はじめに
Anthropicは2026年9月17日、Claudeが創薬分野で使われる30以上のオープンソースモデルを高速化・省メモリ化した取り組みを公開しました。平均約4倍の高速化に加え、1つのGPUノードで巨大な生体分子系も扱えるようになったといいます。本稿ではその内容を解説します。
参考記事
- タイトル: How Claude is uplifting biomolecular modeling
- 著者: Anthropic
- 発行元: Anthropic
- 発行日: 2026年9月17日
- URL: https://www.anthropic.com/research/claude-uplifts-biomolecular-modeling
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要点
- Anthropicは2026年9月17日、Claudeが生体分子モデル30以上を4週間弱で最適化した取り組みを公開した。
- 構造予測・タンパク質設計モデルの推論速度を平均約4倍に高め、省メモリ化により扱える系のサイズも大幅に拡大した。
- カーネル最適化「FlashPairformer」は、三角注意機構で従来比2.7〜2.9倍、三角乗算で1.7〜3.2倍の高速化を達成した。
- 新規タンパク質バインダーの設計では、従来の約100分の1のGPU時間で同水準の性能を再現した。
- Adaptyv Bioと共同で、最大100万ドルのClaudeクレジットを提供するタンパク質設計コンペティションを開始した。
詳細解説
背景:AI創薬をより多くの研究者に届けるために
Anthropicは以前、Claudeがオープンソースのタンパク質設計・構造予測モデルを専門家レベルで組み合わせ、新規タンパク質バインダー(特定の標的分子に強く結合する小型の設計タンパク質)を設計できることを示していました。ただしこの実証では、AIインフラ基盤Modal上でターゲット1件あたり最大1万ドル、NVIDIA H100 GPUで約2,500時間相当のリソースをClaudeに使わせており、大半のタンパク質設計者が利用できる規模ではありませんでした。
こうした研究をより身近なものにするため、Anthropicは推論の最適化に着手し、初期成果としてClaude Mythos 5.1が7つのオープンソース生物学モデルを最大2.5倍高速化していました。Anthropicは研究者向けのAIワークベンチ「Claude Science」の提供も進めており、今回の最適化はそのなかで実施されたと説明されています。
構造予測モデルの高速化:FlashPairformerによるカーネル最適化
タンパク質構造予測は、アミノ酸配列だけからタンパク質の立体構造を決定する問題であり、タンパク質設計は特定の構造・機能・性質を持つタンパク質を新たに作り出す作業です。AlphaFold3やOpenFold3、Boltz-2といった最新の構造予測モデルは、計算時間とメモリの多くを「三角注意機構」と「三角乗算」という2つの演算に費やしています。これらはトークンの3つ組に作用する演算で、生体分子系の幾何構造をモデル化するために欠かせない一方、計算コストがシステムサイズの3乗に比例するため、サイズが2倍になると計算量は8倍、3倍になると27倍に増えるという課題がありました。
こうしたコストを下げる標準的な手法が、GPUなど高速化ハードウェア向けの低レベルなソフトウェア変換層である「カーネル」の実装です。三角注意機構と三角乗算については、NVIDIAのcuEquivarianceや、より新しいBioNeMo Inference Runtime(BioNeMo-IR)など、専用のカーネル開発がすでに進められてきました。
Anthropicは今回、Claudeとともに三角注意機構と三角乗算を高速化するカスタムカーネル群「FlashPairformer」を開発しました。モデルの構成にもよりますが、三角注意機構では従来の業界標準に対して平均2.7〜2.9倍、三角乗算では1.7〜3.2倍という新たな最高水準の性能を達成したとされています。汎用的なカーネルの開発に加えて、個々のモデルに対しても、重複計算のキャッシュ化や使われない分岐の定数化といった個別最適化をClaudeに担わせ、これらを組み合わせることで構造予測モデル全体を平均4倍高速化しました。各モデルについては、高速化後も構造予測などの下流タスクの性能が損なわれていないことも確認されています。
本稿としては、通常こうした最適化には経験豊富なエンジニアチームが1モデルあたり数週間を要し、しかもモデル間で成果を転用しにくいとされる点が重要だと考えています。今回は、生体分子モデリングの経験はあるものの推論最適化やカーネル開発の経験がないAnthropicの技術スタッフ2名の監督のもとで、Claudeが構造予測・タンパク質設計・タンパク質言語モデル・ゲノミクスにまたがる30以上のオープンソースモデルの高速化を4週間弱で完了させたとされています。
