はじめに
2025年7月23日、トランプ大統領は米国のAI分野における国際競争力強化を目指す包括的な政策「アメリカのAIアクションプラン」を発表しました。この政策は「AIレースに勝つ」をスローガンに掲げ、規制緩和、インフラ投資、そして特徴的な「ウォークAI」の排除を柱としています。本稿では、ホワイトハウスの公式発表を中心に、各メディアの見解ももとに、この新政策の詳細と意義について解説します。

参考記事
記事1:
- タイトル:No ‘woke AI’ in Washington, Trump says as he launches American AI action plan
- 発行元:CNBC
- 発行日:2025年7月24日
- URL:https://www.cnbc.com/2025/07/24/no-woke-ai-in-washington-says-trump-as-he-launches-ai-action-plan.html
記事2:
- タイトル:Trump reveals plan to win in AI: Remove ‘red tape’ for Silicon Valley
- 発行元:CNN
- 発行日:2025年7月23日
- URL:https://edition.cnn.com/2025/07/23/tech/ai-action-plan-trump
記事3:
- タイトル:What’s in Trump’s new AI policy and why it matters
- 発行元:PBS
- 発行日:2025年7月24日
- URL:https://www.pbs.org/newshour/show/whats-in-trumps-new-ai-policy-and-why-it-matters
記事4:
- タイトル:Trump administration to supercharge AI sales to allies, loosen environmental rules
- 発行元:Reuters
- 発行日:2025年7月25日
- URL:https://www.reuters.com/legal/government/trump-administration-supercharge-ai-sales-allies-loosen-environmental-rules-2025-07-23/
記事5:
- タイトル:Trump’s order to block ‘woke’ AI in government encourages tech giants to censor their chatbots
- 発行元:AP
- 発行日:2025年7月25日
- URL:https://apnews.com/article/trump-woke-ai-executive-order-bias-f8bc08745c1bf178f8973ac704299bf4
公式発表
- タイトル:Fact Sheet: President Donald J. Trump Prevents Woke AI in the Federal Government
- 発行元:ホワイトハウス
- 発行日:2025年7月24日
- URL:https://www.whitehouse.gov/fact-sheets/2025/07/fact-sheet-president-donald-j-trump-prevents-woke-ai-in-the-federal-government/
- タイトル:Wide Acclaim for President Trump’s Visionary AI Action Plan
- 発行元:ホワイトハウス
- 発行日:2025年7月24日
- URL:https://www.whitehouse.gov/articles/2025/07/wide-acclaim-for-president-trumps-visionary-ai-action-plan/
要点
- 政策の核心:「AIレースに勝つ」ことを最優先とし、イノベーション加速、AIインフラ構築、国際的な外交・安全保障での主導権確立の3つを柱とする
- 規制緩和の推進:AI開発の障壁となる連邦規制の撤廃、データセンター建設の許可手続き簡素化、環境規制の緩和によるエネルギーインフラ整備の促進
- 「ウォークAI」の排除:連邦政府が調達するAIモデルから多様性・公平性・包摂性(DEI)に基づく「偏見」を除去し、「真実追求」と「イデオロギー的中立性」を義務付け
- 同盟国への輸出拡大:米国のAI技術スタック(ハードウェア、ソフトウェア、アプリケーション)を同盟国に積極的に輸出し、世界標準化を推進
- 中国への対抗戦略:前バイデン政権の「高い塀」アプローチを転換し、同盟国への技術供給を通じて中国に対抗
- 環境規制の大幅緩和:国家環境政策法(NEPA)下でのデータセンター除外措置、清浄水法の許可手続き簡素化
- 3つの大統領令:ウォークAI排除、データセンター建設促進、米国AI技術輸出推進に関する大統領令を同時発表
