はじめに
米国の医療分野でAIの導入が急速に進む中、その規制のあり方が大きな議論となっています。Harvard Gazetteが2026年1月12日に報じた内容によれば、病院認定機関と業界団体がガイドラインを発表した一方で、特に小規模病院にとっての負担が課題として浮上しています。本稿では、ハーバード大学の医療倫理専門家へのインタビューをもとに、医療AI規制の現状と課題について解説します。
参考記事
- タイトル: AI is speeding into healthcare. Who should regulate it?
- 著者: Alvin Powell
- 発行元: Harvard Gazette
- 発行日: 2026年1月12日
- URL: https://news.harvard.edu/gazette/story/2026/01/ai-is-speeding-into-healthcare-who-should-regulate-it/
要点
- Joint CommissionとCoalition for Health AIが2025年9月に医療AI導入のガイドラインを発表し、個別の医療機関に順守責任を課している
- ハーバード大学のCohen教授らは、ガイドラインは良い出発点だが、特に小規模病院への財政的・規制的負担を軽減する変更が必要だと指摘している
- 複雑なAIアルゴリズムの評価と導入には30万〜50万ドルのコストがかかり、多くの病院システムにとって実現困難である
- バイデン政権は民間と政府が連携する「保証ラボ」構想を提示したが、トランプ政権は異なるアプローチを示唆している
- 医療AIの恩恵を資源の乏しい地域にも行き渡らせるには、適切なインセンティブ設計が不可欠である
詳細解説
医療AIに規制が必要な理由
Harvard Gazetteによれば、I. Glenn Cohen教授は、中程度から高リスクの医療AIには何らかの規制が必要だと述べています。Cohen教授はハーバード大学ロースクールのPetrie-Flom Center for Health Law, Biotechnology, and Bioethicsの所長を務める医療倫理の専門家です。
これまで医療AIの規制は主に各病院システムによる内部的な自主規制が中心でしたが、病院ごとに検証、レビュー、モニタリングの方法が異なるという課題があります。このような病院単位での評価とモニタリングには大きなコストがかかるため、一部の病院はこれを実施できますが、他の病院にはできないという状況が生まれています。
一方で、トップダウンの規制は進展が遅く、この分野の一部の進歩には遅すぎる可能性があると考えられます。また、病院に導入されるAI製品には、内部の購買やレビューを支援するものから、臨床的なものまで複雑な組み合わせがあります。
特に、メンタルヘルスケア用のチャットボットのように消費者と直接やり取りするAI製品については、病院内部のレビューさえ存在せず、規制の必要性がより明確だとされています。
急速な技術進化と「競争のダイナミクス」の課題
Harvard Gazetteによれば、医療AIのエコシステムには多くのスタートアップのエネルギーがあり、これは素晴らしいことですが、内部レビューをあまり経ずに極めて迅速にスケールできてしまうという側面があります。
Cohen教授は、何かを最初に開発する競争、資金が尽きる前のスタートアップの競争、あるいはAI開発における国家間競争など、いわゆる「競争のダイナミクス」に入ると、倫理的配慮が置き去りにされるリスクがあると指摘しています。時間と緊急性のプレッシャーは、倫理的問題を見過ごしやすくする要因となります。
現状では、医療AIの大部分は連邦規制機関による審査を受けておらず、おそらく州の規制機関による審査も受けていません。医療AI向けの基準を設け、その基準を採用するインセンティブを持つことが重要です。
ただし、すべてを医薬品向けの厳格なFDAプロセスや医療機器向けのプロセスに通すことは、多くの場合、シリコンバレーの開発速度に魅了されている人々にとって、費用面でも時間面でも法外なものになると考えられます。
一方で、これらの技術の多くは、性能が悪い場合、市場に出回る平均的な医療機器よりも一般大衆にとってはるかに大きなリスクとなります。アスピリンやスタチンのような薬剤は、人によって効き方に違いがありますが、その違いをある程度事前に特定できます。しかし、医療AIがX線を読み取ったり、メンタルヘルス分野で何かを行ったりする場合、その実装方法が性能の鍵となります。
リソース、スタッフ、トレーニング、使用する人々の経験や年齢に基づいて、異なる病院システムで非常に異なる結果が得られる可能性があるため、実装を非常に慎重に研究する必要があります。これは、FDAのような機関にとって異例の課題となると思います。FDAは医療行為の実践を規制しないとしばしば述べていますが、AIシステムの承認が終わる場所と医療行為の実践が始まる場所の境界は複雑です。
Joint CommissionとCoalition for Health AIのガイドライン
2025年9月、病院認定機関であるJoint CommissionとCoalition for Health AIが、医療におけるAI導入のための勧告を発表しました。Harvard Gazetteによれば、順守の責任は主に個々の医療施設に課されています。
Joint Commissionは、米国のほぼすべての州において、メディケアやメディケイドに請求するために必要な認定機関です。これは、ほぼすべての病院のビジネスの大部分を占める重要な要素です。認定を受けるための厳格なプロセスがあり、定期的に再評価されます。
