はじめに
近年、電気自動車(EV)や再生可能エネルギー、半導体、防衛産業など、先端技術に不可欠なクリティカルミネラル(重要鉱物)の安定確保が、国家安全保障や経済成長における重要課題となっています。特に、レアアース(希土類)やリチウム、コバルトといった鉱物の多くは、特定の国、とりわけ中国が生産や精錬において大きなシェアを占めており、供給網の脆弱性が指摘されてきました。
このような背景の中、アメリカ国防総省(ペンタゴン)が主導して開発した、重要鉱物の供給量と価格を予測するAI(人工知能)プログラムが、官民連携の新たな段階に入ったことが報じられました。本稿では、このプログラムが非営利団体に移管され、西側諸国のサプライチェーン強化を目指す動きについて、その背景や仕組み、意義、そして日本への影響を解説します。
引用元記事
- タイトル: Pentagon’s AI metals program goes private in bid to boost Western supply deals
- 発行元: Reuters
- 発行日: 2025年5月1日
- URL: https://www.reuters.com/business/autos-transportation/pentagons-ai-metals-program-goes-private-bid-boost-western-supply-deals-2025-05-01/
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要点
- アメリカ国防総省が開発した、重要鉱物の供給と価格を予測するAIプログラムが、非営利団体「Critical Minerals Forum (CMF)」に移管されました。
- このAIプログラムは、中国による市場支配の影響を除外し、人件費や加工コストなどを考慮した「適正価格」を算出することで、価格の透明性を高めることを目指します。
- フォルクスワーゲン、サウス32、MPマテリアルズ、RTXなど30以上の鉱山会社、製造業者、投資家がCMFに参加し、このAIモデルを活用して西側諸国間のサプライチェーン契約を促進しようとしています。
- 目的は、価格変動リスクを低減し、中国への依存度を下げ、より安定した重要鉱物の調達網を西側諸国で構築することです。
詳細解説
背景:重要鉱物サプライチェーンにおける課題
本稿で取り上げる「クリティカルミネラル」とは、経済や国防にとって極めて重要でありながら、供給中断のリスクが高い鉱物資源を指します。これには、EVバッテリーに必要なリチウムやコバルト、ニッケル、モーター用磁石に使われるレアアースなどが含まれます。
現状、これらの多くは採掘から精錬、加工に至るサプライチェーンの大部分を中国が支配しています。これにより、中国政府の意向や市場戦略によって価格が大きく変動したり、輸出制限が行われたりするリスクが常に存在します。実際に、中国はレアアースやゲルマニウム、ガリウムといった鉱物で輸出規制を行った過去があり、西側諸国の企業は安定調達に不安を抱えています。このような状況は、価格の不透明性を生み、鉱山開発への新規投資や、製造業者と鉱山会社の長期契約締結を困難にしてきました。
AIプログラムとCMFの役割:価格透明性と安定供給を目指す
こうした課題に対処するため、アメリカ国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)は2023年後半に「Open Price Exploration for National Security (OPEN)」と呼ばれるAIプログラムを立ち上げました。このAIモデルは、70以上の鉱業関連データセット(一部非公開情報を含む)を学習し、地政学的リスク(輸出規制など)や生産コスト、労働コストなどを考慮して、将来(少なくとも15年先まで)の鉱物供給量と「あるべき価格」を予測します。重要なのは、中国による意図的な過剰生産や市場操作の影響を排除して価格を評価しようとする点です。
このAIプログラムの運営は、新たに設立された非営利団体「Critical Minerals Forum (CMF)」に移管されました。CMFには、フォルクスワーゲンのような自動車大手から、サウス32(銅)、MPマテリアルズ(レアアース)といった鉱山会社、RTX(防衛)などの製造業者、さらには投資会社まで、30を超える多様な組織が参加しています。
