス科学者(centaur scientists)」と呼んでいます。人馬一体の姿をもつケンタウロスになぞらえた表現で、AIと科学の境界領域を自在に行き来できる学際的な専門家を指します。
このような人材を育てるためには、学部レベルの統合的なカリキュラムから、学際的な博士課程、そして複数の専門領域にまたがる教員採用まで、キャリアの各段階に応じた支援が欠かせないとされています。単に2つの分野を「知っている」だけでなく、双方の深い知識を組み合わせて新しい問いを立てられる人材の育成は、一般的な大学院教育の枠組みでは難しい課題と考えられます。
MITの具体的な取り組み
Thaler氏はNSF設立のIAIFI(人工知能・基礎的相互作用研究所)の所長も務めており、MIT・ハーバード大学・ノースイースタン大学・タフツ大学が連携するこの組織でAIと物理学の融合研究を推進しています。
研究面では、IAIFIとA3D3研究所(Accelerated AI Algorithms for Data-Driven Discovery)が学際的な研究拠点として機能しており、MIT生成AI影響コンソーシアム(MIT Generative AI Impact Consortium)も大学規模でのAI応用研究を支援しています。
人材育成面では、MITシュワルツマン・コンピューティング・カレッジの「コモン・グラウンド・フォー・コンピューティング・エデュケーション」プログラムが、学生がコンピューティングと専門分野の両方に精通する「バイリンガル」になることを支援しています。物理学・統計学・データサイエンスを組み合わせた学際的な博士課程も設けられており、MITの発表によれば物理学の博士課程学生の約10%がこのプログラムを選択しているとのことです。また、IAIFIフェローシップやタイェバティ・フェローシップなど、若手研究者が自由に学際的な研究に取り組める制度も整備されています。
さらに、2026年には初めてMITシュワルツマン・コンピューティング・カレッジと物理学科が共同で教員採用を実施することが発表されており、組織横断的な取り組みが具体的な形で進み始めていると言えます。
戦略的・体系的なアプローチの重要性
Thaler氏はワークショップを通じて明確になったこととして、「AIと科学で先導する機関は、場当たり的ではなく体系的に考える組織になる」と述べています。資源には限りがあるため、優先順位の設定が重要であり、採用・研究・教育を一貫した戦略のもとで調整することで何が可能になるかが、参加者の間で共有されました。
提言の柱として「研究(research)」「人材(talent)」「コミュニティ(community)」の3つが挙げられており、フォーカスの絞られたワークショップから大規模シンポジウムまで、多様な規模での学際的イベントの開催がコミュニティ形成に貢献するとされています。
まとめ
MITが主導したAI+MPSワークショップは、AIと数理・物理科学が互いを高め合う「双方向の橋」という視点を提示しました。学際人材の育成、組織横断的な研究体制、そして科学によるAI理解の深化という3つの軸は、AI開発の今後を考えるうえで参考になる枠組みだと思います。日本のAI・科学教育においても、類似した視点が議論されていくことが期待されます。
