はじめに
食料品配達サービスInstacartが、AIを活用した価格実験により、同じ商品を顧客ごとに異なる価格で販売していることが明らかになりました。Consumer ReportsとGroundwork Collaborativeが2025年12月に発表した調査結果をもとに、本稿ではAI価格設定の実態と消費者への影響、そして日本市場への示唆について解説します。
参考記事
メイン記事:
- タイトル: Instacart’s AI-enabled pricing may bump up your grocery costs by as much as 23%, study says
- 著者: Mary Cunningham
- 発行元: CBS News
- 発行日: 2025年12月9日
- URL: https://www.cbsnews.com/news/instacart-price-discrepancies-investigation/
関連情報:
- タイトル: Instacart’s AI technology is hiking prices as much as 20% for the same item, new study reveals
- 著者: Jordan Valinsky
- 発行元: CNN
- 発行日: 2025年12月10日
- URL: https://edition.cnn.com/2025/12/10/business/instacart-ai-prices-study
要点
- Consumer ReportsとGroundwork Collaborativeの調査により、Instacartが同一商品に対して顧客ごとに最大23%の価格差を設定していることが判明した
- 437人の参加者全員がアルゴリズムによる価格実験の対象となっており、SafewayやTarget、Costco、Krogerなど大手小売チェーンの商品で価格差が確認された
- 価格差は商品によって7セントから2.56ドルに及び、年間で家族あたり約1,200ドルのコスト増となる可能性がある
- Instacartは現在10の小売パートナーでこの価格実験を実施しており、AIが顧客の価格感度を測定している
- 同じ商品の「元の価格」も顧客によって異なる表示がされ、割引額が実際より大きく見える「架空価格設定」の手法も確認された
詳細解説
AI価格設定の実態と規模
CBS Newsによれば、数カ月にわたる調査の結果、Instacartのプラットフォーム上で同一の食料品が顧客によって最大23%の価格差で販売されていることが明らかになりました。この価格差は、Instacartが2022年から導入したAIモデルによるアルゴリズム価格実験によるもので、サンフランシスコに拠点を置く同社と提携する一部の大手小売チェーンの商品価格を設定しています。
調査では437人のボランティアが参加し、SafewayとTargetで同一の買い物かごの商品をInstacart上で購入する実験を実施しました。CNNの報道では、参加者全員がアルゴリズムによる価格実験の対象となっていたことが確認されています。また、Albertsons、Costco、Kroger、Sprouts Farmers Marketでも価格実験の証拠が見つかりました。
アルゴリズム価格設定は、eコマースにおいて需要に基づいて価格を変動させる動的価格設定の一種です。ただし、旅行業界のように供給が固定されている分野では一般的ですが、食料品小売では消費者が「価格は固定されているもの」と期待する傾向があり、この手法の適用には議論の余地があると考えられます。
具体的な価格差の事例
CBS Newsの報告によれば、いくつかの商品では最大5種類の異なる価格設定が確認されました。シアトルのSafewayで実施されたテストでは、Wheat Thinsの箱の価格が最大23%異なっていました。また、ワシントンD.C.のSafewayでは、卵1ダースの価格が3.99ドル、4.28ドル、4.59ドル、4.79ドルの4通りで表示されていたとCNNが報じています。
さらに、Safewayのプライベートブランドのコーンフレークでは、最低価格2.99ドルから最高価格3.69ドルまで、23%の価格差が観測されました。商品によっては、7セントという小さな差から2.56ドルという大きな差まで、幅広い価格変動が見られました。
一方で、すべての商品が価格実験の対象となっているわけではありません。シアトルのSafewayでは、Premium brandのsaltineクラッカー、Heinzケチャップ、Barillaのfarfalleパスタなどの商品では価格変動が観察されませんでした。
消費者への年間コスト影響
この価格差が消費者に与える経済的影響について、CBS Newsによれば、Instacartが公表している4人家族の平均的な食料品支出額を基に計算すると、価格変動により年間約1,200ドルのコスト増となる可能性があるとされています。
この金額は、家計における食費支出の大きな割合を占めると考えられます。特に、オンライン食料品配達サービスへの依存度が高い家庭では、価格実験による影響がより顕著になる可能性があります。
Instacartの対応と説明
Instacartは両メディアに対し、10の小売パートナーが価格実験を実施していると回答しましたが、具体的な企業名は明らかにしませんでした。同社の広報担当者は、「小売業者が実店舗で長年にわたり価格テストを行って消費者の嗜好を理解してきたのと同様に、すでにマークアップを適用している10の小売パートナーのみが、Instacart経由でオンラインでも同じことを行っている」と説明しています。
また、これらのテストは「限定的で、短期的、ランダム化されたもの」であり、小売パートナーが消費者にとって最も重要なことを学び、必需品を手頃な価格に保つ方法を見つけるのに役立つとしています。CNNの報道では、Instacartは各小売業者の価格設定ポリシーがアプリやウェブサイトの店舗ページに表示されており、顧客はオンライン価格と店舗内価格の違いを確認できると述べています。
さらに、Instacartは個人情報、人口統計データ、ユーザーレベルの行動データを価格設定に使用していないとCBS Newsに回答しました。
