はじめに
医療分野で人工知能(AI)の活用が進んでいます。特に画像診断の領域では、AIが医師の診断をサポートするツールとして期待されています。しかし、その一方で、医師がAIに過度に依存してしまうリスクはないのでしょうか。本稿では、ポーランドで行われた研究を紹介しながら、医療現場におけるAIと人間の協業のあり方について考えます。
参考記事
- タイトル: Research suggests doctors might quickly become dependent on AI
- 著者: Geoff Brumfiel
- 発行元: NPR (National Public Radio)
- 発行日: 2025年8月19日
- URL: https://www.npr.org/sections/shots-health-news/2025/08/19/nx-s1-5506292/doctors-ai-artificial-intelligence-dependent-colonoscopy
要点
- ポーランドの消化器内科医を対象とした研究で、AI支援システムに慣れた後、医師自身の能力でポリープを発見する精度が約20%低下したことが示された。
- これは、専門家が短期間でAIに過度に依存するようになる可能性を示唆するものである。
- 研究者は、医師がAIの補助(画面上の緑のボックス)を無意識に待ってしまい、自身の注意力が散漫になる可能性を指摘している。
- 一方で、研究期間が3ヶ月と短いことや、患者データの統計的なばらつきが影響した可能性も指摘されており、この結果だけで「医師のスキルが低下した」と断定するには慎重な意見もある。
- AIは有用なツールであるが、その導入が人間の専門家のスキルや働き方にどのような影響を与えるか、さらなる検証が必要である。
詳細解説
医療現場で広がるAI活用
近年、AI技術は目覚ましい発展を遂げ、様々な分野で活用されています。医療もその例外ではなく、特に放射線画像や内視鏡画像の解析といった、画像診断の領域でAIの導入が進んでいます。AIは、人間が見逃してしまうような微細な病変を発見したり、診断プロセスを効率化したりすることで、医療の質の向上に貢献すると期待されています。
今回ご紹介する研究の舞台となったのは、大腸内視鏡検査(コロノスコピー)です。これは、大腸がんの早期発見に不可欠な検査で、医師は内視鏡カメラの映像をリアルタイムで確認しながら、がん化する可能性のあるポリープなどの異常を探します。この検査において、AIは映像を解析し、ポリープが疑われる箇所を画面上に緑色の四角い枠(グリーンボックス)で表示して医師に知らせる、という形で支援を行います。
AIに慣れた医師の診断精度が低下
ポーランドの複数のクリニックで、このAI支援システムを導入し、その有効性を検証するデータ収集が行われました。研究を主導したMarcin Romańczyk医師らがこのデータを再分析したところ、興味深い、そして少し懸念される結果が明らかになりました。
AI支援システムの導入後、医師たちはAIの助けを借りて多くのポリープを発見できるようになりました。しかし、何らかの理由でAIのスイッチがオフにされた状態で検査を行った場合、ポリープの発見率がAI導入前と比較して明らかに低下していたのです。具体的には、AI導入前の発見率が28.4%だったのに対し、導入後にAIをオフにした状態での発見率は22.4%へと、約20%も低下していました。
この結果は、医師がAIの支援に慣れることで、かえって自分自身の力で異常を発見する能力が鈍ってしまった可能性を示唆しています。Romańczyk医師は、その理由について「我々は無意識のうちに、ポリープの場所を示す緑のボックスが現れるのを待ってしまい、自分自身の目で注意深く探すことを怠ってしまうのかもしれない」と推測しています。
結果の解釈には慎重な意見も
ただし、この研究結果だけで「AIが医師のスキルを奪う」と結論づけるのは早計かもしれません。英国マンチェスター大学の研究者であるJohan Hulleman氏は、いくつかの点で慎重な見方を示しています。
一つは、研究期間がわずか3ヶ月であるという点です。参加した医師たちは、何十年という歳月をかけて診断技術を磨いてきた専門家です。そのスキルが、たった3ヶ月で失われるとは考えにくい、とHulleman氏は指摘します。
また、研究対象となった患者の年齢構成など、データの統計的なばらつきが結果に影響を与えた可能性も考えられます。さらに、AIなしで「見逃された」とされるポリープが、医学的に見て本当に重要なものだったのかどうか(専門用語でいう「グラウンドトゥルース(正解データ)」)が不明であるという課題も残ります。
AIと人間が協業する未来に向けて
研究を率いたRomańczyk医師自身も、AIの利用に反対しているわけではありません。彼自身、AIの支援がより良い検査を行う上で役立つと考えています。しかし、彼は「AIシステムはすでに利用可能になっているのに、それが現場の医師にどのような影響を与えるかについてのデータが不足している」と警鐘を鳴らしています。
AIは非常に強力なツールですが、それを導入することで人間の専門家がどのように変化するのか、私たちはまだ十分に理解していません。今回の研究は、AIを単なる「便利な道具」として導入するだけでなく、人間の能力や注意力をいかに維持・向上させていくかという視点を持って、トレーニング方法や運用ルールを設計していく必要性を示した、重要な一歩と言えるでしょう。
まとめ
本稿では、NPRの記事を基に、大腸内視鏡検査においてAI支援システムに慣れた医師の診断精度が、AIがない状況下で低下したというポーランドの研究を紹介しました。この結果は、AIへの過度な依存が専門家のスキルに影響を与える可能性を示唆しています。一方で、研究の限界も指摘されており、さらなる検証が求められます。医療分野におけるAIの導入は、診断の精度や効率を向上させる大きな可能性を秘めていますが、同時に、AIと人間がどのように協業し、互いの能力を最大限に引き出していくかという、新たな問いを私たちに投げかけています。