巨大な生体分子システムをモデル化する「Bigモード」
Anthropicは、構造予測・設計モデルの高速化に加えて、大規模な分子機械をモデル化する際のメモリ使用量の削減にもClaudeを取り組ませました。細胞内の仕事の多くは、タンパク質を合成するリボソームや、細胞にエネルギーを供給する呼吸鎖複合体、他のタンパク質の折りたたみを助けるシャペロンといった、数十の構成要素からなる巨大な分子機械によって担われています。これほど大規模な系の構造予測には、通常、複数のGPUノードにまたがる計算資源が必要で、大半の分子生物学者には手が届きませんでした。
Claudeは、1万トークンを超える系を精度良くモデル化し、7万トークンを超える系でも単一のNVIDIA GPUノード上での推論を成功させる、低メモリの「Big」モードを開発しました。このモードで構造が折りたたまれた分子機械には、ヒトのミトコンドリア複合体I、シャペロン複合体TRiC、プロテアソーム、細菌のリボソームが含まれ、いずれも実験的に決定された構造とよく一致していたとされています。複合体Iと70Sリボソームはそれぞれ1万トークンを超えており、AlphaFold3が精度良く予測した40Sリボソーム(7,663トークン)と比較しても、これまでで最大級の正確な構造予測例に位置づけられるといいます。
Anthropicはさらに限界を探るため、単一の8GPU B300ノードを使い、3万1,000〜7万トークンを超えるウイルスカプシドやタンパク質区画全体の構造予測もClaudeに試させました。これらはモデルの学習時の文脈サイズよりほぼ2桁大きく、予測は正確ではなかったとされていますが、本稿としては、この規模の推論に必要なハードウェアが単一のGPUノードにまで下がったこと自体が、今後より複雑な生体分子系の計算モデル化を可能にする土台になると考えられます。
コストを抑えたde novoタンパク質バインダー設計
以前の新規タンパク質バインダー設計では、サブエージェントの活用を促す約1万6,000語のプロンプトを与え、24時間の枠内でターゲット1件あたりModal上で最大1万ドル(H100 GPUで約2,500時間相当)を使わせていました。今回は、単一のClaudeモデルに1台のNVIDIA H200と24時間の実行時間、約1,100語のプロンプトと事前インストール済みツールの参照シートのみを与え、サブエージェントも人間による誘導もない状態で設計させました。
Mythos 5.1・Mythos 5・Opus 5の3つのClaudeモデルを、今回高速化した生体分子モデルとともに16件のターゲットに対して実行し、ウェットラボでの結合を予測するとされるin silicoスコア「ipSAE」で評価しました。その結果、3モデルいずれも、16ターゲット平均で見て、以前のMythos 5.1キャンペーンとほぼ同水準のipSAE値を、約100分の1のGPU時間で達成しました。GPUとトークンを合わせた費用は約150ドルに抑えられ、それでも以前のキャンペーンと同水準のin silico性能を再現できたとされています。
Adaptyv Bioとのタンパク質設計コンペティション
Anthropicは、これらの最適化がもたらす効果と、タンパク質設計全般に対するClaudeの効果を示すため、オープンなタンパク質設計コンペティションの先駆者であるAdaptyv Bioと共同でコンペティションを開始しました。種を超えた交差反応性、pH感受性、ペプチド-MHC特異性といった課題や、GPCRのような難しい標的を含む、現在の技術水準の最前線にある5つの課題を共同で選定しています。
コミュニティから寄せられる5,000件超の設計をウェットラボで実際に検証する計画で、提供元と内容は次の通りです。
- Anthropic: 参加研究者向けに最大100万ドルのClaudeクレジットと、実験検証のための追加費用
- Modal: 最大25万ドルのコンピュートクレジット
- Twist Bioscience: コンペティション用のDNA
あわせて、生命科学分野の研究者にフロンティアAIの能力を提供する「Life Sciences Verification Program」についても、最初の参加組織群の登録を終え、公開ベータとして開放したことが明らかにされています。
まとめ
本稿では、Claudeが生体分子モデルを高速化・省メモリ化した取り組みと、Adaptyv Bioとのタンパク質設計コンペティションを紹介しました。カーネル最適化と大規模系への対応により、これまで大規模な計算資源を持つ研究チームに限られていた解析が、より広い研究者層に開かれつつあります。生命科学分野におけるClaudeの活用は今後も広がっていくと考えられます。