CMFの目的は、このAIモデルが提供する価格予測や市場分析データを活用し、鉱物の買い手(製造業者)と売り手(鉱山会社)が、長期的な供給契約を結ぶ際の信頼性を高めることです。例えば、AIが「中国の市場操作がなければ、ニッケルの適正価格はこれくらいだ」というデータを示せば、たとえ市場価格が中国企業の安値攻勢で下落したとしても、買い手は将来の安定供給を確保するために、その「適正価格」に基づいた長期契約を結ぶインセンティブが生まれます。つまり、価格の透明性を高めることで、西側諸国における鉱山開発への投資を促進し、安定したサプライチェーン構築を後押しする狙いです。ネバダ州が銅の製錬所誘致にCMFと協力する動きも、その具体例の一つです。
技術的側面:AIモデルの仕組みとデータ
このAIモデルの核心は、膨大なデータとその分析能力にあります。FactSetやBenchmark Mineral Intelligenceといった価格情報提供会社、さらには米国商務省などから提供される多様なデータ(市場価格、生産コスト、地政学リスク、環境規制、労働条件など)を統合的に分析します。
単に過去の価格トレンドを追うだけでなく、例えば「特定の国が輸出規制を強化した場合」や「新しい鉱山開発技術が登場した場合」といったシナリオに基づいたシミュレーションを行い、将来の価格と供給量を予測します。これにより、企業はより情報に基づいた意思決定(鉱山への投資判断、長期契約の条件交渉など)を行うことが可能になります。
ただし、このAIモデルが本当に市場を変革できるかについては、懐疑的な見方もあります。コロラド鉱山学校の専門家は「石油価格の予測精度が過去5年で向上していないように、機械学習が金属価格の予測を劇的に改善するとは限らない」と指摘しています。市場の複雑性や予測不能な要因をAIがどこまで捉えられるかは、今後の課題と言えるでしょう。
今後の展望と日本への影響
CMFは現在、会員数を増やすためのキャンペーンを展開しており、特に半導体、航空、防衛産業からの参加を募っています。DARPAは少なくとも2029年まで資金提供を継続し、2027年初頭までにはAIモデルの知的財産権をCMFに完全に移管する計画です。将来的には、ザンビアやコンゴ民主共和国といった資源国を含む国際的な枠組みに発展させることも視野に入れています。
この動きは、重要鉱物の多くを輸入に頼り、特に中国への依存度が高い日本にとっても他人事ではありません。
まず、CMFが成功すれば、日本の製造業(自動車、電機、バッテリーなど)にとって、安定的かつ透明性の高い価格で重要鉱物を調達できる、新たな選択肢が生まれる可能性があります。西側諸国で鉱山開発や製錬プロジェクトが進めば、サプライチェーンの多様化に繋がり、地政学的リスクを低減できます。
また、CMFが提供する市場インテリジェンスは、日本企業が資源投資や調達戦略を立てる上で、貴重な情報源となり得ます。日本政府や企業がCMFへの参加や連携を検討する価値はあるでしょう。
一方で、この動きは、国際的な資源獲得競争が新たな局面に入ることも意味します。AIを活用した価格形成やサプライチェーン構築の動きに、日本も独自の戦略を持って対応していく必要があります。国内でのリサイクル技術の高度化や、代替材料の研究開発、そして友好国との連携強化が一層重要になるでしょう。
まとめ
アメリカ国防総省が開発し、非営利団体CMFに移管されたAIによる重要鉱物価格・供給予測プログラムは、中国への依存から脱却し、西側諸国中心の安定的で透明性の高いサプライチェーンを構築するための野心的な試みです。AIという先端技術を活用し、複雑な鉱物市場に「適正価格」という新たな基準を持ち込もうとしています。
この取り組みが成功すれば、EVや再生可能エネルギーへの移行、先端技術開発に必要な重要鉱物の安定確保に大きく貢献する可能性があります。懐疑的な見方もありますが、官民が連携してサプライチェーンの脆弱性という共通課題に取り組む動きとして注目されます。日本としても、この国際的な動向を注視し、自国の資源戦略に活かしていくことが求められます。
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