はじめに
世界的な実業家イーロン・マスク氏が率いるAI企業「xAI」が、最新のAIを動かすためのスーパーコンピュータ施設において、許可なく天然ガスタービンを稼働させ、周辺地域の大気を汚染しているとして、公民権運動団体から訴訟を起こされようとしています。本稿では、The New York Timesの「Elon Musk’s A.I. Company Faces Lawsuit Over Gas-Burning Turbines」という記事をもとに、現代社会を席巻するAI技術開発の裏側で、今まさに顕在化しつつある深刻な環境問題と社会問題について解説します。
引用元記事
- タイトル: Elon Musk’s A.I. Company Faces Lawsuit Over Gas-Burning Turbines
- 著者: Hiroko Tabuchi
- 発行元: The New York Times
- 発行日: 2025年6月17日
- URL: https://www.nytimes.com/2025/06/17/climate/naacp-musk-xai-supercomputer-lawsuit.html


要点
- イーロン・マスク氏のAI企業xAIは、テネシー州メンフィスでAI「Grok」用のスーパーコンピュータを稼働させるため、許可なく多数の天然ガスタービンを設置・運転している。
- 施設は主に黒人が住む地域に隣接しており、全米黒人地位向上協会(NAACP)は、タービンからの大気汚染が健康被害をもたらす「環境人種差別」であるとして、訴訟の意向を通知した。
- AI開発競争の激化によりデータセンターの電力需要は急増しており、その電力を化石燃料で賄うことの環境への影響が、クリーンエネルギーへの移行の大きな課題となっている。
- 電気自動車やバッテリー技術でクリーンエネルギーを推進してきたマスク氏の企業が、環境汚染を引き起こしているという深刻な矛盾が指摘されている。
詳細解説
AI開発と「電力の怪物」データセンター
近年、ChatGPTをはじめとする生成AIの進化は目覚ましいものがありますが、その頭脳となっているのが「スーパーコンピュータ」を収めた大規模なデータセンターです。AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、膨大なデータを学習する過程で天文学的な量の計算を必要とします。この計算処理を行うサーバー群は、冷却も含めて凄まじい電力を消費するため、データセンターは「電力の怪物」とも呼ばれています。
今回のxAIのケースでは、そのスーパーコンピュータが必要とする電力は、実に「一般家庭10万戸分に匹敵する」と報じられており、いかにAI開発がエネルギー集約的な事業であるかが分かります。そして、この膨大な電力をどう確保するかが、今回の問題の核心となります。
何が起きているのか? 無許可のガスタービン稼働
xAIは、テネシー州メンフィスにある元製造工場の跡地に、最新AI「Grok」を動かすためのスーパーコンピュータ施設を建設しました。しかし、電力網から十分な電力を得ることが難しかったためか、同社は平床トラックで35基もの天然ガスを燃料とする発電用タービンを運び込み、自前で発電を始めました。
ここで最大の問題となっているのが、このガスタービンの稼働が、大気汚染を防ぐための地域の条例や連邦法に基づく正式な許可を得ずに行われているという点です。NAACP(全米黒人地位向上協会)を代理する南部環境法センター(SELC)は、これは明確な法律違反であると主張しています。一方でxAI側は「適用されるすべての法律を遵守している」と声明を出していますが、原告側は「xAIが主張するような法的な免除規定は存在しない」と強く反論しており、両者の主張は真っ向から対立しています。
健康への脅威と「環境人種差別」
天然ガスタービンは、発電時に窒素酸化物(NOx)や一酸化炭素(CO)だけでなく、ホルムアルデヒドやベンゼンといった有害な化学物質も排出します。これらは大気中で化学反応を起こしてスモッグの原因となるほか、ぜんそくや呼吸器疾患を悪化させ、長期的にはがんのリスクを高めることが知られています。
さらに深刻なのは、この施設が建設された場所です。メンフィス市の南部に位置するこの地域は、主に黒人住民が多く暮らすコミュニティに隣接しています。そしてこの地域は、すでに製油所、製鉄所、化学工場などからの排出物によって、長年にわたり不均衡な環境負荷を強いられてきました。記事によると、施設に最も近い「ボックスタウン」という地区のがんリスクは、全米平均の4倍にものぼると指摘されています。
このように、有害な施設や公害源が、意図的かどうかにかかわらず、有色人種や低所得者層のコミュニティに偏って立地される問題を「環境人種差別(Environmental Racism)」と呼びます。NAACPは、xAIの行為はまさにこの環境人種差別に他ならず、「数十億ドル規模の企業が、許可も取らずに黒人居住区で汚染事業を行い、それが許されると考えている。このような環境における不正義を常態化させるわけにはいかない」と厳しく非難しています。
AIブームが突きつける、テクノロジーと環境のジレンマ
この一件は、単にイーロン・マスク氏の一企業の問題にとどまりません。これは、現在の世界的なAI開発競争が抱える、より大きな構造的問題を象徴しています。AI技術の進歩を加速させるためには、より多くのデータセンターが必要となり、その結果、電力需要は爆発的に増加しています。
多くの国や地域が気候変動対策としてクリーンエネルギーへの移行を目指す中で、このAIによる電力需要の急増は、皮肉にも化石燃料への依存を再び強める圧力となっています。テクノロジーの進歩が、環境保護の努力を後退させかねないというジレンマがここにあるのです。
特に、電気自動車のテスラで「持続可能なエネルギーへ世界の移行を加速する」ことをミッションに掲げてきたマスク氏が、AI開発においては化石燃料を燃やし、環境汚染を引き起こしているという事実は、多くの批判を呼んでいます。地域の代表者は、「彼はバッテリー貯蔵と電気自動車でキャリアを築いたのではなかったか?」と、その矛盾を鋭く指摘しています。
まとめ
本稿では、イーロン・マスク氏のAI企業xAIがメンフィスで直面している環境訴訟問題について、The New York Timesの記事を基に解説しました。この問題は、AI開発の最前線で起きている以下の重要な点を浮き彫りにしています。
- AI開発は膨大な電力を消費し、エネルギー供給が大きな課題であること。
- 利益や開発速度を優先するあまり、法規制や環境への配慮が蔑ろにされる危険性があること。
- 施設の立地によっては、特定のコミュニティに環境負荷を押し付ける「環境人種差別」という深刻な社会問題を引き起こすこと。
私たちはAIがもたらす利便性や可能性に目を奪われがちですが、その華やかな技術の裏側には、こうした環境負荷や社会的な不公正といった「不都合な真実」が存在します。この事例は、テクノロジーの発展を追求する際には、倫理的な配慮や環境への責任が不可欠であることを、私たちに強く訴えかけています。