はじめに
本稿では、英The Guardianに掲載された現役大学生エルシー・マクダウェル氏による論評記事『It’s true that my fellow students are embracing AI – but this is what the critics aren’t seeing』を基に、現代の学生がなぜ学習にAIを利用するのか、その背景を深く掘り下げて解説します。
AI、特にChatGPTのような生成AIの教育利用については、「不正行為の温床になる」「学生の思考力を低下させる」といった批判的な声が後を絶ちません。しかし、筆者は自身の経験を踏まえ、学生たちがAIに頼るのは単なる怠惰からではなく、コロナ禍によって引き起こされた教育システムの混乱と、深刻化する経済的な困窮という、より複雑な問題が根底にあると主張します。
引用元記事
- タイトル: It’s true that my fellow students are embracing AI – but this is what the critics aren’t seeing
- 著者: Elsie McDowell
- 発行元: The Guardian
- 発行日: 2025年6月29日
- URL: https://www.theguardian.com/commentisfree/2025/jun/29/students-ai-critics-chatgpt-covid-education-system
要点
- 学生によるAIの利用は、単なる怠惰や不正行為として片付けられる問題ではない。
- コロナ禍による全国統一試験の中止や、大学における試験形式の頻繁な変更が、学生の学習環境に大きな不確実性をもたらした。
- 生活費や学費の高騰により、多くの学生はアルバイトに追われ、学業に専念するための時間的・経済的余裕を失っている。
- AIは、このような不安定な教育環境と経済的困窮の中で、時間を節約し、学習を効率化するための不可欠なツールとなっている。
- 根本的な問題は学生の意欲ではなく、教育システムそのものの構造にある。大学は一貫した評価基準を設け、AIの適切な利用に関する明確な指針を示す必要がある。
詳細解説
AI利用は「不正」という単純な話ではない
高等教育におけるAIの役割について語られるとき、その論調は悲観的なものになりがちです。「学生たちはAIツールを使って集団で不正行為に及び、自らを愚かにしている」といった批判が典型的なものです。
しかし、記事の筆者であり現役大学生でもあるエルシー・マクダウェル氏は、実態はもっと複雑だと指摘します。彼女の周りの学生たちは、AIを単なる不正の道具ではなく、リサーチの手助けや、エッセイの構成を考えるための「学習プロセスにおける有用なツール」として捉えているのです。もちろん、大規模言語モデル(LLM)の乱用に関する懸念は正当なものですが、なぜこれほど多くの学生がAIに目を向けるようになったのかを理解するためには、彼らが置かれている教育的な背景に目を向ける必要があります。
前提知識:コロナ禍がもたらした教育現場の混乱
記事の核心に触れる前に、イギリスの教育制度について少し補足します。イギリスの学生は通常、義務教育の最後にGCSE(全国統一試験)を受け、大学進学のためにはAレベルというさらに高度な試験を突破する必要があります。これらは日本の大学入学共通テストのように、その後の進路を大きく左右する重要な全国一斉試験です。
筆者が15歳になろうとしていた2020年3月、新型コロナウイルスのパンデミックにより、イギリス国内の学校は閉鎖されました。これに伴い、GCSEとAレベルは相次いで中止となり、成績は教員による評価で代替されるという異例の事態となりました。この措置は、結果的にもともと成績の良い私立学校の生徒に有利に働いたと指摘されています。
筆者の世代は、その後も断続的な学校閉鎖や政府の場当たり的な方針転換に翻弄され続けました。そして2023年、彼女の学年は「通常」の試験が再開された最初の世代となりましたが、今度は成績のインフレを抑制するという名目の下で厳しい採点が行われ、多くの学生が予想をはるかに下回る成績を突きつけられました。
この混乱は大学教育にも波及しました。ロックダウン中は学生がキャンパスに通えないため、多くの大学でオンライン形式のオープンブック試験(教科書や資料の参照が許可される試験)が導入されました。そして、パンデミックが落ち着いた後も、約70%の大学が何らかの形でオンライン評価を継続しているのです。
筆者自身の経験として、大学1年次には試験の半分がオンラインでしたが、2年次にはすべてが手書きのクローズドブック試験(資料の持ち込みが一切禁止される試験)に戻りました。しかも、どちらの年も試験形式が正式に確定したのは学年度がかなり進んでからでした。このような一貫性のない、不安定な状況が、学生たちを大きな不安に陥れたことは想像に難くありません。
学生の窮状と「時間節約ツール」としてのAI
ChatGPTが2022年に公開されたとき、大学の教育現場はまさにこのような混乱の最中にありました。試験形式は大学ごと、さらには学部内ですら一貫性を欠き、場当たり的な変更が繰り返されていました。このような不確実性の高い状況が、助けを求める学生たちにとってAIの魅力を高め、その利用を加速させる一因となったのです。
問題は教育システムだけではありません。学生が直面する経済的な困窮も深刻です。記事によれば、現在の英国では学生の68%がアルバイトに従事しており、これは過去10年間で最も高い割合です。奨学金制度も、最も貧しい家庭出身の学生が最も多くの負債を抱える仕組みになっており、筆者の世代からは返済期間も30年から40年へと延長されました。
つまり、現代の学生は「学生として学業に専念するための時間」をかつてないほど失っています。このような状況下で、AIは非常に強力な「時間を節約するためのツール」として機能します。複雑な概念を分かりやすく要約させたり、レポートの構成案を瞬時に作成させたりすることで、限られた時間を効率的に使おうとするのは、ある意味で当然の帰結と言えるでしょう。学生がAIを使うのは、彼らが怠惰だからではなく、そもそも学業に十分な時間とリソースを割くことができないほど、大学のシステムそのものに問題が生じているからなのです。
まとめ
本稿で紹介した記事は、学生のAI利用という現象を、単なる個人の倫理観の問題ではなく、社会構造的な問題として捉え直す重要性を示唆しています。
筆者のエルシー・マクダウェル氏が訴えるように、学生たちがAIに頼る背景には、コロナ禍が露呈させた教育システムの不確実性と、深刻化する一方の経済的なプレッシャーという2つの大きな要因が存在します。テクノロジーが急速に進化する一方で、学生であることの意味そのものが大きく揺らいでいるのです。 AIの利用を単純に禁止したり、学生を一方的に非難したりするだけでは、根本的な解決には至りません。求められるのは、大学側が一貫性のある評価方針を定め、その上でAIをどのように学習に活用できるかという明確で建設的なガイドラインを示すことです。良くも悪くも、AIはすでに私たちの社会に定着しています。教育現場がこの新しい現実とどう向き合っていくのか、私たち一人ひとりが考えるべき時期に来ていると言えるでしょう。