はじめに
2025年7月23日、トランプ政権は「アメリカのAIアクションプラン」と呼ばれる包括的なAI戦略を発表しました。本稿では、ホワイトハウスの公式発表や主要メディアの報道を基に、この新戦略の詳細と日本への影響について解説します。本計画は、AI分野におけるアメリカの競争優位性確保と、いわゆる「ウォーク(woke)」思想への対抗を二本柱とする、従来にない特徴的な政策となっています。
発表記事
- 発表1:
タイトル:WHITE HOUSE UNVEILS AMERICA’S AI ACTION PLAN
発行元:The White House
発行日:2025年7月23日
URL:https://www.whitehouse.gov/articles/2025/07/white-house-unveils-americas-ai-action-plan/ - 発表2:
タイトル:Preventing Woke AI in the Federal Government(大統領令全文)
発行元:The White House
発行日:2025年7月23日
URL:https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/07/preventing-woke-ai-in-the-federal-government/
参考記事
- 記事1:
タイトル:Trump’s new AI policies keep culture war focus on tech companies
発行元:NPR
発行日:2025年7月23日
URL:https://www.npr.org/2025/07/23/nx-s1-5476771/trump-artificial-intelligence-woke-eo - 記事2:
タイトル:White House unveils U.S. strategic plan on AI. Here’s what it includes.
発行元:CBS News
発行日:2025年7月23日
URL:https://www.cbsnews.com/news/trump-uai-plan-data-centers-us-infrastructure/ - 記事3:
タイトル:Trump reveals plan to win in AI: Remove ‘red tape’ for Silicon Valley
発行元:CNN
発行日:2025年7月23日
URL:https://edition.cnn.com/2025/07/23/tech/ai-action-plan-trump - 記事4:
タイトル:Trump aims to get rid of AI regulations in a push to win the AI race
発行元:NPR
発行日:2025年7月23日
URL:https://www.npr.org/2025/07/23/nx-s1-5213904/trump-ai-regulations
要点
- トランプ政権は90以上の連邦政策行動を含む包括的なAIアクションプランを発表した
- 計画の3つの柱は「イノベーション加速」「AIインフラ構築」「国際外交・安全保障でのリーダーシップ」である
- 連邦政府は「イデオロギー的偏向」がないAIシステムとのみ契約することを義務付ける新たな大統領令を発出した
- 多様性・平等・包摂(DEI)、批判的人種理論、気候変動対策などを「ウォーク」思想として排除する方針を明確化した
- データセンターや半導体製造施設の建設を迅速化し、エネルギーインフラの近代化を推進する
- 中国との競争に勝利するため、米国製AIの輸出促進と技術標準の世界的普及を図る
- バイデン政権時代のAI安全ガイドラインからDEI関連要素を削除する方針を示した
- 州レベルの「過度な」AI規制を有する州への連邦資金配分を制限する可能性を示唆した
詳細解説
アクションプランの3つの柱
トランプ政権のAI戦略は、3つの主要な柱で構成されています。第一の柱「イノベーション加速」では、AI開発を阻害するとされる連邦規制の見直しと撤廃を進めます。これには、バイデン政権が導入したAI安全に関する包括的な大統領令の撤回も含まれます。
第二の柱「AIインフラ構築」では、データセンターと半導体製造施設の建設促進が中核となります。AI技術の発展には膨大な計算資源が必要であり、そのためのデータセンターは現代のAI競争における重要なインフラです。政権は許認可プロセスの近代化と迅速化を通じて、民間企業による大規模投資を促進する計画です。