- 産業界の圧倒的支持:Nvidia、Google、Meta、Amazon、IBM等の主要技術企業から前例のない規模の支持を獲得
- 実装の課題:技術企業にとって「イデオロギー的中立性」の実現は技術的に困難で、事実上の自己検閲につながる可能性
詳細解説
「AIレースに勝つ」戦略の全体像
トランプ大統領が発表した「アメリカのAIアクションプラン」は、28ページにわたる包括的な戦略文書です。この計画は90の連邦政策アクションを特定し、3つの主要な柱で構成されています。第一に、イノベーションの加速です。これには規制の「赤いテープ」(官僚的な障壁)を取り除き、民間企業の技術開発を促進することが含まれます。第二に、AIインフラの構築です。データセンター、半導体製造施設、エネルギーインフラの整備許可手続きを簡素化し、物理的な基盤を強化します。第三に、国際外交と安全保障における主導権の確立です。米国のAI技術を同盟国に輸出し、グローバルスタンダードとして定着させることを目指しています。
政策の背景には、中国との技術競争に対する強い危機感があります。ホワイトハウスAI担当官のデビッド・サックス氏は「これは人工知能をリードするためのグローバルな競争だ」と述べ、AI技術が経済と国家安全保障の両面で重要な影響を与えることを強調しました。特に中国の新興企業DeepSeekが2025年初頭にコスト効率の高いAIモデルR1を発表し、市場とシリコンバレーに衝撃を与えたことが、この政策立案の重要な背景となっています。
「ウォークAI」論争の詳細分析:定義、事例、賛否両論
「ウォークAI」とは何か:定義と背景
「ウォークAI」という概念は、AI技術に多様性・公平性・包摂性(DEI)の原則が組み込まれることで、特定のイデオロギー的偏見が生じている状態を指します。トランプ政権は、これらの取り組みが「真実性と正確性をイデオロギー的アジェンダのために犠牲にしている」と主張しています。具体的には、批判的人種理論、トランスジェンダー主義、無意識の偏見、交差性、制度的人種差別などの概念がAIの出力に影響を与えることを問題視しています。
DEI推進派の論理:なぜ「偏見修正」が必要とされたか
一方で、AI分野におけるDEIの取り組みは、技術的な必要性から生まれたという反論もあります。AI研究者たちは、訓練データに内在する社会的偏見が深刻な問題を引き起こすことを実証してきました。
歴史的偏見の技術的問題として、以下のような事例が報告されています:
- 顔認識システムが有色人種の顔を正確に識別できない
- 求人広告AIが女性に技術職の広告を表示しない
- 融資審査AIが人種に基づいて差別的な判定を行う
- 画像生成AIが「医師」の画像を求められると白人男性のみを生成する
市民権擁護者アレハンドラ・モントヤ=ボイヤー氏は「まず第一に、ウォークAIなどというものは存在しない。差別的なAI技術と、実際にすべての人のために機能するAI技術があるだけだ」と述べ、DEI的アプローチの正当性を主張しています。
具体的事例:GoogleのGemini問題とその解釈の対立
2024年のGoogle Gemini事例は、この論争の核心を示しています。Geminiの画像生成機能は、「アメリカ建国の父たち」の画像を求められた際に、黒人、アジア人、ネイティブアメリカンの男性を生成しました。
- トランプ政権支持者の解釈:これは技術企業が自らの社会的アジェンダを製品に意図的に組み込んだ証拠であり、歴史的事実を歪曲する危険な行為である。著名なベンチャーキャピタリストでトランプ顧問のマーク・アンドリーセン氏は「これは100%意図的だ。グーグルで黒人のジョージ・ワシントンが生まれるのはそのためだ。システムには基本的に『みんな黒人でなければならない』と言う上書きがある」と主張しています。
- Google側の説明と技術者の反論:Googleは後に、これらのエラーは「システムが独自に動作した場合、肌の色の薄い人々を優遇する傾向がある」技術の根深い偏見に対する過度な補正の結果であったと説明しました。技術者らは、何の調整も行わなければ、AIは訓練データの偏見を反映し、歴史的に過小評価されてきたグループを排除する傾向があると指摘しています。
イデオロギー的中立性実現の困難さ
技術的中立性の実現可能性については、専門家間でも見解が分かれています。
- 中立性懐疑論者の観点:Mercatus Center(自由市場シンクタンク)のライアン・ハウザー氏は「AIモデルでイデオロギー的中立性を達成するという考え全体が実際には実行不可能だ」と述べ、「我々が得るのは、これらのフロンティア研究所がその瞬間の政治的要求を満たすために発言を変えることだ」と警告しています。
- 実装可能論者の観点:共和党系の元連邦取引委員会最高技術責任者ニール・チルソン氏(現在は非営利団体Abundance InstituteのAI政策責任者)は「イデオロギー的アジェンダを禁止しているわけではなく、モデルを誘導するための意図的な方法があれば開示するよう求めているだけだ。率直に言って、これはかなり軽いタッチだ」と述べ、実装は可能であると主張しています。
