[技術紹介]AIが拓く宇宙観測の新時代:重力波天文台LIGOのノイズを克服する新技術

目次

はじめに

 本稿では、Google DeepMindが2025年9月4日に公開した記事「Using AI to perceive the universe in greater depth」を基に、重力波の観測精度を向上させる新しいAI手法「Deep Loop Shaping」について、その技術的なポイントや意義を解説していきます。

参考記事

・本稿中の画像に関しては特に明示がない場合、引用元記事より引用しております。
・記載されている情報は、投稿日までに確認された内容となります。正確な情報に関しては、各種公式HPを参照するようお願い致します。
・内容に関してはあくまで執筆者の認識であり、誤っている場合があります。引用元記事を確認するようお願い致します。

要点

  • Google DeepMindが開発したAI手法「Deep Loop Shaping」は、重力波天文台LIGOの制御システムを改善するために設計されたものである。
  • この手法は、観測の妨げとなる「制御ノイズ」を、既存のシステムと比較して30倍から100倍低減することに成功した。
  • 基盤技術は強化学習であり、AIがシミュレーション環境での試行錯誤を通じて、観測に悪影響を与えずに装置を安定させる最適な制御方法を自ら学習する。
  • これにより、これまで観測が難しかった、より遠く、より微弱な重力波源(中質量ブラックホールの合体など)の発見が期待され、宇宙の成り立ちの解明に貢献するものである。

詳細解説

宇宙からのさざ波「重力波」とは

 まず、本稿のテーマである重力波について簡単に説明します。重力波とは、ブラックホールや中性子星といった非常に質量の大きい天体が合体する際などに、周囲の時空が歪んで、その歪みが波のように宇宙空間を伝わっていく現象です。これは約100年前にアインシュタインが一般相対性理論でその存在を予言し、2015年に初めて直接観測されました。

 この重力波を観測するための施設が、アメリカにある「LIGO(ライゴ)」です。LIGOは、4kmにも及ぶ2本の腕を持つ巨大なレーザー干渉計で、重力波が通過する際に生じる腕の長さの極めて微小な変化(陽子の大きさの1万分の1程度)を検出します。光(電磁波)では観測できない宇宙の出来事を「聴く」ことができるため、重力波天文学は宇宙を理解するための新しい窓と言われています。

高感度すぎるがゆえの課題「ノイズ」

 LIGOは驚異的な感度を誇りますが、そのために常に「ノイズ(観測の妨げになる信号以外のもの)」との戦いを強いられています。例えば、数百km離れた海岸で打ち寄せる波の振動でさえ、観測に影響を与えてしまうほどです。

 こうした外部からの振動を抑えるため、LIGOの鏡は複雑な防振システムで吊り下げられています。しかし、ここで新たな問題が生まれます。鏡を完璧な位置に保つためのフィードバック制御システム自体が、新たなノイズを発生させてしまうのです。これを「制御ノイズ」と呼びます。

 制御を弱めれば鏡が揺れてしまい観測になりませんが、逆に制御を強めすぎると、その制御信号がノイズとなって観測データを汚染し、本来捉えたい重力波の信号をかき消してしまいます。特に、中くらいの質量のブラックホールが合体する際に発生するような、低い周波数帯の重力波を観測する上で、この制御ノイズが大きな壁となっていました。

AIによる解決策「Deep Loop Shaping」

 この非常に難しい制御問題を解決するために開発されたのが、強化学習を利用した新しい手法「Deep Loop Shaping」です。

 Deep Loop Shapingでは、まずLIGOの動きを忠実に再現したシミュレーション環境を用意します。その中で、AIコントローラーは鏡を安定させるための制御を試みます。その際、「重力波を観測したい重要な周波数帯域で、制御ノイズを増幅させない」という条件を達成すると「報酬」が与えられます。

 AIはこの報酬を最大化しようと何度も試行錯誤を繰り返すことで、鏡を安定させつつ、観測の邪魔になるノイズを発生させない、という絶妙なバランスの制御方法を自ら見つけ出します。

 以下のグラフでは、実際のLIGOでのテスト結果が示されており、既存のコントローラー(赤い線)と比較して、Deep Loop Shapingを適用したAIコントローラー(青い線)は、重要な周波数帯域でノイズを30倍から100倍も低減させています。これにより、これまで制御ノイズに埋もれてしまっていた微弱な重力波信号を捉えられる可能性が大きく広がりました。

この技術が拓く未来

 Deep Loop ShapingをLIGOの全ての鏡の制御システムに適用することで、天文学者は年間で数百件以上の天体イベントを、これまで以上に詳細に観測できるようになると期待されています。これにより、銀河の進化の謎を解く鍵とされる中質量ブラックホールの研究が進むなど、宇宙の成り立ちに関する我々の理解が大きく深まる可能性があります。

 さらに、この技術はLIGOだけでなく、将来建設される地上の、あるいは宇宙空間の新しい重力波天文台の設計にも影響を与えるでしょう。また、振動の抑制やノイズ除去は、航空宇宙工学、ロボット工学、建築工学など、様々な分野で重要な課題であり、Deep Loop Shapingの考え方が応用されることも期待されます。

まとめ

 本稿では、Google DeepMindが開発したAI手法「Deep Loop Shaping」が、重力波天文台LIGOの長年の課題であった「制御ノイズ」の問題をどのように解決したかについて解説しました。強化学習を用いることで、従来の制御工学だけでは到達が難しかったレベルの低ノイズ化を実現し、宇宙をより深く、より正確に観測する道を開きました。

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