はじめに
本稿では、Google DeepMindの公式ブログに掲載された「How we’re supporting better tropical cyclone prediction with AI」という記事をもとに、AIによる熱帯低気圧(台風)予測の新たな取り組みについて解説します。
引用元記事
- タイトル: How we’re supporting better tropical cyclone prediction with AI
- 発行元: Google DeepMind
- 発行日: 2025年6月12日
- URL: https://deepmind.google/discover/blog/weather-lab-cyclone-predictions-with-ai/

要点
- Googleは、AIを用いた新しい熱帯低気圧予測モデルを開発し、その実験的な予測を専門家向けに共有するプラットフォーム「Weather Lab」を公開した。
- このAIモデルは、従来の物理ベースの予測モデルと比較して、熱帯低気圧の「進路」と「強度」の両方において、同等以上の精度を達成したものである。
- 特に進路予測では、世界最高峰の物理ベースモデルと比較して、予測精度を実質的に1.5日分も早めることに成功した。
- これまで両立が難しかった「広域の進路予測」と「中心付近の強度予測」を、単一のAIモデルで高精度に両立させた点が画期的である。
- このモデルは研究ツールとして公開され、米国の国立ハリケーンセンターなどで既に活用が始まっており、将来の防災・減災への貢献が大きく期待されるものである。
詳細解説
AIが変える熱帯低気圧(台風)予測の未来
台風やハリケーンといった熱帯低気圧は、毎年世界各地で深刻な被害を引き起こします。その進路や勢力をいち早く、そして正確に予測することは、効果的な避難計画や防災対策に繋がり、多くの人命と財産を守るために極めて重要です。しかし、熱帯低気圧は、わずかな大気の状態変化にも敏感に反応するため、その予測は非常に難しいとされてきました。
従来の予測手法「物理ベースモデル」の課題
従来主流だったのは「物理ベースモデル(または数値予報モデル)」と呼ばれる手法です。これは、大気の動きを物理法則(流体力学や熱力学の方程式)に基づき、スーパーコンピュータを使ってシミュレーションするものです。
この手法には、大きく分けて2つのアプローチがありました。
- 全球モデル: 地球全体を広範囲に計算するモデル。大きな大気の流れを捉えるのが得意で、熱帯低気圧の「進路」予測で高い精度を発揮します。しかし、計算範囲が広い分、解像度が粗くなるため、中心付近の風速といった「強度」の詳細な予測は苦手でした。
- 領域モデル: 特定の地域に絞って、より細かく(高解像度に)計算するモデル。こちらは「強度」の予測は得意ですが、計算できる範囲が限られていました。
このように、従来の手法では「進路」と「強度」の予測精度を一つのモデルで両立させることが難しく、一種のトレードオフの関係にあったのです。
Googleの新しいAIモデルは何が凄いのか?
今回Googleが発表したAIモデルは、このトレードオフを克服した点に最大の革新性があります。このモデルは、確率論的神経ネットワーク(Stochastic Neural Networks)というAI技術を基にしており、単一のモデルで「進路」と「強度」の両方を高精度に予測することができます。
- 進路予測の精度:
世界最高峰の全球モデルの一つであるヨーロッパ中期予報センター(ECMWF)のモデルと比較したところ、GoogleのAIモデルは5日先の進路予測で、誤差が平均140kmも小さかったと報告されています。これは、ECMWFモデルの3.5日先予測に匹敵する精度であり、実質的に1.5日も早く、より正確な進路を把握できることを意味します。災害対応において、この1.5日の時間的猶予がもたらす価値は計り知れません。 - 強度予測の精度:
強度予測においても、米国海洋大気庁(NOAA)が運用する最先端の領域モデル(HAFS)の平均誤差を上回る性能を示しました。これまで精度を両立させることが難しかった強度予測でも、AIが優れた能力を発揮することを示したのです。
高精度を支える「2種類の学習データ」
なぜこのような高精度な予測が可能になったのでしょうか。その秘密は、AIが学習したデータにあります。このモデルは、性質の異なる2つの膨大なデータを組み合わせて学習しています。
- 再解析データ: 過去のあらゆる観測データ(衛星、地上、船舶など)を基に、スーパーコンピュータで過去の地球全体の気象を再現したデータセット。これにより、地球規模での広域的な大気のパターンを学習します。
- 熱帯低気圧の専門データ: 過去45年間に観測された約5,000件もの熱帯低気圧について、その進路、強度、大きさなどを記録したデータベース。これにより、熱帯低気圧そのものの詳細な特徴や振る舞いを学習します。
この2つのデータを組み合わせることで、AIは「地球全体の大気の流れ(進路に影響)」と「低気圧中心部の複雑な物理現象(強度に影響)」の両方を同時に理解し、精度の高い予測を可能にしたのです。
専門家向けツール「Weather Lab」の役割
Googleは、この画期的なAIモデルの予測を、研究者や気象予報の専門家が利用できるようにするためのウェブサイト「Weather Lab」を立ち上げました。このサイトでは、GoogleのAIモデルによる最新の予測(最大15日先までの50通りのシナリオ)がリアルタイムで表示され、従来の物理ベースモデルの予測と比較することができます。
既に米国の国立ハリケーンセンター(NHC)と提携し、専門の予報官が実際の業務でこのAI予測を参照し始めています。これは、AIが研究室を飛び出し、実際の災害対策の現場で貢献していくための重要な一歩と言えるでしょう。ただし、Googleはこれが現時点ではあくまで研究ツールであり、公式な警報ではないことを強調しています。
まとめ
本稿では、Google DeepMindが開発した新しいAI熱帯低気圧予測モデルについて解説しました。
この技術の重要なポイントは、「これまで両立が難しかった『進路予測』と『強度予測』を、単一のモデルで、かつ従来以上の精度で実現した」という点にあります。特に、予測精度を実質的に1.5日も早めたことは、防災・減災の観点から非常に大きな進歩です。
この取り組みは、AIが気象学という重要な分野に革命をもたらし、私たちの安全を守るための強力なツールとなり得ることを示しています。日本も台風による被害が多い国の一つであり、この技術が今後の台風予報の精度向上に繋がり、より安全な社会を実現してくれることが大いに期待されます。