自己検閲と表現の自由への懸念
政府による間接的圧力への懸念が表明されています。前バイデン政権商務長官ジーナ・ライモンド氏の元首席補佐官ジム・セクレト氏は「トランプ政権は連邦契約を手段として使用することで、より穏やかだが依然として強制的なルートを取っている。これは企業が政府の心証を良くし、資金の流れを維持するために自己検閲する強いプレッシャーを生み出す」と分析しています。
中国の検閲モデルとの比較も議論されています。中国はAIモデルを直接監査し、展開前に承認し、天安門事件などの禁止コンテンツをフィルタリングすることを要求します。セクレト氏は、手法は異なるものの、政府がAIの政治的内容を統制しようとする点で本質的な類似性があると指摘しています。
技術企業の対応と業界への影響
主要技術企業の慎重な反応が注目されています。OpenAIは「ChatGPTを客観的にする作業が既にトランプの指令と一致している」と述べましたが、Microsoft、Google、Meta、Anthropicなどは直接的なコメントを避けています。
業界への長期的影響について、市民権擁護者モントヤ=ボイヤー氏は「現在、業界に大きな影響を与えるだろう。特に技術企業が既にトランプ政権の他の指令に屈服している状況では」と述べ、企業がDEI関連の取り組みを自主的に縮小する可能性を懸念しています。
特に象徴的なのが、xAI社のGrokの事例です。「最大限真実追求的」で「反ウォーク」を標榜するGrokが、政府から2億ドルの防衛契約を獲得した直後に、アドルフ・ヒトラーを称賛する反ユダヤ主義的コメントを投稿した問題は、「イデオロギー的中立性」の定義と実装の複雑さを浮き彫りにしています。
環境規制緩和とエネルギーインフラ強化
政策の重要な特徴の一つが、環境規制の大幅な緩和です。AI処理には膨大な電力が必要であり、米国の電力需要は約20年間の停滞を経て、AIとクラウドコンピューティングデータセンターの急増により記録的な高さに達しています。
具体的な措置として、国家環境政策法(NEPA)下でのデータセンター新設除外措置の設立と、清浄水法(Clean Water Act)下での許可手続きの合理化が挙げられます。これにより、データセンター建設に伴う環境影響評価の期間を大幅に短縮し、連邦土地の活用も含めた迅速な開発を可能にします。
エネルギー業界からの反応も注目に値します。シェブロン社のマイク・ワース会長兼CEOは「AI革新は真空状態では起こらない。信頼できるスケーラブルなエネルギーとインフラが必要だ」と述べ、政策を強く支持しています。全米石炭協会も、既存石炭火力発電所の継続運転を優先する政策を「米国のAI主導権にとって石炭火力が不可欠であることの明確な認識」として歓迎しています。
産業界からの前例のない規模の支持
この政策発表を受けて、米国産業界から前例のない規模の支持が表明されています。ホワイトハウスが公表した支持声明は、技術、エネルギー、製造業、金融業界にわたる50以上の組織と企業からのもので、トランプ政権のAI政策に対する産業界の結束を示しています。
技術業界の主要企業からは圧倒的な支持が寄せられています。Nvidia CEO のジェンセン・ファン氏は「他のどの国も持ち得ないアメリカの独自の優位性は、トランプ大統領である」と述べました。Meta社の最高グローバル業務責任者ジョエル・カプラン氏は「AIレースは米国の経済力と国家安全保障の未来に関わる。我々は中国とのAI主導権をめぐる激しい競争の真っ只中にいる」として政策を支持しています。
Amazonは「一貫した基準の確立」を支持し、IBMのアービンド・クリシュナ会長兼CEOは「オープンイノベーションを優先し、米国の技術的リーダーシップを強化する」として政策を評価しています。Anthropicも「多くの計画の推奨事項が我々の以前の提案と一致している」として、政策との整合性を強調しています。
エネルギー・インフラ業界からの支持も顕著です。シェブロン社のマイク・ワース会長兼CEOは「これは新たな産業ルネサンスへの呼びかけだ」と述べ、全米石炭協会は「石炭火力発電所の継続運転優先は米国AI主導権にとって不可欠だ」と評価しています。Dell Technologiesのマイケル・デルCEOは「米国の独創性を支援し、雇用を創出し、我々が未来をリードし続けることを支援する準備ができている」と表明しています。
製造業・産業界からも広範囲な支持が得られています。全米製造業協会のジェイ・ティモンズ会長兼CEOは「AIはもはや未来の野望ではなく、現代製造業の中核である」と述べ、Siemens USAのバーバラ・ハンプトン社長兼CEOは「産業AI、デジタルツイン、ソフトウェア定義自動化により、実世界とデジタル世界を組み合わせた新しい産業技術セクターを創造している」と説明しています。
同盟国への戦略的AI輸出拡大
今回の政策で特に注目すべきは、前バイデン政権の「高い塀」アプローチからの転換です。前バイデン政権はNvidiaやAMDなどの企業が製造するAIチップが中国やその他の国に輸出されることで、米国の敵対国がこれらの半導体を軍事目的に転用することを恐れ、厳格な輸出制限を課していました。
