はじめに
本稿では、2025年6月11日にNVIDIAが発表したプレスリリース「NVIDIA Builds World’s First Industrial AI Cloud to Advance European Manufacturing」をもとに、同社が打ち出した製造業の未来を大きく変える可能性を秘めた「産業用AIクラウド」構想について、解説します。
引用元記事
- タイトル: NVIDIA Builds World’s First Industrial AI Cloud to Advance European Manufacturing
- 発行元: NVIDIA
- 発行日: 2025年6月11日
- URL: https://nvidianews.nvidia.com/news/nvidia-builds-worlds-first-industrial-ai-cloud-to-advance-european-manufacturing
要点
- NVIDIAは、欧州の製造業向けに世界初の産業用AIクラウドをドイツに構築する。
- この施設は「AIファクトリー」と位置づけられ、10,000基のNVIDIA製GPUを搭載し、設計から製造、ロボティクスに至るまで、あらゆるプロセスを加速させる。
- BMWグループ、マセラティ、メルセデス・ベンツ、シェフラーといった欧州の主要メーカーが、すでにNVIDIAの技術を活用し、製品開発の全工程を変革している。
- Siemens、Ansys、Cadenceなど、産業用ソフトウェアのリーダー企業が、自社製品をNVIDIAのプラットフォーム(Omniverse、CUDA-Xなど)に対応させ、性能を飛躍的に向上させている。
- NVIDIAのジェンスン・フアンCEOは、「AI時代において、製造業には『モノを作る工場』と『知能を生み出す工場』の2つが必要である」と述べている。
詳細解説
産業用AIクラウドとは? なぜ「AIファクトリー」なのか?
今回NVIDIAが発表した「産業用AIクラウド」とは、一体何なのでしょうか。これは、単なるデータセンターではありません。製造業に特化し、AIの開発や、製品・工場のデジタルツインを用いた超大規模シミュレーションを行うための、いわば「AIを知能として生産する工場(AIファクトリー)」です。
従来の工場が物理的な製品を組み立てる場所であるのに対し、このAIファクトリーは、AIモデルや、現実世界を仮想空間に再現する「デジタルツイン」といった「知能」を生み出します。その心臓部となるのが、AI計算に特化した半導体であるNVIDIA製のGPUが10,000基も集積された、圧倒的な計算インフラです。これにより、これまで数日かかっていた複雑なシミュレーションを数時間で終えたり、膨大なデータから学習する高度なAIを開発したりすることが可能になります。
製造業を変えるNVIDIAの技術スタック
このAIファクトリーの力を最大限に引き出すのが、NVIDIAが提供する独自の技術群です。
- NVIDIA Omniverse:
これは、物理的に正確なデジタルツインを構築するためのプラットフォームです。現実の工場とそっくりの仮想工場をコンピュータ上に作り出し、そこで新しい生産ラインのレイアウトを試したり、ロボットの動きをシミュレーションしたりできます。BMWグループやメルセデス・ベンツは、このOmniverseを活用して、実際に工場を建設・変更する前に、仮想空間で最適な設計を検討し、手戻りの削減や効率化を実現しています。 - NVIDIA DGX B200 / RTX PROサーバー:
これらはAIファクトリーの頭脳であり、筋肉です。DGXシステムはAIのトレーニングや推論に特化した世界最高峰のサーバーであり、RTXサーバーはプロフェッショナル向けのグラフィックスとシミュレーションを高速化します。この強力なハードウェアが、前述のOmniverseや各種シミュレーションソフトウェアを快適に動かす基盤となります。 - CUDA-XライブラリとAI:
ソフトウェアがGPUの性能を最大限に引き出すための「橋渡し役」となるのが、CUDA-Xというライブラリ群です。Siemens、Ansys、Cadenceといった製造業で広く使われているシミュレーションソフトウェアのリーダー企業は、自社の製品をこのCUDA-Xに対応させることで、劇的な高速化を実現しています。
例えば、ボルボ・カーズはAnsysの流体シミュレーションソフトをNVIDIAの最新GPU上で実行し、電気自動車「EX90」の空力シミュレーションを従来の2.5倍高速化しました。特筆すべきは、2,016個のCPUコアを搭載した同等コストのハードウェアに対し、わずか8基のGPUでこの性能を達成したことです。これは、開発期間の短縮とコスト削減に絶大な効果をもたらします。
欧州メーカーの活用事例から見える未来
今回の発表は、ドイツが国を挙げて推進する「インダストリー4.0」と密接に関連しています。自動車産業をはじめとする世界的なメーカーが集まる欧州、特にドイツにAIファクトリーを建設することで、その変革をさらに加速させる狙いがあります。
- シェフラー (Schaeffler): 大手自動車部品メーカーである同社は、100以上の自社工場にAIによる自動化を導入するため、工場のデジタルツイン化や、人間のように器用なロボットのスキル学習にNVIDIAの技術を活用しています。
- BMWとSiemens: 両社は共同で、車両全体の空力シミュレーションを30倍高速化することに成功しました。これにより、燃費性能の向上や騒音の低減といった、より高度な設計を迅速に試せるようになります。
このように、製品の設計から、工場での生産、物流に至るまで、製品ライフサイクルのあらゆる段階でAIとデジタルツインを活用する「シミュレーションファースト」なものづくりが、現実のものとなりつつあるのです。
まとめ
今回NVIDIAが発表したドイツでの産業用AIクラウド構築は、単に巨大な計算センターを作るという話にとどまりません。これは、製造業のあり方を根本から変える「AIファクトリー」という新しい概念を具現化し、AIとデジタルツインを駆使したものづくりを業界のスタンダードにするための戦略的な一歩です。
物理的な試作品を何度も作ってテストするのではなく、まず仮想空間で完璧な製品と生産プロセスを作り上げてから、現実世界に展開する。この「シミュレーションファースト」のアプローチは、開発スピードの向上、コスト削減、品質向上、そして持続可能性の実現に大きく貢献します。
この欧州での大きな動きは、日本の製造業にとっても決して他人事ではありません。グローバルな競争が激化する中で、AIやデジタルツインといった先進技術をいかに活用し、自社の強みを伸ばしていくか。そのヒントが、今回のNVIDIAの発表には詰まっていると言えるでしょう。