[ニュース解説]人間の意識は脳が作る幻覚? AIが意識を持てない生物学的な理由

目次

はじめに

 近年、人工知能(AI)の進化は目覚ましく、私たちの生活や社会に大きな影響を与え始めています。特に、大規模言語モデル(LLM)などの登場により、「AIはいつか人間のような意識を持つのではないか?」という問いが、SFの世界だけでなく、現実的な議論として交わされるようになりました。AIが人間の知能を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」が到来するとの予測もありますが、果たして知能の獲得は、そのまま意識の獲得につながるのでしょうか?

 本稿では、人間の意識を「制御された幻覚」であると捉え、AIは原理的に意識を持つことができないと主張する神経科学者アニル・セス氏の研究を紹介する記事を取り上げ、その内容を詳しく解説します。AIと人間の意識の違い、そして意識の本質について、詳細にお伝えしていきます。

引用元記事

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要点

  • サセックス大学の神経科学者アニル・セス氏は、人間の意識を知能とは異なるものと捉えています。AIが人間を超える知能を持つシンギュラリティが到来したとしても、それが意識の獲得を意味するわけではないと主張します。
  • セス氏は、人間の意識を「制御された幻覚」であると説明します。これは、脳が生存のために、感覚情報に基づいて常に世界を予測し、構築しているプロセスを指します。
  • この理論に基づくと、意識は私たちの生物学的な身体と深く結びついています。生命活動(代謝や自己産生能力など)を持つ身体が、意識の基盤であると考えられます。
  • AIは、どれだけ高度な計算能力を持ったとしても、このような生物学的な身体を持たないため、原理的に人間のような意識を獲得することはできない、というのがセス氏の見解です。
  • セス氏は、意識を持つ可能性のある機械を作ることは、新たな苦しみを生み出す倫理的な問題を引き起こす可能性があると警鐘を鳴らしています。
  • 一方で、AI(特にニューラルネットワーク)の研究は、人間の意識の仕組みを理解する上で役立つと考えており、意識研究における生物学的なアプローチ(脳オルガノイド研究など)の重要性も指摘しています。

詳細解説

シンギュラリティと「意識」の問題

 AI研究の世界では、「シンギュラリティ」という言葉がしばしば登場します。これは元々、物理学でブラックホールの中心など、既知の物理法則が通用しなくなる点を指す言葉ですが、AIの文脈では、AIが人間の知能を超え、予測不能な技術革新や社会変革が起こる時点を意味します。このシンギュラリティが今世紀中に起こると考える専門家も少なくありません。

 しかし、セス氏は、たとえAIが人間を超える「知能」を獲得したとしても、それが「意識」を持つことには直結しないと指摘します。「知能と意識は同じではない」というのが彼の基本的な立場です。私たちは、AIが人間のように賢くなれば、自然と意識も芽生えると考えがちですが、セス氏はこの考えに疑問を呈しています。

「制御された幻覚」としての意識

 では、セス氏が考える「意識」とは何なのでしょうか?彼は、人間の意識、そして広く動物の意識を「制御された幻覚 (controlled hallucination)」であると説明します。これは、私たちの脳が、目や耳などから入ってくる感覚情報をただ受け身で処理しているのではなく、むしろ積極的に世界を予測し、解釈しているという考え方です。

 私たちの脳は、過去の経験や知識に基づいて、「次に何が起こるか」「今見ているものは何か」といった予測を絶えず行っています。そして、実際に入ってくる感覚情報と照らし合わせ、予測を修正していきます。この脳による予測と構築のプロセスこそが、私たちの主観的な意識体験を生み出している、というのが「制御された幻覚」理論の核心です。

 セス氏の研究室では、錯視(視覚的な錯覚)や、外部からの刺激によって偽物の手が自分の体の一部であるかのように感じられる実験などを通して、脳が積極的に現実を「構築」している証拠を示しています。つまり、私たちが見たり聞いたり感じたりしている現実は、脳が作り出した「最善の推測」であり、ある種の幻覚に近いものだというのです。ただし、それは生存に役立つようにうまく制御されているため、私たちは通常、それを幻覚とは認識しません。

なぜAIは意識を持てないのか? – 身体性の重要性

 セス氏の理論がAIの意識の問題と結びつくのは、この「制御された幻覚」が、私たちの生物学的な身体と切り離せないものだと考えられている点です。彼は、意識の基盤には「生命 (life)」が重要である可能性を指摘します。私たちは、代謝(物質を取り込みエネルギーに変える)や自己産生(自分自身を作り維持する)といった生命活動を行う生物学的システムです。この生物としての性質が、コンピュータープログラムであるAIとは根本的に異なり、意識にとって不可欠な要素かもしれない、とセス氏は考えています。

 この考え方は、「ビーストマシン理論 (beast machine theory)」として具体化されています。これは、脳を、絶え間ない感覚情報の流れを通じて「制御された幻覚」を更新し続ける予測マシンとして捉える理論です。このシステムがうまく機能しなくなると、実際の幻覚(精神疾患などで見られるもの)が生じると説明されます。

 AIは、どれほど複雑な計算ができ、人間のような会話ができても、生物学的な身体を持たず、生きるための内的な欲求や動機(空腹、痛み、生存本能など)もありません。そのため、セス氏の理論に基づけば、AIが人間と同じような意識、つまり身体感覚に基づいた主観的な経験を持つことは、原理的に不可能ということになります。

意識研究のこれからと脳オルガノイド

 セス氏は、現在の意識研究は、かつて熱の正体が分子運動であることが発見される前の段階に似ていると述べています。当時は「熱さ」「冷たさ」を記述できても、その物理的な基盤は不明でした。意識研究も、主観的な体験を記述することはできても、その神経科学的なメカニズムの完全な解明には至っていません。

 今後の研究の進展には、異なる理論を競わせて検証する「敵対的共同研究 (adversarial collaboration)」や、脳活動を詳細に観察する脳イメージング技術、特定の神経細胞を光で操作する光遺伝学 (optogenetics) などが重要になると考えられています。

 また、セス氏は最近、脳オルガノイドの研究にも注目しています。脳オルガノイドとは、幹細胞から作られたミニチュアの脳のような組織で、人間の脳機能の一部を模倣するように設計されています。セス氏は、言語を操るAIよりも、生物学的に人間に近い脳オルガノイドの方が、意識の生物学的基盤を探る上で、より本質的な類似性を持っている可能性があると考えています。AIは行動(会話など)は人間に似ていても、意識にとって重要な内部構造は全く異なるかもしれない、という視点です。

まとめ

 本稿では、神経科学者アニル・セス氏の「意識は制御された幻覚であり、生物学的身体を持つ生命に固有のものであるため、AIは意識を持つことができない」という主張を紹介しました。

 AIの知能が人間を超えるシンギュラリティへの期待や懸念が高まる中で、セス氏の理論は、知能と意識を区別し、意識における身体性の重要性を強調する点で、重要な視点を提供しています。AIは驚異的な能力を発揮しますが、それは私たちが持つような主観的な経験、つまり「意識」とは異なるものである可能性が高い、ということです。

 また、意識を持つ機械を開発することの倫理的な問題提起も、私たちがAI技術と向き合う上で忘れてはならない点です。

 AIの研究は、逆説的に、私たち自身の脳と意識の謎を解き明かすためのヒントを与えてくれます。しかし、セス氏が指摘するように、意識の核心に迫るためには、AIだけでなく、生物学、神経科学、そして哲学など、多様な分野からの探求が不可欠です。人間の意識とは何か、その根源を探る旅は、まだ始まったばかりなのかもしれません。

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