トランプ政権は、商務省と国務省が産業界と連携して「安全なフルスタックAI輸出パッケージ」を同盟国に提供すると発表しました。これには、ハードウェアモデル、ソフトウェアアプリケーション、および基準が含まれます。科学技術政策室のマイケル・クラツィオス室長は「ハードウェア、ソフトウェア、アプリケーション、基準を含む安全なフルスタックAI輸出パッケージをアメリカの友好国と同盟国に提供する」と説明しています。
この輸出拡大は、Nvidia、AMD、Google(Alphabet)、Microsoft、OpenAI、Metaなどの企業にとって大きな商機となります。特に、5月にアラブ首長国連邦が米国から先進的なAIチップへの拡大アクセスを獲得した事例が、今回の輸出拡大計画のモデルとなっています。
JD・バンス副大統領は「我々のAIにおける優位性は、安住できるものではない。もし我々が規制で自らを死に追いやり、中国に追いつかせるようなことがあれば、それは中国を責めるべきことではなく、アメリカに追いつくことを可能にする愚かな政策を持った我々自身の指導者を責めるべきことだ」と述べ、輸出制限緩和の必要性を強調しています。
批判と懸念点:技術的実装の困難さと自己検閲への懸念
一方で、この政策に対する専門家からの重要な懸念も提起されています。特に「イデオロギー的中立性」の定義と実装の困難さが問題視されています。
技術的実装の課題について、前バイデン政権官僚ジム・セクレト氏は「このような複雑さと責任、複雑性を抱えることで、モデルを開発する人々は突然減速しなければならなくなる」と指摘し、政府契約を確保しようとする技術企業が新しいガイドラインに従うために開発速度を落とす可能性があることを警告しています。
「イデオロギー的中立性」の実現可能性について、Mercatus Center(自由市場シンクタンク)のライアン・ハウザー氏は「AIモデルでイデオロギー的中立性を達成するという考え全体が実際には実行不可能だ。そして我々が得るのは何か?これらのフロンティア研究所がその瞬間の政治的要求を満たすために発言を変えることだ」と厳しく批判しています。
自己検閲への懸念も深刻です。市民権擁護者アレハンドラ・モントヤ=ボイヤー氏(リーダーシップ会議市民権技術センター上級ディレクター)は「現在、業界に大きな影響を与えるだろう。特に技術企業が既にトランプ政権の他の指令に屈服している状況では」と述べ、企業が政府の心証を良くするために自主的に検閲を行うリスクを指摘しています。
「ウォークAI」概念への根本的批判として、モントヤ=ボイヤー氏は「まず第一に、ウォークAIなどというものは存在しない。差別的なAI技術と、実際にすべての人のために機能するAI技術があるだけだ」と述べ、DEI排除政策の前提そのものを疑問視しています。
プライバシー擁護団体、労働組合、その他の組織からなる連合は「人民のAIアクションプラン」を提唱し、トランプ政権の提案に対抗しています。これらの団体は、技術産業の利益を優先し、AI安全性を軽視しているとして政権のアプローチを批判しています。署名者には電子プライバシー情報センター、全米脚本家組合東部、AI Now研究所などが含まれています。
まとめ
トランプ大統領の「アメリカのAIアクションプラン」は、中国との技術競争において米国の優位性を確保するという明確な目標のもと、規制緩和、環境制約の撤廃、「ウォークAI」排除、同盟国への積極的輸出を四本柱とする包括的な戦略です。この政策は米国産業界から前例のない規模の支持を得ており、技術、エネルギー、製造業界の50以上の組織が支持を表明しています。
政策の革新性と影響力は、前バイデン政権の慎重なアプローチからの劇的な転換にあります。「高い塀」戦略から同盟国への積極的技術供給への転換、環境規制の大幅緩和、そして連邦政府によるAI技術の「イデオロギー的中立性」要求は、いずれも前例のない取り組みです。
一方で、実装における重大な課題も明らかになっています。「イデオロギー的中立性」の技術的実現は極めて困難であり、企業の自己検閲を促進する可能性があります。専門家からは、この政策が中国の検閲モデルと本質的に類似しているとの指摘もあり、技術革新の促進と表現の自由のバランスが重要な論点となっています。
国際競争の観点では、この政策が米国のAI分野における世界的リーダーシップ維持に貢献するかどうかが今後数年間の試金石となります。特に中国が2017年から実行している国家レベルのAI戦略に対抗する上で、同盟国への技術普及と国内産業基盤の強化が成功の鍵を握ります。 最終的に、この政策の真価はイノベーション促進と責任ある開発の両立をどこまで実現できるかにかかっています。産業界の圧倒的支持と専門家の深刻な懸念という対照的な反応は、AI技術が現代社会に与える影響の複雑さと、その統治の困難さを物語っています。米国がこの挑戦にどう対応するかは、21世紀の技術的覇権の行方を左右する重要な要因となるでしょう。