第三の柱「国際外交・安全保障でのリーダーシップ」では、米国製AIの輸出促進が重要な要素となります。商務省と国務省が産業界と連携し、ハードウェア、モデル、ソフトウェア、アプリケーション、標準を包含する「フルスタックAI輸出パッケージ」を同盟国に提供する計画です。
「ウォークAI」への対抗戦略
本計画の最も注目すべき特徴は、「ウォークAI」への明確な対抗姿勢です。政権は、多様性・平等・包摂(DEI)、批判的人種理論、「トランスジェンダー思想」などを「イデオロギー的偏向」として定義し、これらの要素を含むAIシステムとの政府契約を禁止しています。
この方針の背景には、GoogleのGemini画像生成AIが歴史上の人物の人種や性別を変更して描画した2024年の事件があります。例えば、建国の父たちや教皇、バイキングを異なる人種で描画したり、白人の成果を称賛する画像の生成を拒否したりする事例が発生しました。政権はこうした現象を「正確性よりもDEI要件を優先した結果」と位置づけています。
興味深いことに、「正確性」を重視した結果、別の問題が発生している極端な例も存在します。イーロン・マスクのxAIが開発したGrokチャットボットは、2025年7月に「最大限に基盤的(maximally based)」な回答を提供するよう設定された結果、反ユダヤ主義的な暴言を発したという事件が発生しました。これは「政治的正しさを恐れない」という設定が過度に働いた結果とされています。
政権は「核の黙示録を止めるためであっても、他人を『性別を間違って呼ぶ』べきではない」と主張するAIの例を挙げ、こうした極端な反応も問題視しています。トランプ大統領は演説で「アメリカ国民はAIモデルにおけるウォークなマルクス主義の狂気を望んでいない」と述べました。
技術的側面での重要なポイント
大規模言語モデル(LLM) の調達に関する新たなガイドラインが策定されます。連邦政府は「真実追求」と「イデオロギー的中立性」という2つの原則に従うLLMのみを調達することになります。真実追求の原則では、歴史的正確性、科学的探究、客観性を優先し、不確実な情報については不確実性を認めることが求められます。
イデオロギー的中立性の原則では、DEIなどの特定のイデオロギーに偏向した回答操作を禁止しています。ただし、開発者はシステムプロンプトや仕様書の開示を通じて透明性を確保することが可能で、モデルの重みなど機密性の高い技術データの開示は求められません。
実装スケジュールも明確に定められており、行政管理予算局(OMB)は大統領令発出から120日以内にガイドラインを発行し、各省庁は追加で90日以内に調達手順を採用する必要があります。契約違反の場合、運用停止コストは業者負担となる厳格な措置も盛り込まれています。
インフラ投資と産業政策
データセンター建設の促進は、AI競争における物理的基盤の重要性を反映しています。現代のAIシステム、特に大規模言語モデルの訓練と運用には、数千のGPUを搭載した大規模データセンターが不可欠です。政権は許認可の迅速化に加え、電気技師やHVAC技術者など高需要職種の人材育成にも取り組む計画です。
また、半導体製造能力の強化も重要な要素です。AI用チップの製造において台湾のTSMCへの依存を減らし、国内製造能力を向上させることで、サプライチェーンの安全保障を確保する狙いがあります。
具体的な投資実績として、政権は既に5000億ドル規模のStargateプロジェクトを発表しており、OpenAIのサム・アルトマン、ソフトバンクの孫正義、オラクルのラリー・エリソンが参画しています。さらに7月15日には、ペンシルバニア州をAIハブ化する900億ドル以上の投資も発表されました。
CHIPS法の見直しも重要な要素で、政権はバイデン時代に導入されたDEIと気候変動要件を「産業に負担をかけ、重要プロジェクトの進行を遅らせる」として削除する方針を示しています。
中国との競争への対応
中国のAI技術発展、特にDeepSeekのR1モデルが示した技術的進歩は、米国政界に大きな衝撃を与えました。低コストで高性能なAIモデルの開発に成功した中国企業の存在は、米国の技術的優位性に対する懸念を高めています。
政権は技術輸出管理の強化と同盟国への積極的な技術提供を通じて、グローバルなAI生態系における米国技術の標準化を図ります。マイクロソフトのブラッド・スミス副会長が述べたように、「どちらの技術がより広く世界で採用されるか」が米中競争の帰趨を決める重要な要因となります。
政権の主要人物も重要な役割を果たしています。AI・暗号通貨担当のデビッド・サックス氏(元PayPal幹部)は「AIシステムはイデオロギー的偏向から解放され、社会工学的アジェンダを追求するよう設計されるべきではない」と強調しています。科学技術政策局のマイケル・クラツィオス局長は「ヨーロッパのイノベーションを殺す規制の道を歩むわけにはいかない」と述べ、規制緩和の必要性を訴えています。
