はじめに
本稿では、近年急速に進化を遂げているAIによるコード生成技術、いわゆる「code-gen」の現状と、それがソフトウェア開発業界やエンジニアの未来にどのような影響を与えようとしているのかについて、ロイター(Reuters)が2025年6月4日に報じた記事「AI startups revolutionize coding industry, leading to sky-high valuations」をもとに解説します。特に、この分野で注目を集めるスタートアップ企業の動向、彼らが直面する課題、そして大手テック企業との競争の様相に焦点を当てます。
引用元記事
- タイトル: AI startups revolutionize coding industry, leading to sky-high valuations
- 発行元: Reuters
- 発行日: 2025年6月4日
- URL: https://www.reuters.com/business/ai-vibe-coding-startups-burst-onto-scene-with-sky-high-valuations-2025-06-03/
要点
- AIによるコード生成技術(code-gen)はソフトウェア開発分野で急速に進展しており、特に「code-gen」スタートアップ企業が高い注目と巨額の評価額を集めている。
- これらのスタートアップは、自然言語の指示からコードを生成する「vibe coding」のような革新的な技術を提供し、プログラミングの知識がない人でもソフトウェア開発を可能にするなど、開発のあり方を根本から変えようとしている。
- しかし、多くのスタートアップはOpenAIやAnthropicといった他社製のAI基盤モデルに依存しており、利用コストの増加や収益性の確保といった課題を抱えている。
- GoogleやMicrosoftのような巨大テック企業もこの市場に本格参入し、新製品を次々と発表しており、スタートアップとの競争は激化している。
- AIコーディングツールの普及は、特に反復的な作業が多いエントリーレベルのソフトウェアエンジニアの雇用に影響を与える可能性が指摘されている。
- 一部のスタートアップは、他社への依存を減らし競争優位性を確立するために、独自のAIモデル開発を目指しているが、それには莫大な投資と高度な技術力が必要である。
- この新しい市場での成功は、単に優れた技術を持つことだけでなく、その技術をいかに実用的な製品に応用し、効果的に市場に販売できるかにかかっている。
詳細解説
AIによるコード生成(code-gen)の勃興と現状
ChatGPTの登場から約2年が経過し、生成AIへの投資に対する具体的な成果が多くの分野で模索される中、ソフトウェア開発の領域が際立った進展を見せています。いわゆる「code-gen(コードジェネレーション:コード生成)」と呼ばれる技術に特化したスタートアップ企業が、企業経営層からの熱い視線を集め、驚くほど高い評価額を獲得しています。これは、企業が高価な人間のソフトウェアエンジニアの作業をAIで支援、あるいは一部代替することへの期待の表れです。
例えば、サンフランシスコに拠点を置くコード生成スタートアップのCursor社は、コードの提案や自動補完、さらにはコードのセクション全体を自律的に記述する能力を持ち、2025年5月にはThrive Capital、Andreessen Horowitz、Accelといった著名なテック投資家から9億ドルを調達し、評価額は100億ドルに達しました。また、マウンテンビューを拠点とし、人気のAIコーディングツール「Codeium」を開発するWindsurf社は、ChatGPTの開発元であるOpenAIの関心を引き、現在OpenAIが30億ドルでの買収交渉を進めていると報じられています。Windsurf社のツールは、平易な英語の指示をコードに翻訳する「vibe coding」と呼ばれる機能で知られ、これによりコンピュータ言語の知識がない人々でもソフトウェアを作成できるようになると期待されています。
