はじめに
本稿では、米NPRが2025年6月23日に報じた記事「An AI video ad is making a splash. Is it the future of advertising?」をもとに、AIだけで作られたある動画広告の事例からAIによる動画生成技術が広告業界にどのような革命をもたらそうとしているのか、その最前線を解説していきます。
引用元記事
- タイトル: An AI video ad is making a splash. Is it the future of advertising?
- 発行元: NPR (National Public Radio)
- 発行日: 2025年6月23日
- URL: https://www.npr.org/2025/06/23/nx-s1-5432712/ai-video-ad-kalshi-advertising-nba-finals
要点
- 米国のオンライン取引サービス「Kalshi」が、AIのみで生成した動画広告をNBAファイナルという大舞台で公開し、大きな注目を集めた。
- この広告は、わずか2日間、AIへの指示に要した費用は2,000ドル以下で制作され、従来の広告制作の常識を覆すものである。
- 制作にはGoogleの最新動画生成AI「Veo 3」や対話AI「Gemini」などが使用され、制作者はその具体的な手法を公開している。
- 専門家は、AIが広告制作のコストを劇的に下げ、パーソナライズを促進すると見る一方、消費者からの受容や人間の創造性との共存が今後の重要な課題であると指摘している。
詳細解説
話題のAI広告、その驚くべき内容と背景
2025年6月11日、全米が注目するプロバスケットボールNBAファイナルの放送中に、ある30秒のCMが流れました。それはオンライン取引サービス「Kalshi」の広告で、花嫁がゴルフカートで警察から逃げていたり、農夫が卵で満たされたプールに浸かっていたりと、常識外れで奇妙なシーンが次々と展開される、まさに「インターネット・ミーム」のような映像でした。
通常、このような高品質なCMは、広告代理店のクリエイターたちが何週間もかけて企画し、俳優や撮影クルーを動員して制作されるため、莫大な時間と費用がかかります。しかし、この広告を制作したP.J. Accetturo氏は、AIツールだけを使い、わずか2日間で完成させたと公表し、業界に衝撃を与えました。
この広告はYouTube TVでの放映後、SNSでも爆発的に拡散され、KalshiのX(旧Twitter)アカウントでは1週間で300万回以上再生されるなど、大きな話題作りにも成功しています。
驚異の制作背景:2日間と2,000ドルが示す広告の未来
この広告の最も衝撃的な点は、その制作期間とコストにあります。Accetturo氏によれば、制作期間はわずか2日間。そして、Kalshi社が明らかにしたところによると、「スタジオ、監督、俳優などの代わりにAIに指示(プロンプト)を出すためにかかった実質的なコストは2,000ドル(約32万円)以下」だったとのことです。
これは、数百万円から数千万円、時にはそれ以上の予算と数ヶ月の期間を要する従来の広告制作とは比較にならないほどの効率化です。この事実は、これまで予算の都合で高品質な動画広告を諦めていた中小企業や個人にとっても、新たな可能性が開かれたことを意味します。
技術的な核心:AIはどのように動画広告を作ったのか?
では、具体的にどのようにしてAIはこの広告を生成したのでしょうか。制作者のAccetturo氏は、そのプロセスを惜しみなく公開しています。
- 脚本の共同執筆: まず、Googleの「Gemini」やOpenAIの「ChatGPT」といった対話型AIにアイデアを求め、最も優れたものを人間が選び出し、脚本の骨子を組み立てます。
- 詳細な指示書(プロンプト)の作成: 次に、完成した脚本を再びGeminiに入力し、動画生成AIが理解できるような、シーンごとの詳細な指示書(プロンプト)に変換させます。プロンプトとは、AIに対して「どのような映像を作ってほしいか」を伝える命令文のことです。
- 動画クリップの生成: このプロンプトを、Googleの最新動画生成AI「Veo 3」に入力し、映像の断片(クリップ)を生成します。Accetturo氏はこの工程で「約300〜400回の生成を繰り返し、最終的に15の使えるクリップを得た」と語っており、望む映像を得るためには試行錯誤が必要であることがわかります。
- 編集: 最後に、生成された複数のクリップを動画編集ソフトで繋ぎ合わせ、音楽を加えて1本の広告として完成させます。
Accetturo氏は、「これが安価にできたからといって、誰でもできるわけではない」とも述べています。AIという強力なツールを使いこなし、商業レベルの品質を生み出すには、依然として人間の創造性やディレクション能力が不可欠なのです。
AIは広告業界をどう変えるのか?専門家の見解
この画期的な事例について、専門家たちはどのように見ているのでしょうか。
ジョージア州立大学でマーケティングを教えるAlok Saboo教授は、AIが「一部の小規模ブランドにとって参入障壁を下げる」と指摘します。さらに将来的には、視聴者のいる場所や興味に合わせて内容を少しずつ変える「広告のパーソナライズ」が、より低コストで実現可能になると予測しています。
一方で、マーケティングアナリストのDebra Aho Williamson氏は、AIによって広告コンセプトのテストが容易になる点を評価しています。「いくつかのコンセプトを素早く形にし、小規模なグループで試して、うまくいかなければ次へ進む。これこそが未来のやり方でしょう」と彼女は語ります。
しかし、課題もあります。Williamson氏が関わった2023年の調査では、若者世代(Z世代とミレニアル世代)のうち、AIが生成した広告に好意的だと答えたのは48%にとどまり、消費者側の受容にはまだハードルがあるようです。
そして両専門家が共通して強調するのが、「結局のところ、人間は人間とつながりたいのだ」という点です。Kalshi社自身も、今後もAIを活用しつつ「従来型の制作手法を完全に放棄することはない」と述べています。AIはあくまで強力なツールであり、人間の感情に訴えかける最終的なクリエイティブは、人間の手に委ねられる部分が大きいのかもしれません。
まとめ
今回ご紹介したKalshiのAI広告は、AIによる動画制作が実験的な段階を終え、商業的に大きなインパクトを与える実用レベルに達したことを明確に示しました。この技術革新は、広告業界にコスト削減、制作の高速化、新たな表現の可能性といった計り知れない恩恵をもたらすでしょう。
しかし同時に、クリエイターの雇用の問題、AI生成物に対する消費者の感情、そして倫理的な課題など、私たちが向き合うべき新たな問いも投げかけています。
これからの広告業界、そしてクリエイティブ業界全体にとって、AIという革命的なツールをいかに賢く、そして人間らしく活用していくか。その創造的な挑戦は、今まさに始まったばかりです。