はじめに
本稿では、AI、特に大規模言語モデル(LLM)が生成する情報の「精度」をいかにして向上させるか、というテーマについて深掘りします。AIとの対話で、時折もっともらしいけれど事実ではない「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる回答に遭遇した経験はないでしょうか。AIをビジネスや重要な意思決定のパートナーとして活用していく上で、その回答の信頼性を高めることは不可欠です。
今回は、IBM Technology が公開している「How to Make AI More Accurate: Top Techniques for Reliable Results」という動画コンテンツの内容を元に、AIの精度を向上させるための具体的な技術を解説していきます。
引用元記事
- タイトル: How to Make AI More Accurate: Top Techniques for Reliable Results
- 発行元: IBM Technology
- 発行日: 2025年6月30日
- URL:https://www.youtube.com/watch?v=pNbU1vGkIK4
要点
- RAG(検索拡張生成)は、LLMが元々持っていない最新情報や専門知識を外部の信頼できるデータソースから取得し、回答生成時に参照させることで、事実に基づいた正確な回答を可能にする技術である。
- 適切なモデルの選択は、AIの精度を左右する重要な要素である。幅広い知識を持つ汎用モデルと、特定分野に特化した専門モデルを、解決したい課題に応じて使い分ける「適材適所」が求められる。
- CoT(Chain of Thought Prompting)は、AIに結論だけを求めず、「思考の連鎖」、つまり結論に至るまでの中間的な推論プロセスを段階的に生成させることで、特に論理的な問題解決の精度を向上させる手法である。
- LLMチェイニングは、複数の異なるLLMを連携させ、あるLLMの出力を次のLLMが修正・改善するというプロセスを繰り返すことで、単一のモデルでは得られない、より洗練された集合知的な回答を生成する技術である。
- MoE(専門家混合)は、単一の巨大なモデルの内部に、それぞれ異なる専門分野を持つ複数の「エキスパート(サブモデル)」を配置するアーキテクチャである。入力された質問に応じて、最適なエキスパートが処理を分担することで、効率的かつ高精度な回答を実現する。
- Temperature設定は、AIの回答の「創造性」と「事実性」のバランスを調整するパラメータである。科学的な事実など厳密さが求められる場合は低く、芸術的なアイデア出しなど多様性が求められる場合は高く設定する。
- システムプロンプトとRLHF(人間のフィードバックによる強化学習)は、AIの振る舞いを制御し、より安全で人間にとって望ましい回答を生成するようにモデルを継続的にチューニングするための補足的ながら重要な技術である。
詳細解説
なぜAIは「もっともらしい嘘」をつくのか?
AIの精度向上技術を理解する前に、なぜAIが「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる、事実に基づかないもっともらしい回答を生成してしまうのかを簡単に理解しておく必要があります。
大規模言語モデル(LLM)は、膨大なテキストデータを学習し、そのデータに含まれる単語や文の「次に来る確率が最も高い言葉」を予測して文章を生成しています。これは、事実を理解して回答しているというよりは、統計的に最もそれらしい言葉の連なりを紡ぎ出している状態です。そのため、学習データに含まれていない最新の情報や、非常に専門的な知識、あるいは文脈上ありえそうな作り話などを、あたかも事実であるかのように自信満々に回答してしまうことがあるのです。
これから紹介する技術は、このLLMの特性を理解した上で、いかにしてその出力を事実に基づいた、より信頼できるものにするかという工夫の数々です。
LLMの技術的工夫
1. RAG (Retrieval-Augmented Generation):外部知識でAIを補強する
RAGは「検索拡張生成」と訳され、LLMの精度を向上させる最も代表的な技術の一つです。これは、LLMが回答を生成する前に、外部の信頼できるデータベースから関連情報を検索(Retrieval)し、その情報をプロンプト(指示文)に加えて(Augmented)から回答を生成(Generation)させるという仕組みです。
例えるなら、テストを受ける学生(LLM)に、教科書や参考書の持ち込み(外部データベースからの情報)を許可するようなものです。LLMが元々持っている知識だけでは答えられない質問(例:自社の最新の製品情報や、昨日更新された社内規定など)に対しても、持ち込んだ資料を参照することで、正確な回答ができるようになります。
この技術の鍵となるのが「ベクトルデータベース」です。これは、テキストや画像などの情報を「ベクトル」と呼ばれる数値の配列に変換して格納するデータベースで、意味的に関連性の高い情報を高速に検索することを得意とします。ユーザーからの質問が入力されると、まずその質問と関連性の高い情報をベクトルデータベースから探し出し、LLMへのプロンプトに埋め込むのです。
2. 適切なモデルの選択:課題に合わせた「専門家」を選ぶ
AIモデルには、様々なトピックを広く浅く学習した「汎用大規模モデル」と、特定の分野(医療、法律、サイバーセキュリティなど)の知識を深く学習した「特化型モデル」があります。
- 汎用大規模モデル: 幅広い一般的な質問に対してはそつなく回答できますが、専門的な質問に対してはハルシネーションを起こす可能性が比較的高くなります。総合病院の総合診療医のようなイメージです。