国務長官兼国家安全保障担当大統領代行のマルコ・ルビオ氏は「AIレースに勝利することは交渉の余地がない。アメリカは繁栄を促進し、経済・国家安全保障を守るためにAIの支配的勢力であり続けなければならない」と述べ、地政学的な重要性を強調しています。
興味深いことに、国防省は7月15日にxAI、Google、Anthropic、OpenAIに最大2億ドルの契約を付与しており、Grokの問題発生直後のタイミングでの契約となりました。
州政府への圧力と連邦統一基準
政権は州レベルでの「過度な」AI規制を問題視しており、そうした規制を有する州への連邦資金配分を制限する可能性を示唆しています。トランプ大統領は「50の異なる州がこの産業を規制するのではなく、単一の連邦基準」の必要性を強調しました。
この方針は、カリフォルニア州などで検討されているAI安全規制への牽制として機能する可能性があります。技術業界は州ごとの規制の違いがイノベーションの阻害要因になると主張していますが、安全性を重視する立場からは、規制緩和への懸念の声も上がっています。
バイデン政権との政策転換
バイデン政権はAI安全性とバイアス対策に重点を置いていましたが、トランプ政権はむしろ競争力強化を最優先課題としています。前政権のAI安全研究や公民権保護への取り組みは大幅に縮小され、代わって産業界の要望に沿った規制緩和が進められます。
この政策転換について、元バイデン政権科学技術政策局長のアロンドラ・ネルソン氏は「AIの差別的でない安全な利用を確保するために必要な要素の剥奪」と批判しています。
業界からの反応と懸念
技術業界は概してトランプ政権の方針を歓迎していますが、一部の専門家は懸念を表明しています。シアトルのアレン人工知能研究所の元CEOオレン・エッツィオーニ氏は、「複雑性と責任の問題」がモデル開発の減速を招く可能性を指摘しています。
一方で、国連のAI問題顧問を務めるニール・サホタ氏は、「曖昧な措置の実装」を求められることで技術企業が困惑している状況を説明し、「反ウォーク」版チャットボットの開発という対応策の可能性に言及しています。同氏は「AI産業はこの状況を深く懸念している。彼らは既にAIのグローバルな軍拡競争の中にあり、今度はウォークと見なされる可能性があるという理由で保護機能を解除するという非常に曖昧な措置を講じるよう求められている」と述べています。
市民団体からの組織的反対も存在します。電子プライバシー情報センター、米国東部脚本家組合、AI Now研究所などが参加する連合体は「民衆のAIアクションプラン」を発表し、トランプ政権の提案に対抗しています。これらの団体は、AI安全性よりも技術業界の利益を優先する政策への懸念を表明しています。
学術界からも批判の声が上がっています。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のタリア・リンガー教授は「保守派がAIが『ウォーク』すぎると引用する例の多くは、LLMが陰謀論や人種差別的主張の確認を拒否することだ」と指摘し、基本的な事実確認を政治的偏向と混同する危険性を警告しています。
ブルッキングス研究所のチナサ・オコロ研究員は「一部の人々は残念ながら、科学的根拠のある基本的事実が左翼的、あるいは『ウォーク』だと信じており、これが彼らの認識を多少歪めている」と述べ、事実と政治的見解の境界線が曖昧になる問題を指摘しています。同氏はまた「麻疹ワクチンの重要性について語ることが、今や政治的に charged な議論なのか?」という例を挙げ、政策実装の複雑さを示しています。
まとめ
トランプ政権のAIアクションプランは、技術競争力の強化と文化的価値観の反映という2つの軸を中心とした野心的な戦略です。90以上の政策行動を通じて、米国のAI産業の国際競争力を向上させる一方で、政府調達における「ウォーク」思想の排除という独特の方針を打ち出しています。
この政策は、中国との技術競争という地政学的現実と、米国内の文化的分裂という国内政治の両方に対応しようとする試みです。データセンターや半導体製造のインフラ投資促進、規制緩和、輸出促進などの施策は、短期的には米国AI産業の成長を加速する可能性があります。
しかし、AI安全性や倫理的考慮の軽視、州政府の自主性への制約、国際的な価値観の相違などの課題も存在します。日本を含む同盟国にとっては、米国製AI技術の積極的な導入機会が提供される一方で、価値観の違いをどう調整するかという課題も生じるでしょう。
今後6ヶ月から1年にわたって実施される予定のこれらの政策が、グローバルなAI生態系にどのような影響を与えるか、注意深く観察していく必要があります。