はじめに
近年、AI技術は私たちの生活の様々な側面に浸透しつつありますが、ついに「親友」という極めて個人的な領域に踏み込む製品が登場し、米国で大きな注目と議論を呼んでいます。その製品は、ネックレス型のAIウェアラブルデバイス「Friend」です。ニューヨークの地下鉄を埋め尽くす大規模な広告キャンペーンを展開し、その広告が落書きのキャンバスと化していることでも話題となっています。
本稿では、米国の経済誌Fortuneが2025年10月1日に報じた内容をもとに、このAIペンダント「Friend」の概要、その技術的な側面、そして私たちのプライバシーや「友情」という概念にどのような影響を与えうるのかを解説します。
参考記事
- タイトル: People destroyed the ‘friend.com’ AI necklace ads with graffiti. The founder loves it: ‘Capitalism is the greatest artistic medium.’
- 発行元: Fortune
- 発行日: 2025年10月1日
- URL: https://fortune.com/2025/10/01/who-is-avi-schiffmann-friend-ai-pendant-necklace/
要点
- friend.comは、常にユーザーの話を聞き、対話し、「記憶」を保存するAI搭載のネックレス型デバイスである。
- 22歳の創業者アヴィ・シフマン氏は、100万ドルを投じた大規模な広告キャンペーンを展開。広告への落書きを「芸術的表現」として歓迎し、AIと友情に関する文化的議論の誘発を狙っている。
- 製品はシンプルな構造だが、その利用規約には、受動的な音声・顔データ収集への同意など、ユーザーのプライバシーに関する重要な項目が含まれている。
- データセキュリティに関して、暗号化キーがペンダント本体に組み込まれており、物理的に破壊されるとデータも永久に失われる「生きているYubiKey」のような設計だと主張されている。
- 製品はまだ発展途上であり、専門家からはその安全性や社会的影響について、過去の危険な流行製品になぞらえて懸念の声が上がっている。
詳細解説
「Friend」とは何か? – AI搭載ペンダントの概要
「Friend」は、マイクとBluetoothチップを内蔵したペンダント型のウェアラブルデバイスです。常にユーザーの周囲の音を聞き取る「常時リスニングモード」を備えており、GoogleのGemini AIを利用してユーザーと対話し、その内容を「記憶」として視覚的なグラフに保存します。
価格は129ドルで、これまでに約3,000台が注文され、そのうち1,000台が出荷されました。売上は約34万8,000ドルです。「あなたの最も親しい友人」というコンセプトで販売されており、ユーザーは1日に238回も「Friend」に話しかけているというデータ(中央値)もあります。これは、多くの人が恋人や親しい友人と交わすメッセージの数を上回るかもしれません。
物議を醸す広告戦略と創業者の狙い
創業者であるアヴィ・シフマン氏は、この製品を世に広めるために、ニューヨークの地下鉄やロサンゼルスのバス停に11,000もの広告を出すなど、スタートアップとしては異例の100万ドル規模の広告キャンペーンを展開しました。広告には「君と一緒にシリーズ作品を一気見するよ」「シンクに汚れたお皿を残したりしない」といった、親密さを感じさせるキャッチコピーが並びます。
しかし、これらの広告はすぐに落書きの標的となりました。「AIは君が生きるか死ぬかなんて気にしない」「監視資本主義」といった批判的なものも多く見られます。通常、創業者であればこのような事態を問題視しますが、シフマン氏はこれを「芸術的に価値が証明された」と歓迎しています。彼は意図的に広告に余白を残し、「観客が作品を完成させる」ことを計画の一部だと語り、「資本主義は最も偉大な芸術的媒体だ」と述べています。彼の真の狙いは、単に製品を売ることではなく、AI時代の「友情」とは何かという文化的な議論を巻き起こすことにあるのです。
技術的な側面とプライバシーの懸念
「Friend」の技術はシンプルですが、その利用規約には注意すべき点が多く含まれています。ユーザーは、集団訴訟や裁判を受ける権利を放棄し、紛争は仲裁によって解決することに同意する必要があります。
さらに重要なのは、「生体認証データへの同意(biometric data consent)」に関する条項です。これにより、企業側は受動的に音声や映像を記録し、ユーザーの顔や声のデータを収集し、それらをAIのトレーニングに利用する許可を得ることになります。
シフマン氏はこの規約が「少し極端」であることを認めつつも、少人数のチームで法的なリスクを回避するために意図的に幅広く設定したと説明しています。また、現時点ではユーザーデータを使ったAIのトレーニングは行っていないと述べていますが、将来的に行う可能性を規約に残している形です。
データセキュリティの仕組み:「生きているYubiKey」
プライバシーに関する懸念の一方で、データセキュリティについては独特の仕組みを提唱しています。シフマン氏によれば、「Friend」は暗号化キーがペンダント本体に直接組み込まれた「生きているYubiKey」のようなものだと説明しています。
YubiKeyとは、PCなどに接続して使用する物理的なセキュリティキーのことです。これがあることで、本人であることを証明できます。「Friend」も同様に、ペンダント本体がなければデータは完全にアクセス不能になるといいます。シフマン氏が「もし私があなたのFriendをハンマーで叩き壊したら、あなたのデータは永遠に失われる」と語るように、物理的なデバイスの破壊がデータの完全な消去を意味するという、非常に大胆な設計思想です。
専門家からの批判と市場の反応
この新しいデバイスに対して、専門家からは厳しい意見も出ています。ブラウン大学の専門家であるスレシュ・ヴェンカタスブラマニアン氏は、「Friend」を20世紀初頭に流行した「ラジウムネックレス」になぞらえています。当時は放射性物質であるラジウムが健康に良いともてはやされ、アクセサリーとして販売されましたが、数十年後に発がん性が問題となりました。同様に、「Friend」も安全性や有効性が証明されないまま、人々の親密な生活に入り込む危険性をはらんでいると警告しています。
また、Humane社の「Ai Pin」やRabbit社の「R1」など、先行するAIハードウェアが市場で苦戦していることもあり、「Friend」の先行きを疑問視する声もあります。
実際の製品も、Fortuneの記者が試したところ、遅延や物忘れ、接続切れが頻繁に発生するなど、まだ不安定なようです。
まとめ
AIペンダント「Friend」は、AIと人間の新しい関係性を提案する意欲的な製品であると同時に、私たちのプライバシーとデータセキュリティに対する考え方を根本から問い直す存在です。創業者のアヴィ・シフマン氏は、あえて議論を巻き起こすことで、製品の価値を高めようとしています。
「親友」をAIに求める時代は、利便性とともに、これまで以上に慎重な判断が求められることになるでしょう。本稿で解説したような利用規約の詳細や専門家からの懸念点を理解した上で、私たちはこうした新しい技術とどう向き合っていくべきか、一人ひとりが考えていく必要があります。