code-genスタートアップCognition社のCEOであるスコット・ウー氏は、「AIは反復的で退屈な作業をすべて自動化した。ソフトウェアエンジニアの役割はすでに劇的に変化しており、もはや難解な構文を記憶することが重要ではなくなっている」と述べています。これらのスタートアップの創業者や投資家たちは、現在を、重要なユーザー層を獲得し、自社のAIコーディングツールを業界標準として確立するための「ランドグラブ(陣取り合戦)」の状況、つまり限られたチャンスの時期と捉えています。
スタートアップが直面する課題とリスク
しかし、これらのcode-genスタートアップの多くは、OpenAI、Anthropic、あるいはDeepSeekといった他社が開発したAI基盤モデル(Foundation Model:大量のデータで訓練された汎用的なAIモデル)の上に構築されています。そのため、AIモデルへのクエリ(問い合わせ)ごとのコストが増加しており、現時点ではいずれの企業も利益を上げていないのが実情です。
さらに、Google、Microsoft、そしてOpenAIといった巨大テック企業が2025年5月に相次いで新しいcode-gen製品を発表しており、Anthropicも同様の製品開発に取り組んでいると報じられていることから、これらのスタートアップは市場から締め出されるリスクにも晒されています。
大手テック企業の動向と市場競争
これらのスタートアップの急成長は、巨大テック企業が既に牙城を築いている分野での競争という厳しい現実の中で起きています。Microsoftが2021年にローンチした「GitHub Copilot」は、code-gen市場の支配的なプレイヤーと見なされており、関係者によると昨年の収益は5億ドルを超え、ユーザー数は1500万人以上に達しているとのことです。
ソフトウェアエンジニアの仕事への影響
AIが業界に革命をもたらすにつれて、多くの仕事、特に基礎的で反復作業を伴うエントリーレベルのコーディング職が失われる可能性が指摘されています。テック業界の採用動向を追跡するVC企業Signalfireの調査によると、経験1年未満の新卒ソフトウェアエンジニアの採用数は2024年に24%減少しました。これは、かつてエントリーレベルのエンジニアに割り当てられていたタスクが、部分的にAIによって遂行されるようになったためと分析されています。
GoogleのCEOは2025年4月に、「Googleのコードの30%以上が現在AIによって生成されている」と述べました。また、AmazonのCEOであるアンディ・ジャシー氏も昨年、AIを使用することで「開発者4,500人年分に相当する」作業時間を節約できたと発言しています。MicrosoftのCEOサティア・ナデラ氏も2025年5月のカンファレンスで、同社のコードの約20~30%がAIによって生成されていると述べています。同月、Microsoftは全世界で6,000人の従業員解雇を発表し、そのうち40%以上が本社のあるワシントン州のソフトウェア開発者でした。
これに対し、Microsoftの広報担当者は、「私たちは、開発者がより生産的かつ創造的になり、時間を節約できるよう支援するAIの創造に注力しています。これは、AI革命によって一部の役割が変わることを意味しますが、人間の知性はソフトウェア開発ライフサイクルの中心であり続けるでしょう」とコメントしています。
スタートアップの急成長と厳しい財務状況
一部の「vibe-coding」プラットフォームは、既に相当な年間経常収益(ARR:毎年決まって得られる収益)を誇っています。
従業員わずか60名のCursor社は、設立から2年足らずで、2025年1月までに年間経常収益がゼロから1億ドルに達しました。2021年に設立されたWindsurf社は、2024年11月にコード生成製品をローンチし、関係者によると既に年間5000万ドルの収益を上げています。
しかし、これらの事業運営に詳しい4つの投資家筋の情報によると、両スタートアップとも粗利益(Gross Margin:売上高から売上原価を差し引いた利益)はマイナスであり、つまり、製品やサービスを提供するためにかかる費用が、それによって得られる収益を上回っている状態です。コーディングスタートアップSourcegraph社のCEOであるクイン・スラック氏は、「人々がコーディングアシスタントに支払う価格は、今後さらに高くなるだろう」とロイターに語っています。