架空価格設定の問題
CBS Newsの調査では、顧客ごとに異なる「元の価格」が表示され、一部の割引が実際より大きく見える現象も確認されました。この手法は「架空価格設定」として知られています。連邦取引委員会(FTC)法は「不公正または欺瞞的な行為または慣行」を禁止しており、これには「誤解を招くコストまたは価格の主張」が含まれます。
Amazonは2025年10月に、夏のPrime Dayセールでこの手法を使用したとして訴訟を起こされました。同様の懸念がInstacartの価格表示にも当てはまる可能性があります。
消費者の認識とサーベイランス価格設定
CBS Newsの報告によれば、調査チームが話を聞いたInstacart利用者は、自分たちが積極的な価格実験の参加者であることを知らず、この慣行を「操作的で不公平」と見なしていました。Consumer Reportsのデジタルマーケットプレイス政策ディレクターであるJustin Brookmanは、「従来、このようなことを心配する必要はありませんでした。スーパーマーケットに行って、棚に表示されている価格を支払っていました」とCBS Newsに語り、「今では、人々は『自分は騙されているのか』と心配すると思います」と述べています。
CNNの記事では、Instacartが顧客の「価格感度」を測定するためにAIを使用していると報じられています。これは、買い物客が購入をやめると決める前に、食料品店が商品にいくら請求できるかを意味します。これは、供給と需要に応じて価格が即座に変わる動的価格設定とは異なるアプローチです。
サーベイランス価格設定は、企業が買い物客の行動と個人データを使用して価格評価を行う手法です。FTCによれば、AIの発展により、この手法は膨大な量のデータを迅速に評価して価格レベルを決定できるようになっています。Brookmanは、「企業がこのような種類のアルゴリズム価格モデルを使用して、私たちが支払う意思のある最大額を請求することを懸念しています。これは企業の利益には良いですが、私たちの財布にはあまり良くありません」とCBS Newsに語りました。
オンラインショッピングにおける価格透明性の課題
GlobalDataのマネージングディレクター兼アナリストであるNeil Saundersは、同一商品の価格変動は、顧客が実店舗と同じ参考点を持たないオンラインショッピングで特に顕著であるとCBS Newsに指摘しました。「スマートフォンやブラウザの前に座って、価格を見せられても、他の人に何が表示されたかわかりません」と述べています。
オンライン環境では、消費者が複数の価格を比較することが困難になります。実店舗では、同じ商品の価格を他の買い物客と比較したり、過去の購入経験から価格の妥当性を判断したりできますが、オンラインではこうした情報が限られています。
Saundersは、小売業、特に食料品小売では、人々は「価格は価格である」と期待しており、価格が上下に変動することを期待していないと指摘しました。また、同氏は、企業が顧客に価格実験の一部であることを伝える法的義務があるとは考えていないとも述べています。
日本市場への示唆と消費者への影響
Instacartは日本ではまだ展開されていませんが、この事例が示すAI価格設定の動向は、日本の消費者やビジネスにとって重要な示唆を含んでいると考えられます。
日本国内では、楽天西友ネットスーパー、イオンネットスーパー、Amazonフレッシュ、Uber Eatsなど、複数のオンライン食料品配達サービスが展開されています。これらのサービスでも、技術的にはAIによる動的価格設定の導入は可能であり、グローバルなeコマース企業が先行して実装した技術が、将来的に日本市場にも波及する可能性があります。
日本の消費者は伝統的に「一物一価」の原則、つまり同じ商品は同じ価格であるべきという期待が強い傾向があるとされています。これは、実店舗における明朗な価格表示が長年にわたり定着してきた文化的背景によるものと言えます。そのため、同じ商品が顧客によって異なる価格で販売されるという手法は、日本の消費者感覚とは相容れない面があると思います。
法制度の観点では、日本では景品表示法が「不当な価格表示」を規制しており、消費者庁が監視を行っています。架空価格設定や二重価格表示については、既存の法規制でも対応可能な部分がありますが、AIによる個別価格設定という新しい手法については、現行法での対応が十分かどうか、今後検討が必要になる可能性があります。
また、日本企業がこの技術を導入する場合、消費者の反発や信頼低下のリスクを慎重に評価する必要があると考えられます。欧米市場と比較して、日本では企業と消費者の信頼関係がビジネスの基盤となっている側面が強く、価格設定の透明性が損なわれることは、長期的なブランド価値の毀損につながる懸念があります。
一方で、eコマースの普及に伴い、日本の消費者もオンライン価格と実店舗価格の違いには徐々に慣れてきています。配送料やサービス料による価格差は既に一般的になっており、その延長線上で、どこまでの価格変動が許容されるかという議論が、今後日本でも必要になってくると思います。
Instacartの事例は、AI技術の進展がもたらす新たな倫理的・法的課題を浮き彫りにしています。日本の消費者としては、オンラインショッピングを利用する際に、価格の比較や変動のチェックをより意識的に行うことが重要になってくるかもしれません。また、企業側には、技術的に可能だからといって無条件に導入するのではなく、消費者との信頼関係を維持しながらイノベーションを進めるバランス感覚が求められると言えます。
まとめ
InstacartのAI価格設定は、同一商品に対して顧客ごとに最大23%の価格差を生み出しており、年間1,200ドルのコスト増につながる可能性があることが、Consumer ReportsとGroundwork Collaborativeの調査で明らかになりました。437人全員が価格実験の対象となっていたという事実は、この手法の広範な適用を示しています。日本ではInstacartは展開されていませんが、AI価格設定というグローバルトレンドは、今後日本市場にも影響を与える可能性があります。オンラインショッピングにおける価格透明性の確保と、消費者保護のあり方が、国際的な課題として重要性を増していると考えられます。
