はじめに
本稿では、急速に進化するAI開発の現場で注目を集めるオープンソースフレームワーク「LangChain」と、そのセキュリティ強化に向けたMicrosoftの重要な取り組みについて「Microsoft and LangChain: Leading the Way in AI Security for Open Source on Azure」をもとに解説します。
引用元記事
- タイトル: Microsoft and LangChain: Leading the Way in AI Security for Open Source on Azure
- 著者: Marlene Mhangami
- 発行元: Microsoft (DevBlogs)
- 発行日: 2025年6月5日
- URL: https://devblogs.microsoft.com/blog/microsoft-and-langchain-leading-the-way-in-ai-security-for-open-source-on-azure
要点
- AI開発において、オープンソースツール、特にLangChainの利用が急速に拡大しているが、セキュリティリスクへの対応が不可欠である。
- Microsoftは、「Secure Future Initiative (SFI)」の一環として、LangChainのセキュリティレビューを実施し、いくつかの脆弱性を特定した。
- MicrosoftとLangChainは提携し、Azure統合を皮切りにLangChain全体のセキュリティ強化を進めている。これには、コードレビュー、CIツールの提供、ドキュメント改善などが含まれる。
- この提携は、オープンソースAIエコシステムの安全な発展を目指すものであり、AzureをAI構築のための最も安全なプラットフォームにするというMicrosoftの目標にも合致する。
- 開発者は、新しいAzure AIパッケージ (langchain-azure-aiなど) を利用して、Azure上のAIモデルに安全にアクセスできるようになる。
詳細解説
AI開発とオープンソースの現状
現代のAI開発は、かつてないスピードで進んでいます。この急速な進化を支える大きな力の一つが、オープンソースソフトウェア(OSS)です。中でも、LangChainは、AIアプリケーション、特に大規模言語モデル(LLM)を活用したアプリケーションの構築を容易にするフレームワークとして、開発者の間で急速に人気を高めています。事実、Pythonのパッケージ管理システムPyPIにおけるLangChainのダウンロード数は、OpenAI SDKを上回るほどです(LangChain Interrupt 2025 基調講演より)。
LangChainとは具体的に何か?
LangChainは、LLMをアプリケーションに組み込むための様々な「構成要素」を提供するツールキットのようなものです。例えば、特定のタスクを実行するための一連の処理(Chain)、自律的に判断して行動するAI(Agent)、外部ツールとの連携機能(Tools)などが用意されています。これにより、開発者はチャットボット、文書要約、質疑応答システムといった複雑なAIアプリケーションを効率的に開発できます。さらに、LangChainは様々なLLMや、ベクトルストア(テキストなどのデータを数値ベクトルとして効率的に検索可能にするデータベース)との連携もサポートしており、より高度なAIシステムの構築、例えばマルチエージェントアーキテクチャ(複数のAIエージェントが協調してタスクを遂行するシステム)の実現を後押しします。
オープンソースAIにおけるセキュリティリスク
LangChainのように広範なコミュニティによって開発が進められ、多くのサードパーティ製ツールとの連携が可能なエコシステムは、開発の柔軟性やスピードを向上させる一方で、セキュリティ上の新たな課題も生み出します。MicrosoftのAIセキュリティガイダンスでは、LLMを活用したアプリケーションにおける主なリスクとして以下の2点を挙げています。
- 情報漏洩 (Information Leakage): アプリケーションが扱う機密データや個人情報が、意図せず外部の不正な第三者に漏れてしまうリスクです。LLMが学習データやプロンプトに含まれる機密情報を記憶し、応答として出力してしまうケースなどが考えられます。
- 権限昇格 (Privilege Escalation): ユーザーや外部システムが、本来許可されている以上の操作権限を不正に取得し、システムに損害を与えたり、機密情報にアクセスしたりするリスクです。特にLangChainのAgentのように、外部ツールを呼び出したりコードを実行したりする機能を持つ場合、入力の検証が不十分だと悪意のあるコードを実行されてしまう可能性があります。
これらのリスクは、LLM駆動型アプリケーションが外部データを取り込み、コードを実行し、様々なサービスと連携する過程で顕在化しやすいため、特に注意が必要です。
Microsoftの取り組みとLangChainとの提携
Microsoftは、自社製品だけでなく、顧客、そしてIT業界全体のセキュリティ向上を目指す包括的な取り組みとして「Secure Future Initiative (SFI)」を推進しています。このイニシアチブは、近年重要性が増しているオープンソースソフトウェアのセキュリティも対象としています。
その一環として、Microsoftのセキュリティ専門チームがLangChainのコードを詳細にレビューした結果、いくつかのセキュリティ上の問題点が発見されました。特に、サードパーティ製の連携機能を集めたlangchain-communityパッケージや、研究・実験的な機能が含まれるlangchain-experimentalパッケージにおいて改善の余地が見つかりました。これらのパッケージはLangChainのコア機能とは別扱いですが、開発者がその違いを十分に認識せずに利用してしまう可能性も指摘されています。
この状況を受け、MicrosoftはLangChainと正式に提携し、セキュリティ問題の解決に向けて協力していくことを発表しました。LangChainの共同創設者兼CEOであるHarrison Chase氏も、「エンタープライズ対応を進める上で、langchain-communityやlangchain-experimentalをオプションの別パッケージとして再構築した次のステップとして、Microsoftとの協業を通じて、より多くの企業が安全かつ効果的にAIを活用できるよう支援できることを楽しみにしている」と述べています。
