はじめに
オーストラリアの独立議員David Pocock氏が2025年11月24日、AIディープフェイクの被害者保護を目的とした法案を連邦議会に提出しました。本稿では、ABC Newsの報道をもとに、この法案の内容と背景、オーストラリアにおけるAI規制の現状について解説します。
参考記事
- タイトル: Victims of AI deepfakes could sue for emotional damages under new bill
- 著者: Ange Lavoipierre
- 発行元: ABC News(オーストラリア)
- 発行日: 2025年11月24日
- URL: https://www.abc.net.au/news/2025-11-24/victims-ai-deepfake-sue-under-david-pocock-bill/106037560
要点
- 非同意のAIディープフェイクを共有した個人には最大165,000ドル、企業には最大825,000ドルの罰金が科される
- オンライン安全法に苦情処理の枠組みを追加し、eSafety Commissionerに削除命令と即時罰金の権限を付与する
- プライバシー法の改正により、被害者が金銭的損害を証明せずとも民事訴訟を起こせるようになる
- ジャーナリズム、風刺、法執行機関の善意の使用などは適用除外となる
- オーストラリア政府はAI政策について2年以上協議を続けているが、具体的な対応は示されていない
詳細解説
法案の背景と目的
ABC Newsによれば、David Pocock上院議員は、オーストラリア人が現在「基本的な保護措置」を欠いた状態にあると指摘しています。性的に露骨なディープフェイクを除けば、顔や声が無断で複製され、詐欺、商業的搾取、偽情報拡散など様々な目的で使用されることに対する法的保護がほとんど存在しないという状況です。
Pocock議員は「この法案は、あなたの顔、声、肖像があなた自身のものであることを法律に明記するものです」と述べています。ディープフェイク技術が急速に進化し、誰でも簡単に作成できるようになった現在、法的な境界線を明確にする必要があるという考えに基づいています。
具体的な罰則と執行メカニズム
この法案では、オンライン安全法(Online Safety Act)に専用の苦情処理フレームワークを追加し、eSafety Commissionerに新たな権限を付与します。
具体的な罰金額としては、非同意のディープフェイクを共有した個人には最大165,000ドルの即時罰金が科されます。企業が削除通知に従わなかった場合は、最大825,000ドルの罰金となります。さらに、非同意のディープフェイクを共有した個人が削除通知を無視した場合、2回目の罰金が科される可能性があります。
これらの罰金額は、ディープフェイクによる被害の深刻性を反映したものと考えられます。特に企業に対する高額な罰金は、プラットフォーム事業者に迅速な対応を促す意図があると推測されます。
民事訴訟権の新設
法案のもう一つの重要な要素は、プライバシー法(Privacy Act)の改正です。これにより、オーストラリア人は加害者を直接訴え、金銭的補償を求める民事訴訟を起こせるようになります。
ABC Newsによれば、この提案の特徴的な点は、被害者が訴訟を起こすために金銭的損害を証明する必要がないことです。これは、ディープフェイクによる精神的被害を認識したものとされています。
Pocock議員は「人間として、私たちの肖像、顔、声、仕草は、私たちが何者であるかの大きな部分を占めています」と述べ、「あなた自身の顔を所有すべきだというのは、当然のことのように思えます」と付け加えています。この表現は、個人のアイデンティティと尊厳を保護することの重要性を強調していると言えます。
適用除外と制限事項
一方で、法案には重要な制限も含まれています。Pocock議員によれば、ジャーナリズム、風刺、法執行機関による善意の使用などは適用除外となります。これらの除外規定と防御は、名誉毀損法と類似しており、さらに子供に対する追加的な除外規定も設けられています。
また、法案は、非同意のディープフェイクであることを知らずに共有した人々を救済することを目的として設計されており、故意または無謀に共有した人々のみを対象とするとされています。
これらの制限事項は、言論の自由と個人の保護のバランスを取ろうとする試みと考えられます。特にジャーナリズムと風刺の除外は、民主的な議論の場を維持する上で重要な配慮と言えます。
クロスベンチからの積極的な動きと政府の対応
Pocock議員の法案は、クロスベンチ(無党派議員)からのAI規制への取り組みの一環です。ABC Newsによれば、2025年7月には、独立議員のKate Chaney氏が、児童性的虐待素材を生成するAIアプリやツールを犯罪化する私議員法案を提出しています。
Chaney議員は「司法長官室と話をしましたが、確かに問題があるという認識はありました。しかし、それでもまだ何の行動も見られません」と述べています。
政府は2024年8月に、非同意の性的に露骨なディープフェイクの共有を犯罪化する法律を可決しましたが、そうした素材の作成行為自体は犯罪化されていません。Chaney議員とPocock議員は、性的なディープフェイクの問題を超えた、はるかに広範な保護が今すぐ必要だと主張しています。
Pocock議員は「政府が不在の中、クロスベンチがここで立ち上がっています」と述べ、「オーストラリア人と話すと、彼らはAIの悪用について懸念しています」と付け加えています。
先週、Chaney議員も同様の懸念を表明し、オーストラリア独自のAI安全研究所(AI Safety Institute)の設立を求めました。「米国、英国、カナダ、日本、シンガポールはすべて同等の機関を持っています。オーストラリアはその考えを支持していますが、実際にはまだ設立に向けた行動を取っていません」と彼女は述べています。
「AIが急速に変化している中、何をすべきか悩んで親指をくるくる回している余裕はありません」とChane議員は強調しています。
政府の慎重な姿勢
ABC Newsによれば、政府は、前産業・イノベーション大臣のEd Husic氏が主導した特定のAI規制案を棚上げした後、AIに対するより広範な政策対応を検討してきました。
労働党の姿勢は年半ばに変化し、生産性委員会がAI法を「最後の手段」とすべきだと呼びかけたことを受けて、AIの経済的な可能性に焦点を当てるようになりました。
8月には、新大臣のTim Ayres氏がABCに対し、政府は規制対応に「急いでいない」と述べ、2025年末に予定されているレビューの結果を待っていると説明しました。「政府がここで良い決定を下し、適切な結果をもたらすことを確実にしたい」と彼は述べています。
Pocock議員は、政府が2年前にAIに関する協議を開始して以来、「それについて全く何もしていない」と批判しています。「同時に、大手AI企業が生産性の面で世界を約束する言葉を鵜呑みにしているが、実際の非常に現実的なリスクについては話していない」と彼は述べています。
「これは私たちに向かってくる巨大な貨物列車であり、私たちは準備ができていません」とPocock議員は警告しています。
この政府と議員の間の温度差は、技術革新の促進と規制による保護のバランスをどう取るかという、多くの国が直面している課題を反映していると考えられます。
まとめ
オーストラリアのDavid Pocock議員が提出したディープフェイク規制法案は、非同意の使用に対する明確な罰則と、被害者の民事訴訟権を確立しようとするものです。一方で、政府は慎重な姿勢を維持しており、AI規制に関する具体的な方針はまだ示されていません。この法案が可決されるかどうか、また政府がどのような包括的なAI政策を打ち出すかは、今後の日本政府の対応にも影響を与えるため、注目点となります。
