はじめに
本稿では、かつてスマートフォンの音声アシスタントとして革新的な登場を果たしたAppleのSiriが、AI技術が急速に進化する現代においてなぜ期待に応えられていないのか、そしてAppleのAI戦略が抱える課題と今後の展望についてCNBCがYouTubeで公開した動画「Why Apple’s Siri Is Still So Bad In The Age Of AI」の内容を基に解説します。
引用元記事
- タイトル: Why Apple’s Siri Is Still So Bad In The Age Of AI
- 発行元: CNBC (YouTube)
- 発行日: 2025年6月6日
- URL: https://www.youtube.com/watch?v=wsuD8UGWQSs
要点
- Siriは2011年の登場時、音声アシスタントとして画期的であったが、現在のAI競争においてはChatGPTなどの競合サービスに比べて機能面で見劣りすると評価されている。
- AppleのAI開発の遅れは、技術的な判断の遅れ、プライバシーを最優先する企業戦略、そしてそれに伴うデータ収集と活用における制約、クラウドインフラの相対的な弱さなど、複数の要因が絡み合っている。
- Appleは、「Apple Intelligence」という新たなAI戦略を打ち出し、オンデバイスAI(デバイス上でのAI処理)に注力することで巻き返しを図ろうとしているが、その実現には依然として多くの課題が存在する。
- 一方で、Appleが持つ20億を超える広大なデバイスエコシステム、自社設計の高性能チップ、そして長年培ってきたユーザーからの信頼は、今後のAI競争において大きな強みとなり得る。
詳細解説
Siri登場の衝撃と現状のギャップ
2011年にiPhone 4Sと共に発表されたSiriは、まるでSF映画のように「声でスマートフォンを操作する」という未来的な体験を提供し、世界に衝撃を与えました。当時は、特定のキーワードに反応するだけの音声認識とは異なり、より自然な言葉での対話を目指したSiriは、まさに革命的でした。スティーブ・ジョブズ氏が個人的に情熱を注いだプロジェクトとしても知られています。
しかし、Siriの登場から10年以上が経過した現在、ユーザーからは「指示を聞き間違える」「文脈を理解してくれない」「できることが少ない」といった不満の声が少なくありません。特に、2022年11月にOpenAIがChatGPTを発表して以降、生成AI技術は目覚ましい進歩を遂げ、GoogleのGeminiやAmazonのAlexaなども高度な対話能力や情報処理能力を示す中で、Siriの進化の遅れは際立って見えます。
CNBCの記事では、Siriが「期待外れだった」という専門家のコメントや、新しいiOS 18でのSiriの改善に期待する声と、依然として基本的な機能に不満を持つユーザーの声が紹介されています。例えば、「NBA選手のザック・ラビーンは今夜試合に出る?」という質問に対し、Siriがウェブ検索結果を表示するだけで明確な答えを返せない場面は、多くのユーザーが経験するSiriの限界を象徴していると言えるでしょう。
AppleのAI戦略のつまずき
Appleは長らくAI分野で目立った動きを見せていませんでしたが、生成AIの波に乗り遅れまいと、2023年には「Apple Intelligence」を発表しました。これは、Apple製品全体にAI機能を統合し、よりパーソナルで便利な体験を提供することを目指すものです。
しかし、その船出は順調とは言えませんでした。記事によると、Apple Intelligenceの初期機能の一部、例えば通知を要約する機能では、ニュース記事の内容を誤って解釈し、文字通り「フェイクニュース」をユーザーにプッシュしてしまうという問題が発生しました。BBCニュースが報じた内容をApple Intelligenceが誤って要約した事例は、大きな問題として取り上げられました。このようなつまずきは、AppleがAI開発において慎重である一方で、市場の期待に応える品質を担保することの難しさを示しています。
また、Appleの株価も、MicrosoftやGoogleといったAI分野で先行する他の巨大テック企業と比較して伸び悩む時期があり、投資家からもAI戦略の遅れに対する懸念が示されていました。ティム・クックCEOは「我々は遅れていない」と主張しましたが、市場の評価は厳しいものでした。
なぜAppleはAI開発で遅れたのか?
