はじめに
Appleの現状について、一見すると対照的な二つの側面から深掘りしていきます。一つは、映画『F1』の大ヒットに象徴されるサービス事業の目覚ましい成功。もう一つは、現代のテクノロジー業界における最重要課題であるAI(人工知能)開発の遅れという深刻な問題です。
本稿では、米CNBCが報じた「Apple scores big victory with ‘F1,’ but AI is still a major problem in Cupertino」という記事を基に、Appleの「今」を解説します。
引用元記事
- タイトル: Apple scores big victory with ‘F1,’ but AI is still a major problem in Cupertino
- 著者: Kif Leswing
- 発行元: CNBC
- 発行日: 2025年7月4日
- URL: https://www.cnbc.com/2025/07/04/apple-f1-artificial-intelligence.html
要点
- Appleは、映画『F1』の記録的なヒットにより、サービス事業における長期的な投資戦略が大きな成功を収めたことを証明した。
- その一方で、同社のAI開発、特に中核となるアシスタント機能Siriの進化は競合他社に大きく遅れをとっており、投資家や市場からその将来性を疑問視されている。
- Appleは長らく、主要技術を自社で開発する「自前主義」を貫いてきたが、Siriの性能向上のため、OpenAIやAnthropicといった外部企業のAI技術の導入を検討していると報じられており、大きな戦略転換の可能性が浮上している。
- AI分野で成功を収めるには、映画事業で見せたような明確な長期ビジョンと、人材獲得を含む積極的な投資が不可欠であるが、現状のAppleにはその動きが乏しく、AI開発競争で周回遅れになるリスクを抱えている。
詳細解説
光:映画『F1』の成功が示すAppleの「強さ」
Appleと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、iPhoneやMacといった洗練されたデバイスかもしれません。しかし、近年の同社を支えるもう一つの大きな柱が「サービス事業」です。Apple MusicやiCloud、そして映像配信サービスのApple TV+などがこれに含まれます。
2019年に鳴り物入りで開始したApple TV+は、当初はコンテンツ不足を指摘されるなど、苦戦が伝えられていました。しかし、Appleは地道に、そして着実にハリウッドとの関係を築き、質の高いオリジナル作品へ投資を続けてきました。その長期的な戦略が結実した象徴的な出来事が、映画『F1』の大ヒットです。
ブラッド・ピット主演のこの映画は、公開初週末で1億5500万ドル(約240億円)を超える興行収入を記録。これは単なる一つの映画の成功に留まりません。Appleがエンターテイメント業界のトッププレイヤーとして認められた瞬間であり、同社の強力なマーケティング力とブランド力を改めて世界に示しました。ティム・クックCEO自らがプロモーションの前面に立つなど、Appleが全社を挙げてこのプロジェクトに取り組んだことが、その成功を物語っています。
影:深刻化するAI開発の「遅れ」
華々しい映画事業の成功の裏で、Appleは深刻な課題に直面しています。それがAI開発の遅れです。特に、その象徴となっているのが、iPhoneユーザーにはおなじみの音声アシスタント「Siri」です。
Siriは2011年に登場し、世界を驚かせました。しかし、それから14年が経過した現在でも、その機能は「今日の天気は?」「アラームをセットして」といった単純な命令に応えるレベルに留まっています。
一方で、世の中ではOpenAIのChatGPTやGoogleのGeminiといった、人間と自然な対話ができる「生成AI」が急速に普及しました。これらのAIは、ユーザーの曖昧な質問の意図を汲み取り、文脈を理解した上で回答を生成できます。この技術の根幹にあるのが「基盤モデル(Foundation Models)」と呼ばれる、非常に大規模なデータでトレーニングされたAIモデルです。
残念ながら、現在のSiriにはこうした高度な能力が備わっておらず、記事では「硬直的で、一方通行の質疑応答システム」と厳しく評価されています。Appleは年次の開発者会議(WWDC)で「Apple Intelligence」というAI構想を発表しましたが、市場の期待を大きく下回り、Siriの大幅な改良は2026年まで延期されると報じられています。
Appleのジレンマ:「自前主義」と「プライバシー」の壁
なぜAppleはAI開発で遅れをとってしまったのでしょうか。記事では二つの側面が指摘されています。
一つは、Appleが長年貫いてきた「自前主義」です。iPhoneの心臓部であるプロセッサからOS、各種ソフトウェアに至るまで、製品の核となる技術は自社で開発するというのがAppleの成功哲学でした。しかし、変化の速いAIの世界では、この哲学が足かせになっている可能性があります。
もう一つが、徹底したプライバシー保護の姿勢です。高性能なAIを開発するには、膨大なユーザーデータによる学習が不可欠です。しかし、Appleはユーザーのプライバシーを最優先するあまり、競合のGoogleなどと比べてデータ活用に慎重にならざるを得ず、これがAI開発のスピードを鈍化させている一因と考えられます。
このジレンマを象徴するのが、最近のBloombergによる報道です。記事によると、Appleはついに自前主義を一部放棄し、Siriの頭脳(エンジン)部分に、外部の企業であるAnthropicやOpenAIのAI技術を搭載することを検討しているというのです。これは、自社技術だけでは追いつけないという現実を認め、大きな方針転換に踏み切る可能性を示唆しており、ウォール街の投資家からはむしろ好意的に受け止められています。
取り残される「AI人材獲得競争」
AI開発競争は、技術だけでなく「人」の競争でもあります。Meta(旧Facebook)やGoogle、Microsoftといった巨大IT企業は、トップクラスのAI研究者やエンジニアを、数億円、場合によっては数百億円という破格の報酬で獲得する熾烈な人材獲得競争を繰り広げています。
しかし、記事によれば、Appleはこの人材獲得競争において目立った動きを見せていません。映画スターとは肩を並べる一方で、AI界のスタープレイヤーを迎え入れることに消極的に見えるのです。このままでは、将来の技術開発を担う頭脳が不足し、競合との差は開くばかりかもしれません。
まとめ
本稿では、CNBCの記事を基に、Appleが現在置かれている状況を「光」と「影」の二つの側面から解説しました。
映画『F1』の成功は、Appleが明確な目標を掲げ、長期的な視点で投資を続ければ、巨大な成功を収める力があることを証明しています。その一方で、AIという現代最大の技術革新の波に対しては、その明確なビジョンや戦略が見えず、かつての成功体験が足かせになっているようにも見えます。
「Siriのエンジンを外部から調達する」という噂が真実であれば、それはAppleにとって屈辱的な後退であると同時に、現実的な再起の一手となるかもしれません。iPhoneを生み出した革新的な企業が、AI時代にどのような答えを出すのか。今、世界中の注目がクパチーノ(Apple本社所在地)に集まっています。