はじめに
本稿では、人工知能(AI)がソフトウェア業界、特にSaaS(Software as a Service)と呼ばれるビジネスモデルに与えている深刻な影響について、解説します。
現在、顧客管理システムで知られるSalesforceや、デザインソフトで有名なAdobeといった大手ソフトウェア企業の株価が、市場全体の上昇傾向に反して大きく低迷しています。その背景には、AI自身がコンピューターのプログラムコードを記述し、開発できるようになったという技術的な変革があります。なぜAIの進化が既存のソフトウェア企業の脅威と見なされているのか、そしてソフトウェア業界の未来がどう変わっていく可能性があるのかを掘り下げていきます。
参考記事
- タイトル: Software shares are in the doldrums. Blame AI
- 著者: John Towfighi
- 発行元: CNN
- 発行日: 2025年8月25日
- URL: https://edition.cnn.com/2025/08/25/markets/software-shares-ai-stock
要点
- コードを生成するAIの台頭が、従来のSaaS(Software as a Service)ビジネスモデルを根本から脅かしている。
- この影響を受け、SalesforceやAdobeといった大手ソフトウェア企業の株価は、2025年に入ってから市場平均に逆行して大幅に下落している。
- 特に、人間の監督なしに自律的にタスクを実行する「エージェントAI」が、企業によるソフトウェアの内製化を促進し、SaaSビジネスの根幹である契約者数を減少させるというリスクが懸念されている。
- 市場では「AIがソフトウェアを飲み込む」という見方が広がる一方、AIの脅威は過大評価されており、既存のソフトウェア企業も変化に適応できるという慎重な意見も存在する。
詳細解説
ソフトウェア企業の苦境:株価はなぜ下落しているのか?
2025年、米国株式市場の主要な指標であるS&P 500が10%の上昇を見せる中、ソフトウェア業界の巨人たちは苦戦を強いられています。具体的には、Salesforceの株価は年初来で26%下落し、Adobeは19%、プロジェクト管理ツールTrelloなどを提供するAtlassianは30%もの下落を記録しました。
この株価低迷の背景には、投資家たちの間に広がる「AIによってソフトウェアの価値が失われるのではないか」という強い懸念があります。これまでソフトウェアは、企業の業務効率化に不可欠なツールとして、安定した収益を生むビジネスモデルの代表格でした。しかし、AIがそのソフトウェア自体を自動で作り出せるようになったことで、その前提が揺らぎ始めているのです。
パラダイムシフトの中心「エージェントAI」とは?
今回の地殻変動の中心にいるのが「エージェントAI(Agentic AI)」、または自律型AIと呼ばれる技術です。
まず前提として、SalesforceやAdobeが展開してきたSaaSというビジネスモデルは、企業が自社でソフトウェアを開発・保有するのではなく、月額や年額の利用料を支払って「レンタル」する形態です。これにより、企業は多額の初期投資なしに高機能なツールを利用できました。このモデルの収益の根幹は、どれだけ多くの従業員(ユーザー)が契約しているかを示す「シート数」に依存しています。
しかし、エージェントAIは、このモデルを根底から覆す可能性を秘めています。エージェントAIは、人間からの大まかな指示だけで、自律的に計画を立て、必要なコードを書き、ソフトウェアを開発・修正することができます。これにより、企業はこれまで外部からレンタルしていたソフトウェアを、比較的容易に自社で開発(内製化)できるようになるかもしれません。そうなれば、SaaS企業に支払っていたライセンス料は不要になり、収益の柱である「シート数」は致命的な打撃を受けることになります。
「AIがソフトウェアを飲み込む」時代の到来か?
かつて、著名な投資家であるマーク・アンドリーセン氏は2011年に「ソフトウェアが世界を飲み込んでいる」と述べ、あらゆる産業がソフトウェアによって再定義される未来を予見しました。
しかし、それからわずか6年後の2017年、半導体大手NVIDIAのCEOであるジェンスン・フアン氏は、さらにその先を見据えてこう語りました。「ソフトウェアが世界を飲み込んでいるが、AIがソフトウェアを飲み込んでいる」。当時は未来のビジョンとして語られたこの言葉が、今、現実のものとなりつつあるのです。
この流れは、巨大テック企業も認識しています。Microsoftのサティア・ナデラCEOは、「AIはビジネスアプリケーション市場に根本的な変化をもたらしている」と述べ、顧客が旧来のシステムから、エージェントAIを活用したアプリケーションへと移行していることを指摘しています。
反論:AIの脅威は過大評価されているのか?
一方で、AIが既存のソフトウェアを完全に置き換えるという見方には、慎重な意見も出ています。
あるアナリストは、「AIはソフトウェアにとって破壊的なハリケーンではなく、変革をもたらす波だ」と表現しています。つまり、ソフトウェアが完全になくなるわけではなく、AIの能力を組み込む形で進化していくという見方です。
実際に、Salesforceは「agentforce」という独自のAIエージェントツールを発表するなど、既存の企業もこの変化に適応しようと必死です。また、AIが生成するコードの品質や、複雑な要求にどこまで応えられるかといった課題も残っています。
AIを取り巻く環境は驚くべき速さで変化しており、専門家でさえ「12ヶ月後にAIの状況がどうなっているかを正確に予測するのは難しい」と語っています。そのため、現在の懸念は過大評価されている可能性も十分にあります。
まとめ
本稿では、コードを生成するAI、特に「エージェントAI」の台頭が、SaaSをビジネスモデルの中核とするソフトウェア企業の株価をいかに揺るがしているかを解説しました。
AIがソフトウェアを自動で開発するという未来は、もはや空想ではありません。この技術革新は、企業がITツールを導入する方法から、ソフトウェアエンジニアの仕事内容に至るまで、業界全体の構造を大きく変える力を持っています。 短期的には、この不確実性によってソフトウェア関連株の不安定な状況は続くかもしれません。しかし、これは必ずしも「ソフトウェアの終わり」を意味するものではなく、AIと共存し、それを活用する新しい形のソフトウェアサービスへの移行期と捉えるべきでしょう。