はじめに
IBM Thinkが2026年4月6日に公開したインタビューを基に、詩人サーシャ・スタイルズ氏のAIとの創作実践を紹介します。スタイルズ氏は2018年からAIに自身の詩風を学習させ、MoMAでのインスタレーション作品「A Living Poem」を発表。AIを単なる効率化ツールとしてではなく、言語という人類最古の情報技術の延長として位置づける視点が注目されています。
参考記事
- タイトル: Before the algorithm, there was the sonnet
- 著者: Sascha Brodsky
- 発行元: IBM Think
- 発行日: 2026年4月6日
- URL: https://www.ibm.com/think/news/before-algorithm-sonnet-sasha-stiles
要点
- 詩人サーシャ・スタイルズは2018年からGPTベースのシステム「Technelegy」を自身の詩でファインチューニングし、AIを「prosthetic imagination(補装器官的な想像力)」と呼ぶ創作ツールとして活用している
- MoMAで公開されたインスタレーション「A Living Poem」は60分ごとに詩が完全に書き換えられる仕組みで、2026年4月からドイツのZKMメディアアートセンターでも展示が始まる
- スタイルズは大規模言語モデルを「人類が数千年かけて積み上げた物語・記憶・観察を圧縮し、初めてナビゲート可能にしたもの」と定義している
- AIの価値を業務効率化に限定せず、言語を通じた人間同士の深い相互理解を可能にする技術として捉えている
詳細解説
詩人とAIの出会い:必然としての技術
サーシャ・スタイルズ氏は、科学ドキュメンタリー制作の環境で育ちました。IBM Thinkの記事によれば、父はカール・セーガンのPBS番組『コスモス』のプロデューサーであり、幼少期からNASAのジェット推進研究所や惑星協会の場に親しんでいたといいます。SF作家アーサー・C・クラークやフィリップ・K・ディック、ル=グィン、オクタヴィア・バトラーを読む傍ら、技術哲学者レイ・カーツワイルやニック・ボストロムの著作も文学と同じ文脈で追い続けていたと語っています。
転換点となったのは2017年でした。「Attention Is All You Need」と題されたCornell大学発の研究論文が公開され、現代の大規模言語モデルの基盤となるトランスフォーマーアーキテクチャが世に示されました。コンピュータサイエンスの訓練も機械学習の経験もなかったスタイルズ氏でしたが、「言語と文学への関心と、技術のポエティクスへの関心が、自然言語処理というこの空間で衝突した」と振り返っています。
「補装器官的な想像力」としてのAI
2019年、スタイルズ氏は約200ページの詩の草稿をAIに入力し、分析を依頼しました。最初の入力文「Are you ready for the future?」を異なるパラメータで繰り返し処理した結果、崇高なものから不快なものまで幅広い出力が返ってきたといいます。インターネットのトレーニングデータが内包する人間の多様な側面が反映されていたと言えます。数百の出力の中から30点を選んで詩のサイクルにまとめるプロセスを通じ、AIをゴーストライターとして使うのではなく、散在するアイデアの統合ツールとして活用する方向性が定まりました。
スタイルズ氏はこの手法を「prosthetic imagination(補装器官的な想像力)」と表現しています。補装器官が失われた機能を代替するのではなく制限された機能を回復・拡張するように、AIも書く行為そのものを変えていくものだという説明です。ノートやハードドライブに散在するアイデアへ同時にアクセスし、以前は考えていなかった角度から検討できる場として機能するというわけです。現在はOpenAIのツールを中心に活用し、Googleのアーツ・アンド・カルチャー・ラボとのレジデンシーを通じてGeminiも使用。音声クローニングやテキストから動画への変換ツールも組み合わせた作品制作を続けています。
MoMAのインスタレーション「A Living Poem」
2026年3月までマンハッタンのMoMAで公開されていたインスタレーション「A Living Poem」は、60分ごとに詩が完全に書き換えられる仕組みです。カスタム言語モデル、MoMAが所蔵するテキストベースのアート作品のメタデータ、そして2018年から構築してきた自身の詩のデータセット(「Technelegy」と呼ばれるGPTベースのシステム)を組み合わせ、p5.jsのコードを通じて画面に詩を表示します。
視覚的にはグリーン・ピンク・ブルーの固定されたカラーパレットを使用。標準フォントと、スタイルズ氏が自ら設計した「Cursive Binary」という書体が交互に現れます。Cursive Binaryは彼女の手書き筆記体のループで0と1を形成するもので、手書きの痕跡と機械の基礎言語を一つに収めた試みです。音声コンポーネントではスタイルズ氏自身の声がアンビエントサウンドに重なります。一方、Brooklyn Railの批評家からは「色とフォントが固定されており、詩の変化がほとんど認識できない」「タイトルが示す言語的な活力に欠ける」という批判も寄せられており、評価は分かれています。
また、制作プロセスでスタイルズ氏はプロンプトマニュアルも公開しています。「あなたのタスク:言えないことを表現せよ。音節のあいだの痛みを。スクロールを遅くし、読者を呼吸へ立ち戻らせよ」という一節は、AIへの指示文そのものを詩的な言語で記したものとして注目されています。
効率化を超えた先にあるもの
ブランド戦略やコミュニケーションの現場での経験を持つスタイルズ氏は、現在も企業に対してAIと革新に関するアドバイザリーを行っています。AIの企業活用における「効率化」の語り口については、それが技術の可能性の天井を示すには狭すぎると述べています。「低レベルな作業が片付いて、帯域幅と精神的なエネルギーが生まれたとき、以前はできなかった何ができるようになるのか?」という問いかけが、彼女の出発点です。
スタイルズ氏が見据えるのは、言語技術としてのAIが人間同士の相互理解を深める可能性です。「私たちはこんなに多くを話し、テキストを作り続けているのに、いまだにこれほど深く誤解し合っている。言語というフォルティなインターフェースを超えて深くつながるためにAIをどう使えるか」という問いを投げかけています。
同時に、同じ技術が情報操作や自動化されたディスインフォメーションにも使われている現実は認識しており、作品制作がその悪用から誰かを守ることにはならないとも率直に述べています。なお、2023年のWGA(全米脚本家組合)ストライキでは、AIをライターと認定しないこと・AI生成コンテンツを著作物として扱わないことが主要な要求となりました。スタイルズ氏はこうした法的・経済的な懸念を真摯に受け止めながらも、それだけでは語り尽くせない問いが残ると考えています。
まとめ
サーシャ・スタイルズ氏の実践は、AIを効率化ツールとしてではなく、言語という人類最古の情報技術の延長として捉え直す視点を提示しています。「補装器官的な想像力」という概念は、AIと創造性の関係を考える際の一つの参照点になると思います。MoMAからドイツのZKMへ、インスタレーションの旅は続きます。