Joint CommissionはまだこれらのAI規則を次回の認定の一部にするとは明言していませんが、このガイドラインは、そちらの方向に進む可能性があることを示す兆候と考えられます。
ガイドラインの評価と課題
Cohen教授はJournal of the American Medical Associationに発表した論文で、同僚とともに、このガイドラインは良い出発点だが、特に小規模病院システムに対する規制的・財政的負担を軽減する変更が必要だと提案しています。
Harvard Gazetteによれば、Cohen教授は一部の勧告が予想以上に厳格だったものの、全体的には非常に良いと評価しています。
ガイドラインでは、適切な場合には患者にAIが直接ケアに影響を与えることを通知すべきであり、関連する場合にはAIエージェントの使用に対する同意を得るべきだとする強い立場を取っています。多くの学者や他の組織は、医療AIがケアに直接影響を与える場合に常に開示すべきだとは考えておらず、ましてやインフォームド・コンセントを常に求めるべきだとは考えていません。
ガイドラインはまた、継続的な品質モニタリングと、AI性能の継続的なテスト、検証、モニタリングを要求しています。モニタリングの頻度は患者ケアにおけるリスクレベルに応じて調整されます。これらは良いことですが、困難で費用がかかります。学際的なAI委員会を編成し、精度、エラー、有害事象、公平性、集団間のバイアスについて常に測定する必要があります。
真剣に取り組む場合、米国の多くの病院システムにとっておそらく実現不可能になると想定されます。彼らはAI導入者になるかどうかについて、閾値となる決定を下さなければなりません。
小規模病院への影響
Cohen教授が指摘する重要な問題の1つは、米国のほとんどの病院が小規模なコミュニティ病院であり、リソースが大きな課題となっていることです。
Harvard Gazetteによれば、大規模病院システムの関係者から聞いた話では、複雑な新しいアルゴリズムとその実装を適切に精査するには、30万ドルから50万ドルの費用がかかる可能性があるとのことです。これは単純に多くの病院システムの手の届かない金額です。
実装には各病院に固有のものもありますが、多くの病院システムに共通して価値のある知見もあると考えられます。評価を複数の場所で繰り返し行い、学んだことを共有しないというのは、本当に無駄なことのように思います。
もし「大リーグでプレーできないなら、バッターボックスに立つべきではない」という答えだとすれば、それは医療アクセスの面で「持つ者」と「持たざる者」の分配を生み出すことになります。米国では医療全般についてすでにそのような状況がありますが、これは病院レベルでそのダイナミクスをさらに進めることになります。
医療を支援するAIへのアクセスは、ボストンやサンフランシスコのような場所に多数存在する大規模学術医療センターのネットワークに属しているかどうかで決まることになり、そのような医療インフラを持たない国の他の地域との格差が生まれると思います。
理想的には、より集中化された情報共有が目標となるべきですが、これらの勧告は多くの責任を個々の病院に課しています。
資源の乏しい地域への影響
Cohen教授は、重要な矛盾を指摘しています。最新世代のAIの潜在的な利点の1つは、専門知識が欠けているか見つけにくい資源の乏しい場所を支援できることです。
Harvard Gazetteによれば、人々を助ける優れたAIがあり、資源の少ない環境で最も恩恵をもたらす可能性があるにもかかわらず、その環境が実装のための規制要件を満たすことができないとすれば、残念なことだと教授は述べています。
また、倫理的な問題として、これらのモデルを全国の患者からのデータで訓練しているにもかかわらず、その患者の多くがこれらのモデルの恩恵を受けることができないとすれば、悲しい現実だと考えられます。
規制の今後の方向性
医療AIの精査とモニタリングをより大きな組織が行うべきだとすれば、それは政府なのでしょうか。
Harvard Gazetteによれば、バイデン前政権のアイデアは「保証ラボ」を設けることでした。これは、政府と提携した民間セクターの組織が、合意された基準の下でアルゴリズムを精査し、医療機関がそれらに依拠できるようにするというものです。
トランプ政権は問題については同意していますが、上記のアプローチは好まないと示唆しています。彼らはまだ自分たちのビジョンを完全には示していません。
将来への展望
Cohen教授は、この分野における法的・倫理的問題について語りつつも、楽観的だと述べています。Harvard Gazetteによれば、10年後には、医療AIのおかげで世界は大幅に良くなっているだろうと考えています。
これらの技術を資源の乏しい環境に普及させることは非常にエキサイティングですが、インセンティブを適切に調整した場合に限られます。それは偶然には起こらず、この分野で立法を試みる際には、これらの分配に関する懸念を含めることが重要です。
まとめ
医療AIの規制は、イノベーションの促進と安全性・公平性の確保という難しいバランスを求められています。業界団体によるガイドラインは第一歩として評価できますが、小規模病院への負担軽減と、資源の乏しい地域への技術普及という課題に対処する必要があります。米国では政権交代もあり、今後の規制の方向性が注目されます。医療AIの恩恵を広く行き渡らせるためには、適切なインセンティブ設計と情報共有の仕組みが不可欠と考えられます。
