はじめに
本稿では、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームが発表した、生成AIを用いて薬剤耐性菌を殺すことができる新しい化合物を設計した研究について解説します。この研究は、薬が効かなくなってきている細菌感染症との戦いにおいて、AIがどのように貢献できるかを示すものです。
参考記事
- タイトル: Using generative AI, researchers design compounds that can kill drug-resistant bacteria
- 著者: Anne Trafton
- 発行元: MIT News
- 発行日: 2025年8月14日
- URL: https://news.mit.edu/2025/using-generative-ai-researchers-design-compounds-kill-drug-resistant-bacteria-0814
要点
- 生成AIアルゴリズムを用い、これまで存在しなかった3,600万以上の化合物を理論的に設計し、その中から新しい抗生物質の候補を発見した 。
- この研究により、治療が困難な薬剤耐性淋菌(N. gonorrhoeae)と多剤耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)という2種類の細菌に対して有効な化合物が特定された 。
- 発見された化合物は、既存のどの抗生物質とも構造が異なり、細菌の細胞膜を破壊するという、これまでにない新しいメカニズムで作用する可能性がある 。
- このアプローチは、AIを用いて膨大な「化学空間」を探索するものであり、今後の抗生物質開発に新たな可能性を開くものである 。
詳細解説
近年、抗生物質が効かない薬剤耐性菌が世界的な脅威となっています。薬剤耐性菌による感染症は、世界で年間約500万人もの死因になっていると推定されています 。新しい抗生物質の開発は急務ですが、過去45年間に米国で承認された新薬の多くは、既存の薬を少し改良したものでした 。この状況を打開するため、MITの研究チームはAI、特に生成AIに注目しました。
生成AIによる「未知の薬」の設計
これまでの創薬におけるAIの活用は、主に既存の膨大な化合物ライブラリの中から、薬になりそうなものを見つけ出す「スクリーニング」が中心でした 。しかし今回の研究では、AIが自ら新しい分子構造を「生成(デザイン)」する、より一歩進んだアプローチが採用されました 。これにより、これまで人類が発見していなかった、あるいは合成したことのなかった全く新しい化合物を探索対象に含めることが可能になりました。研究チームは、性質の異なる2種類の細菌を標的に、2つのアプローチで研究を進めました。
1. 淋菌に対する「フラグメントベース」での設計
一つ目のターゲットは、性感染症である淋病の原因となる淋菌です。研究チームはまず、薬の「部品」となる小さな化学構造(フラグメント)を約4,500万個集め、AIモデルで淋菌に効きそうなものを絞り込みました。その中から、有望なフラグメント「F1」を特定しました。
次に、この「F1」を基にして、2種類の生成AIアルゴリズム(CReMとF-VAE)に、完全な分子構造を設計させました 。
- CReM: ある分子を少しずつ変化させ、より良い構造を探すアルゴリズムです 。
- F-VAE: 大量の分子データを学習し、そのパターンから新しい分子を組み立てるアルゴリズムです 。
こうして生成された約700万の候補の中から、最終的に「NG1」と名付けられた化合物が、薬剤耐性淋菌に感染させたマウスの治療に非常に有効であることが確認されました 。さらに調査したところ、「NG1」は細菌の外膜を作るために不可欠な「LptA」というタンパク質の働きを邪魔することで効果を発揮する、新しい作用メカニズムを持つことが示唆されました 。
2. MRSAに対する「制約なし」での自由な設計
二つ目のターゲットは、院内感染などで問題となるメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)です 。こちらのアプローチでは、特定の「部品」を使うという制約を設けず、AIに化学の基本ルールだけを守らせて、完全に自由に分子を設計させました 。
その結果、2,900万以上もの化合物が生成され、そこから絞り込まれた候補のうち「DN1」と名付けられた分子が、MRSAの皮膚感染を起こしたマウスを治癒させることに成功しました 。この「DN1」も、細菌の細胞膜を破壊することで作用すると考えられていますが、「NG1」のように特定のタンパク質だけを狙うのではなく、より広範囲に影響を与えるメカニズムのようです 。
まとめ
今回の研究は、生成AIが単に既存のデータから候補を探すだけでなく、全く新しい解決策を「創造」できる可能性を示した点で非常に重要です。これまでアクセスできなかった広大な化学の世界を探索することで、従来の抗生物質とは根本的に異なる構造や作用メカニズムを持つ薬を設計できる道が拓かれました 。
研究チームは今後、非営利団体と協力して、今回発見された「NG1」と「DN1」を実際の薬として使えるように改良を進める計画です 。また、この生成AIプラットフォームを、結核菌や緑膿菌といった他の危険な細菌との戦いにも応用していくとしています 。薬剤耐性菌という静かなパンデミックに対し、AI創薬が強力な武器となる未来が期待されます。