はじめに
近年、人工知能(AI)の進化は目覚ましく、私たちの生活のあらゆる場面でその活用が始まっています。医療分野も例外ではなく、AIは診断支援や治療法開発など、多岐にわたる応用が期待されています。
本稿では、米国で初めてAIを医師養成プログラムに全面的に導入した医科大学の事例を取り上げ、AIが医学教育や未来の医療にどのような変革をもたらす可能性があるのか、CBS Newsの記事「Inside the first U.S. medical school to fully incorporate AI into its doctor training program」をもとに解説します。
引用元記事
- タイトル: Inside the first U.S. medical school to fully incorporate AI into its doctor training program
- 発行元: CBS News
- 発行日: 2025年5月12日
- URL: https://www.cbsnews.com/news/icahn-medical-school-nyc-chagpt-ai/

要点
- ニューヨーク市のマウントサイナイ医科大学アイカーン校は、OpenAIのChatGPT Eduを全医学生・大学院生に提供し、AIを医師養成プログラムに全面的に導入した米国初の医科大学である。
- 学生はAIを手術準備、患者への説明方法改善、複雑な研究プロジェクトの技術サポートなどに活用している。
- AI導入の背景には、学生の学習効率向上、新たな知識発見の促進、より深い探求の支援といった目的がある。
- プライバシー保護のため、ChatGPT Eduは米国の医療情報保護法(HIPAA)に準拠するよう設計されている。
- 教員もAIを革新的なツールと評価し、教育や研究、学生との関わり方に変化をもたらしていると認識している。
- AIに対する姿勢として、恐怖心を持つのではなく、技術と共に成長していくことの重要性が強調されている。
詳細解説
米国初のAI完全導入医科大学の取り組み
本稿で取り上げるのは、ニューヨーク市に位置するマウントサイナイ医科大学アイカーン校の先進的な取り組みです。この医科大学は、AI技術、特にOpenAI社が提供する教育機関向けの「ChatGPT Edu」を、全ての医学生および大学院生の教育プログラムに導入しました。これは米国において初の試みであり、医学教育のあり方に大きな一石を投じるものと言えるでしょう。
ChatGPT Eduとは?
ChatGPT Eduは、一般的なChatGPTの機能を基盤としつつ、教育機関のニーズに合わせて設計されたAIツールです。特に、機密性の高い情報を取り扱う医療分野での利用を想定し、米国の「医療保険の相互運用性と説明責任に関する法律(HIPAA)」に準拠するよう開発されています。HIPAAは、患者の医療情報などのプライバシーを保護するための厳格な連邦法であり、これに準拠していることは、医療現場でのAI利用における重要な前提条件となります。
学生たちはAIをどう活用しているのか?
記事によると、アイカーン校の学生たちは、この新しいAIツールを様々な形で活用しています。
- 手術の準備: ある医学生は、手術の手順や関連知識の確認、予習にChatGPTを活用していると述べています。膨大な医学知識の中から必要な情報を効率的に引き出し、整理するのに役立っているようです。
- 患者対応の改善: 複雑な診断結果や治療方針を患者に分かりやすく説明する際の「ベッドサイドマナー」の向上にもAIが一役買っています。AIに患者への説明文案を作成させたり、ロールプレイングの相手をさせたりすることで、より共感的で理解しやすいコミュニケーション能力を養うことを目指しています。学生は、「説明の仕方を再構成するのに非常に役立った」とコメントしています。
- 研究支援: 博士課程の学生は、複雑な研究プロジェクトにおける技術的なサポートとしてAIを利用しています。まるで24時間いつでも相談できる疑似的な臨床指導医やソフトウェアエンジニアの協力者のように、研究上の疑問点の解消やプログラミングのデバッグなどに役立てているとのことです。