Siriが初期のリードを活かせず、AppleがAI開発競争で後れを取った背景には、複数の要因が複雑に絡み合っています。
1. 技術的・戦略的要因:自社開発の遅れと外部依存
Appleは、AIの頭脳となる大規模言語モデル(LLM)の自社開発において、GoogleやOpenAIといった競合他社に比べて遅れをとっていると指摘されています。CNBCの記事では、専門家が「彼ら(Apple)は社内でモデルを開発し、社内で実装していません。彼らはサードパーティに依存し、トレンドを追っています」とコメントしているように、AppleはOpenAIの技術を利用するなど、外部パートナーへの依存度が高いと見られています。これにより、AIモデルの挙動を細かく制御したり、Apple製品との深いレベルでの統合を進めたりする上で制約が生じる可能性があります。また、技術の「ガードレール」や「コントロール」を失うリスクも伴います。
2. 組織的要因:チーム再編と人材獲得
AI開発体制の構築にも時間がかかったと見られています。記事では、AppleがAIチームを再編し、主要なSiriのアップデートを遅らせ、LLMのトップタレントの採用においても競合より遅れをとった可能性が示唆されています。
3. インフラストラクチャの課題:クラウドの弱み
現代の高度なAIモデル、特にLLMの開発と運用には、膨大な計算資源を提供するハイパースケールなクラウドインフラが不可欠です。Microsoft (Azure) やGoogle (Google Cloud)、Amazon (AWS) は、この分野で圧倒的な強みを持ち、自社のAI開発を加速させています。一方、Appleはクラウド事業を主力としておらず、このような大規模インフラを自前で十分に保有していません。この点が、AIモデルの開発競争において不利に働いている可能性があります。AppleのAI戦略は、クラウドへのデータ送信を最小限に抑えるオンデバイスAIに重点を置いていますが、複雑な処理や最新情報を扱う場合はクラウド連携が依然として重要です。記事では、「彼ら(Apple)は、他社が持つ研究開発と実装のためのエコシステムを持っていません」と指摘されています。
4. プライバシー重視の功罪
Appleは創業以来、ユーザーのプライバシー保護を最も重要な原則の一つとして掲げてきました。これは多くのユーザーから支持され、Appleブランドの信頼性を高める上で大きく貢献してきました。しかし、AI開発、特にLLMの訓練には膨大な量の多様なデータが必要となります。Appleのプライバシー重視の姿勢は、AIモデルの訓練に利用できるユーザーデータの収集と活用を大幅に制限する結果となり、これがAI開発のスピードと性能向上において一種の「足かせ」になっているという見方があります。
記事では、「Appleは常にユーザーのプライバシーと最新機能のバランスを取らなければなりませんでした。AIに関しては、その考え方の不利な点が見られます」と述べられています。Googleが検索データやGmailのデータを(匿名化しつつも)活用し、xAI(旧Twitter)のGrokがXプラットフォームの膨大な投稿データを学習に利用するのとは対照的です。Appleは、公開されているデータやAIによって生成された合成データに頼らざるを得ず、これがモデルの性能を限定的にしている可能性が指摘されています。
AppleはAI競争に勝てるのか?今後の展望
多くの課題を抱えるAppleですが、AI競争において逆転する可能性が全くないわけではありません。同社が持つ独自の強みも存在します。
1. Appleの強み:
圧倒的なデバイスエコシステム: 全世界で20億台以上がアクティブに稼働していると言われるAppleデバイスの存在は、最大の強みです。将来的に高度なAI機能がこれらのデバイスに展開されれば、その影響力は計り知れません。
自社製高性能チップ: iPhone向けのAシリーズチップやMac向けのMシリーズチップなど、Appleは業界最高水準の半導体を自社で設計・開発しています。これらのチップは、オンデバイスAI(デバイス上でAI処理を行う技術)の実行に最適化されており、プライバシーを保ちつつ高速なAI処理を実現する上で有利です。記事では、「もし彼らがオンデバイスで生成AIを実装できれば、それはAppleとSiriにとって大きな価値をもたらすでしょう」と、オンデバイス生成AIへの期待が語られています。
ユーザーからの信頼: 長年にわたるプライバシー保護への取り組みは、ユーザーからの高い信頼を得ています。個人情報との連携が不可欠なAIサービスにおいて、この信頼は大きなアドバンテージとなり得ます。
顧客満足度重視の姿勢: ティム・クックCEOは常に顧客満足度を最優先事項としており、短期的な市場の評価に左右されず、質の高い製品を適切なタイミングで提供する戦略が、長期的には成功を収めてきたと記事は評価しています。
2. 課題とリスク:
競争の激化: AI分野の競争はますます激しくなっています。記事では、iPhoneの元チーフデザイナーであるジョニー・アイブ氏がOpenAIと提携し、新たなAIデバイスを開発する計画が報じられ、これがAppleにとって潜在的な脅威となる可能性に言及しています。
AI開発の複雑さとAppleの認識: AppleがAIへのシフトの複雑さを過小評価していた可能性が指摘されており、これがOpenAIとの提携に至った一因ではないかと分析されています。
市場の期待と懐疑論: WWDC(世界開発者会議)などのイベントでのAI関連発表に対しては、市場から高い期待が寄せられる一方で、過去のSiriの経緯などから懐疑的な見方も根強く存在します。
3. Appleの戦略転換の兆し:
Appleは、新機能の発表タイミングを、実際のリリース時期により近づける方向にシフトしていると報じられています。これは、過度な期待を招くことを避け、より現実的な情報提供へと舵を切ろうとしている表れかもしれません。
まとめ
本稿では、CNBCの記事を基に、AppleのSiriがAI時代においてなぜ期待に応えられていないのか、そしてAppleのAI戦略が直面する課題と今後の展望について解説してきました。
SiriとAppleのAIは、同社が長年重視してきたプライバシー保護の方針や、ハードウェアとソフトウェアの垂直統合といった独自の強みと、AI開発におけるデータ収集の制約やクラウドインフラの相対的な弱みという側面が複雑に絡み合い、現在のAI競争において独特の立ち位置にいます。
「Apple Intelligence」が今後どのように進化し、Siriが真に「賢い」アシスタントへと変貌を遂げるのか、あるいは競合他社の猛追の中で新たな価値を提供できるのか。Appleは今、AI時代における自社の未来を左右する重要な岐路に立たされていると言えるでしょう。
この動向は、単に一企業の戦略に留まらず、私たちが日常的に利用するiPhoneやMacといったデバイスの利便性や体験を大きく変える可能性を秘めています。日本のユーザーにとっても、AppleのAI戦略の行方は、引き続き注目すべき重要なテーマです。