Cursor社とWindsurf社は、いずれも20代のMIT(マサチューセッツ工科大学)卒業生によって率いられており、現在のAIスタートアップシーンにおける一種の「ゴールドラッシュ」時代を象徴しています。Cursor社の親会社であるAnysphereに投資しているAndreessen Horowitzのゼネラルパートナー、マーティン・カサド氏は、「最初のインターネットブーム以来、これほど懸命に働く人々を見たことがない」と述べています。
生き残りの鍵:技術の活用と販売戦略
しかし、十数社ほど存在するとされるcode-gen企業が、巨大テック企業の本格参入の中で顧客を維持し続けられるかどうかは、まだ不透明です。
Redpoint Venturesのマネージングディレクターであるスコット・レイニー氏は、「多くの場合、問題は誰が最高の技術を持っているかということよりも、誰がその技術を最大限に活用し、誰が他社よりも自社製品をうまく販売できるかということだ」と指摘しています。同社はSourcegraph社や、独自のAI基盤モデルを構築しているソフトウェア開発スタートアップPoolside社に投資しています。
独自AIモデル開発への挑戦
現在のAIコーディングスタートアップの多くは、Anthropic社の「Claude」というAIモデルに依存しています。Anthropic社は、これらのcode-gen企業が支払う利用料などにより、2025年5月には年間経常収益が30億ドルを超えました。
しかし、一部のスタートアップは、この依存から脱却し、より優れたユーザーエクスペリエンスを提供したり、コストを削減したりするために、独自のAIモデル開発を試みています。2025年5月、Windsurf社はソフトウェアエンジニアリングに最適化された初の自社製AIモデルを発表しました。Cursor社もまた、フロンティアレベルモデル(Frontier-level Model:現時点で最も高性能な最先端のAIモデル)を自社で事前学習するための研究者チームを雇用したと報じられています。これにより、基盤モデルを提供する企業に高額な利用料を支払う必要がなくなる可能性があります。
ただし、独自のAIコーディングモデルを訓練しようとするスタートアップは、厳しい戦いに直面しています。大規模言語モデルを訓練するために必要な計算能力を購入またはレンタルするには、容易に数百万ドルのコストがかかる可能性があります。
以前、Replit社は独自モデルの訓練計画を中止しました。コーディングに特化したモデルを作成するために6億ドル以上を調達したPoolside社は、Amazon Web Services(AWS)との提携を発表し、顧客とのテストを行っていますが、まだ一般に利用可能な製品は発表していません。また、2023年以降に約5億ドルを調達した別のcode-genスタートアップMagic Dev社は、投資家に対し、フロンティアレベルのコーディングモデルを2024年夏に発表すると伝えていましたが、まだ製品をローンチしていません。
まとめ
AIによるコード生成技術は、ソフトウェア開発の効率を劇的に向上させ、これまでプログラミングの専門知識を持たなかった人々にもその門戸を開くなど、計り知れない可能性を秘めています。多くの革新的なスタートアップ企業が、この新しい技術を活用したサービスを提供しようと、熾烈な競争を繰り広げています。
しかし、本稿で見てきたように、これらの新興企業は、巨大テック企業との厳しい競争、収益性の確保、そして他社製AI基盤モデルへの依存からの脱却といった、数多くの大きな課題に直面しています。特に、独自のAIモデルを開発するには莫大な資金と高度な技術力が必要であり、その道のりは決して平坦ではありません。
この技術の急速な進化は、ソフトウェアエンジニアの役割や求められるスキル、さらには雇用市場にも大きな影響を与える可能性があり、業界全体がまさに変革期にあると言えるでしょう。単純なコーディング作業はAIに代替され、エンジニアにはより創造的で高度な問題解決能力が求められるようになるかもしれません。 今後の動向としては、単に優れた技術を持っているだけでなく、それをいかに実用的な製品やサービスに落とし込み、持続可能なビジネスモデルを構築し、効果的な市場戦略を展開できるかが、企業の成否を分ける重要な要素となるでしょう。日本の開発者の皆様や関連企業の皆様におかれましても、この新しい技術の波をどのように捉え、自社のビジネスやスキル開発に活用していくかが、今後の競争力を左右する重要な鍵となると考えられます。