AI導入の教育的意義と期待される効果
OpenAIの教育担当副社長であるリア・ベルスキー氏は、AIの導入が学生の学習方法に革命をもたらすと述べています。具体的には、「より速く学び、新たな知識分野を発見し、より深く探求する」ことを支援すると強調しています。また、重要なのはAIへの公平なアクセスを確保することであるとも指摘しており、これは教育機会の均等という観点からも注目すべき点です。ベルスキー氏は、21世紀の職場におけるAIの影響を、1990年代における電子メールやインターネットアクセスの普及になぞらえており、その変革の大きさを物語っています。
同校の准教授であるベンジャミン・グリックスバーグ博士も、AIを「これまでに遭遇した中で最も注目すべきイノベーション」と呼び、教育、指導、さらには自身の研究スタイルまで、あらゆるものを変えたと語っています。AIツールは時間を大幅に節約し、その結果、教員が学生とより密接に関わる時間を増やすことにも繋がっているようです。
プライバシーと倫理的課題への対応
医療という極めて機密性の高い情報を扱う分野でAIを利用することに対しては、当然ながらプライバシー侵害への懸念が伴います。この点について、OpenAIはマウントサイナイ医科大学のような教育・医療機関と協力し、学生と患者の情報を保護するための堅牢な安全対策を講じていると説明しています。前述の通り、ChatGPT EduがHIPAAに準拠していることは、その具体的な取り組みの一つです。
AIと共に成長する未来の医療者
AI技術の急速な発展は、一部で「人間の仕事が奪われるのではないか」といった不安を引き起こすこともあります。しかし、記事に登場する学生や教員は、AIを脅威として捉えるのではなく、AIと共に成長し、それを活用していくことの重要性を強調しています。ヴィヴェク・カンパという博士課程の学生は、「AIを恐ろしいものとして捉え、私たちに取って代わるものだと考えるのではなく、それと共に成長していくことが本当に重要だ」と述べています。これは、AI時代における新しい学習観・労働観を示唆していると言えるでしょう。
日本への影響と考慮すべきこと
今回の米国の事例は、日本の医学教育や医療現場にも多くの示唆を与えます。
- 医学教育におけるAI活用の可能性:
- 日本の医学部でも、学生の知識習得支援、臨床推論能力のトレーニング、コミュニケーション教育などにAIを活用できる可能性があります。特に、医師の働き方改革が叫ばれる中、教育の効率化は喫緊の課題です。
- ただし、導入にあたっては、教育カリキュラムとの整合性、評価方法、そして何よりも日本の個人情報保護法制や医療倫理との適合性を慎重に検討する必要があります。
- 医療現場でのAI利用拡大への布石:
- 医学生時代からAIに触れ、その特性や限界を理解した医師が増えることは、将来的に日本の医療現場におけるAIの健全な普及と発展に繋がるでしょう。
- AIを「ブラックボックス」としてではなく、判断を補助する信頼できるツールとして使いこなせる医師の育成が求められます。
- 患者としての心構え:
- 将来的には、私たちが受ける医療にもAIがより深く関わってくることが予想されます。AIのメリット・デメリットを理解し、医師とのコミュニケーションの中でAIがどのように活用されているのかに関心を持つことも大切になるかもしれません。
まとめ
マウントサイナイ医科大学アイカーン校におけるAI全面導入の試みは、医学教育における大きな転換点を示す事例といえます。AIは、学生の学習効率を高め、新たな知識探求を促し、さらには教員の指導方法にも影響を与える可能性を秘めています。今回の事例で示唆されているのは、AIを単なる道具としてではなく、医療の質を向上させ、患者中心のケアを実現するためのパートナーとして捉え、共に成長していく姿勢が重要であるということです。
本稿で紹介した事例は米国のものであり、プライバシー規制や医療制度も日本とは異なります。しかし、AIが医療にもたらす変革の波は全世界的なものであり、日本もこの動きから無縁ではいられません。AIの可能性と課題を正しく理解し、その恩恵を最大限に享受できる未来を築いていくための議論を深めていくことが、今まさに求められています。
コメント