- 特化型モデル: 自身の専門分野に関する質問には非常に高い精度で回答できますが、専門外の質問には全く答えられない可能性があります。心臓外科や脳神経外科といった専門医のようなイメージです。
重要なのは、解決したい課題の性質を見極め、最適なモデルを選択することです。例えば、サイバーセキュリティに関するインシデント対応の助言が欲しいのであれば、その分野に特化したモデルを使う方が、汎用モデルよりもはるかに信頼性の高い回答を得られるでしょう。
3. CoT (Chain of Thought Prompting):AIに「思考の過程」を説明させる
CoTは「思考の連鎖」を促すプロンプティング技術です。これは、AIにいきなり最終的な答えを求めず、「ステップバイステップで考えてみましょう」のように、結論に至るまでの中間的な思考プロセスを明示的に生成させる手法です。
例えば、算数の文章問題で、答えだけを書かせるのではなく、途中の計算式も書かせるのと同じです。思考の過程を一つずつ踏ませることで、複雑な論理的推論が必要な問題でも、間違いを犯す可能性を減らすことができます。
- ゼロショットCoT: プロンプトに「ステップバイステップで考えて」といった魔法の言葉を追加するだけで、AIが自ら思考プロセスを生成し始める手法です。
- フューショットCoT: プロンプト内に、いくつかの質問と、その思考プロセスを含んだ回答例を提示することで、AIに解き方を学ばせてから本題の質問に答えさせる手法です。
この技術は、特に数学の問題や論理パズルのような、厳密な推論が求められるタスクで絶大な効果を発揮します。
4. LLMチェイニング:AI同士で議論させ、回答を洗練させる
LLMチェイニングは、複数のLLMを鎖(チェーン)のようにつなぎ、一つのLLMの出力を次のLLMに渡して、修正(Revise)と反映(Reflect)を繰り返させる技術です。
これは、一人の専門家の意見に頼るのではなく、複数の専門家を集めて会議を開き、議論を通じて結論を洗練させていくプロセスに似ています。あるモデルが生成した回答を、別の視点を持つモデルが批評し、改善案を出す。このやり取りを繰り返すことで、より多角的で、誤りの少ない、質の高い回答を生成することが可能になります。
また、一人の監督役(スーパーバイザー)となるLLMが、複数のLLMに同じ質問を投げかけ、返ってきた複数の回答を評価・統合して最終的な答えを決定するというアーキテクチャもあります。これは、クイズ番組の「テレフォン」で複数の友人に電話をかけ、最も信頼できる答えを選ぶのに似ています。
5. MoE (Mixture of Experts):「専門家チーム」を内蔵したAI
MoEは「専門家混合」と訳され、LLMチェイニングと考え方は似ていますが、アーキテクチャが異なります。LLMチェイニングが外部の複数のモデルを連携させるのに対し、MoEは単一の巨大なモデルの内部に、それぞれ異なる専門性を持つ複数の「エキスパート」と呼ばれるサブモデルを内蔵しています。
そして、「ゲーティングネットワーク」と呼ばれる司令塔が、ユーザーからの質問の内容を判断し、その質問を解決するのに最も適したエキスパート(あるいは複数のエキスパート)に処理を割り振ります。
これは、一人の人間が脳を使う際に、言語的な処理は言語野、視覚的な処理は視覚野といったように、問題に応じて適切な部位を活性化させるのに似ています。全ての処理を一つの巨大なモデルで行うのではなく、専門家チームに問題を分担させることで、計算コストを抑えつつ、より高速で高精度な処理を実現する、非常に効率的なアーキテクチャです。
6. その他の重要な技術
- Temperature設定の調整:
Temperatureは、AIの回答のランダム性、つまり「創造性」をコントロールするパラメータです。この値を低く設定(例:0.1)すると、回答はより決定論的で事実に基づいた一貫性のあるものになります。逆に高く設定(例:1.0)すると、回答はより多様で創造的、時には予測不能なものになります。歌詞の作成やブレインストーミングでは高い設定が、科学的な質問への回答や要約では低い設定が適しています。 - システムプロンプト:
ユーザーが見る通常のプロンプトとは別に、AIモデルの振る舞いの基本方針を定義するために、裏側で常に与えられている指示のことです。「あなたは親切なアシスタントです」「常に正確な情報を提供するように努めてください」といった役割設定やガードレールを設けることで、出力のトーンや安全性を制御します。 - RLHF (Reinforcement Learning with Human Feedback):
「人間のフィードバックによる強化学習」と訳されます。AIが生成した複数の回答を人間が評価し、「良い回答(高評価)」「悪い回答(低評価)」のラベルを付けます。AIはこのフィードバックを報酬として学習し、人間がより好むような、より役に立つ回答を生成するように自己をチューニングしていきます。多くのチャットAIに搭載されている「Good」「Bad」ボタンがこの仕組みの一部です。
まとめ
本稿では、AI、特にLLMの精度を向上させるための8つの主要な技術について解説しました。
RAGによる外部知識の参照、目的に応じたモデル選択、CoTによる論理的思考の促進、LLMチェイニングやMoEによる集合知の活用、そしてTemperature設定やRLHFによるきめ細やかなチューニング。これらの技術は、AIが時折見せる「ハルシネーション」を抑制し、私たちがより安心してその能力を活用するための重要な鍵となります。
これらの技術は単独で機能するだけでなく、複合的に組み合わせることで、さらに強力な効果を発揮します。AIの精度向上への取り組みは、AIを単なる便利なツールから、真に信頼できる知的パートナーへと進化させるための、現在進行形の重要な挑戦なのです。