Microsoftによる具体的な支援内容は多岐にわたります。
- エンジニアリングリソースの提供: セキュリティ脆弱性の修正や、より安全な設計の導入を支援するための専門技術者を提供します。
- CI/CDツールの提供とワークフロー構築: CI(継続的インテグレーション)とは、コードの変更を頻繁にリポジトリに統合し、自動的にビルドやテストを実行する開発手法です。Microsoftは、安全でないコードがプロジェクト本体に混入するのを未然に防ぐためのCIツールや、その運用ワークフローの構築を支援します。
- Alpha-Omegaプロジェクトを通じたドキュメント改善支援: Alpha-Omegaプロジェクトは、GoogleとMicrosoftが主導する、重要なオープンソースソフトウェアのセキュリティを強化するための業界横断的な取り組みです。この枠組みを通じて、LangChainのドキュメントを改善し、開発者が潜在的なセキュリティリスクを理解しやすく、安全な利用方法を選択できるように支援します。
- LangChain-Azureモノレポの作成: モノレポとは、複数の関連プロジェクトやライブラリのソースコードを単一のリポジトリで管理する手法です。LangChainとAzure関連のコードを一元化することで、連携を強化し、セキュリティアップデートなどを迅速かつ整合性を持って適用しやすくする狙いがあります。
AzureにおけるLangChainの活用と将来展望
Microsoftは、自社のクラウドプラットフォームであるAzureを、AIアプリケーションを構築・実行するための最も安全な場所にするという目標を掲げています。今回のLangChainとの提携は、その目標達成に向けた重要な一歩と言えるでしょう。
具体的には、開発者は新たに提供されるAzure AI連携パッケージを利用することで、Microsoft Azure上で提供される様々なAIモデル群(Azure AI Foundry)に、LangChainを通じてより安全かつ容易にアクセスできるようになります。
- Python開発者向けには langchain-azure-ai パッケージ (インストールコマンド: pip install langchain-azure-ai)
- JavaScript開発者向けには langchain-azure-js パッケージ
- Java開発者向けには、コミュニティによって開発・維持されている LangChain4J パッケージのアップデート
記事で紹介されているPythonのコード例を見てみましょう。
from langchain_azure_ai.chat_models import AzureAIChatCompletionsModel
from langchain_core.messages import HumanMessage, SystemMessage
model = AzureAIChatCompletionsModel(
endpoint="https://{your-resource-name}.services.ai.azure.com/models", # Azure AIのエンドポイントURL
credential="your-api-key", # Azure AIのAPIキー
model="deepseek/DeepSeek-R1-0528" # 使用するモデル名
)
messages = [
SystemMessage(content="あなたは親切なアシスタントです。"), # システムへの指示
HumanMessage(content="Translate the following from English into Italian: 'hi!'") # ユーザーからの入力
]
message_stream = model.stream(messages) # モデルにメッセージを渡し、ストリーミングで応答を取得
for chunk in message_stream:
print(chunk.content, end="") # 応答を順次表示
このコードは、langchain-azure-ai を使ってAzure上の特定のAIモデル(この例では deepseek/DeepSeek-R1-0528)に接続し、「’hi!’ を英語からイタリア語に翻訳して」という指示を送信しています。stream メソッドを使用することで、モデルからの応答をリアルタイムに少しずつ受け取ることができます。
MicrosoftとLangChainの協業は、単に一つのツールのセキュリティを向上させるだけでなく、オープンソースソフトウェアを活用してAI開発を行うすべての開発者にとってのモデルケースとなることが期待されています。Microsoftは「信頼」を事業の中核に据えており、今後もオープンな形でコミュニティと協力し、Azure上で実行されるAIアプリケーションの安全性を継続的に高めていく方針です。
まとめ
本稿では、MicrosoftとLangChainが提携し、オープンソースAIのセキュリティ強化に取り組んでいる現状について詳しく解説しました。AI技術の進化がもたらす恩恵は計り知れませんが、その力を安全に活用するためには、セキュリティへの意識と対策が不可欠です。
LangChainのような強力かつ柔軟なフレームワークが、Microsoftのような大手テクノロジー企業の支援を受けてセキュリティを向上させることは、開発者コミュニティ全体にとって非常に心強い動きです。特に、Azureを利用してAIアプリケーションを開発している、あるいはこれから開発しようとしている方々にとっては、セキュリティが強化されたLangChainのエコシステムは、より安心して革新的なプロジェクトに集中できる基盤となるでしょう。
AI開発のスピードとイノベーションを損なうことなく、いかにして安全性を確保していくか。この課題に対するMicrosoftとLangChainの先進的な取り組みは、今後のAI業界におけるセキュリティ標準を形作る上で、重要な役割を果たすことが期待されます。