[ニュース解説]心の奥の情景をAIで描く:「合成記憶」が拓く、個人の物語と歴史の未来

目次

はじめに

 本稿では、人工知能(AI)が高齢者や難民などが持つ記録されていない過去の記憶を再構築する手助けとなる可能性について、中東の報道機関であるアルジャジーラ(Al Jazeera)が報じた記事「Could AI help elderly people and refugees reconstruct unrecorded pasts?」を基に、ご紹介します。

 特に「合成記憶(Synthetic Memories)」というプロジェクトに焦点を当て、AIが個人の記憶やアイデンティティ、さらには歴史の空白を埋める可能性と、それに伴う倫理的な課題について掘り下げています。

引用元記事

要点

  • スペインのデザインスタジオ「Domestic Data Streamers (DDS)」が立ち上げた「合成記憶(Synthetic Memories)」プロジェクトは、AIを用いて、失われた、あるいは記録されなかった個人の記憶を画像として再構築する試みである
  • このプロジェクトは、特に写真などの記録が乏しい高齢者や、紛争などで故郷を追われた難民など、過去の記憶へのアクセスが困難な人々を対象としている
  • AI(DALL-E 2やFluxなどの画像生成AI)は、インタビューを通じて得られた記憶の詳細な描写に基づき、主観的で感情的な側面を重視した画像を生成する
  • 生成される画像は、意図的に曖昧さや不完全さを残した夢のような表現となり、これは記憶の曖昧さや脆弱性を反映するとともに、偽情報の拡散を防ぐ目的もある。
  • この技術は、認知症患者の回想法セラピーへの応用や、移民コミュニティの物語の記録、さらにはフランコ独裁政権下での市民活動家の記憶の視覚化など、多岐にわたる分野で活用され始めている
  • 一方で、AIが持つバイアスや、生成された記憶が歴史の修正主義や誤った記憶の植え付けにつながる可能性など、倫理的な課題も指摘されている。プロジェクトチームは、歴史そのものを再構築するのではなく、あくまで個人の主観的な経験を視覚化することに重点を置いている。

詳細解説

「合成記憶」プロジェクトの背景と目的

 本稿で取り上げる「合成記憶(Synthetic Memories)」プロジェクトは、スペイン・バルセロナを拠点とするデザインスタジオ「Domestic Data Streamers(DDS)」によって2022年に開始されました。DDSの共同設立者であるパウ・アレイクム・ガルシア氏は、2015年の欧州難民危機の際にギリシャで支援活動に従事した経験が、このプロジェクトの着想の原点の一つになったと語っています。当時、彼はシリアから来た70代の女性と出会いました。彼女は、戦禍で写真アルバムのほとんどを失い、自分たちの人生の記憶が記録として次世代に受け継がれないことへの深い懸念を抱いていました。この出会いが、ガルシア氏に記憶を記録し、世代間で繋ぐことの重要性を強く意識させました。

 DDSは心理学、建築、認知科学、ジャーナリズム、デザインなど多様な分野の専門家約30名からなるチームで、テクノロジーを用いてデータ視覚化に「感情と人間性」をもたらすことを目指しています。2019年頃から生成AIの台頭に着目し、特にChatGPTのリリース以降、画像生成技術の探求を始めました。そして、シリアの女性のような人々を助けるために、AIを使って記憶に基づいた画像を構築できるのではないかと考えたのです。

 ガルシア氏は、「記憶は私たちが何者であるかを形作る設計者であり、社会的アイデンティティが構築される上で大きな部分を占める」と述べています。しかし、過去には現代のように誰もがスマートフォンで簡単に生活を記録できるわけではなく、多くの経験がアクセスの欠如、迫害、検閲、周縁化などによって集合的記憶から省略されたり消去されたりしてきました。このプロジェクトは、失われた、あるいは最初から記録されなかった記憶の写真のような表現をAIで生成することで、個人の過去を取り戻す手助けをすることを目的としています。

AIによる記憶の再構築プロセス

 「合成記憶」を生成するプロセスは、まずインタビュアーが対象者に最も古い記憶を尋ねることから始まります。対象者が人生の物語を語る中で様々なエピソードを探り、その中から画像として最もよく表現できると思われる記憶を選び出します。

 次に、インタビュアーは「プロンプター」と呼ばれる、AIが画像を生成するために用いる構文(プロンプト)の訓練を受けた専門家と協力します。プロンプターは、インタビュイーが描写した髪型、服装、家具などの詳細な情報を基に、特定の単語を入力して画像を構築していきます。人物の姿は、意図的に後ろ姿で描かれたり、顔がぼかされたりすることが多いです。これは、「これが合成された記憶であり、実際の写真ではないことを明確にしたい」というガルシア氏の意図によるものです。また、インターネット上での偽写真の拡散に加担しないようにするためでもあります。

 このプロセスには、DALL-E 2やFluxといったオープンソースの画像生成AIシステムが使用されており、チームは独自のツールの開発も進めています。1回のセッションは最大1時間程度で、通常2~3枚の画像が生成されます。

 生成される画像は、夢のようでおぼろげな、明確でない印象を与えることが多いです。ガルシア氏は、「ご存知の通り、記憶は非常に、非常に、非常にもろく、不完全さに満ちています。それもまた、不完全さに満ち、少しもろいモデルを求めた理由の一つであり、それが私たちの記憶がどのように機能するかをよく示しています」と説明しています。興味深いことに、プロジェクト参加者からは、詳細が少ない画像の方がより強い繋がりを感じるというフィードバックがあったそうです。暗示的な性質が想像力で空白を埋める余地を残し、高解像度で詳細に焦点が当たると、画像への感情的な繋がりが薄れてしまうと、プロジェクトリーダーのアイリ・ドルダス氏は述べています。

「合成記憶」の応用事例と影響

 この技術は、まずチームメンバーの祖父母を対象に試行されました。その経験は感動的であり、認知症患者の回想法セラピーにおける補助ツールとして合成記憶が利用できるかを判断するための医学的試験へと発展しました。回想法セラピーとは、過去の出来事や経験を思い出し、語り合うことで精神的な安定や認知機能の維持・改善を目指す心理療法の一つです。

 その後、チームはブラジルのボリビア系および韓国系コミュニティと協力して彼らの移住の物語を伝えたり、バルセロナ市議会と提携して地域の記憶を記録したりする活動を行いました。2023年の夏にはバルセロナのデザインミュージアムで一般公開のセッションが開催され、300以上の記憶が生成されました。

 参加者の中には、親族から虐待を受けたものの加害者が処罰されなかった女性が、家族と共有するために加害者が法廷にいる記憶を再現したいと望んだケースや、105歳のペピータさんが初めて汽車を見た日の記憶を再現したケースなど、トラウマ的な経験の処理や幼少期の思い出の再現など、様々な動機がありました。インタビューを担当したアイノア・プビル・ウンセタ氏は、「人々が実際に共感する写真を見た瞬間、それを感じ取ることができ、見ることができます」と語り、参加者の笑顔や涙が、画像の出来栄えの証だと感じています。

 特に印象的な事例として、90代のカルメンさんの記憶が挙げられます。彼女は子供の頃、スペイン内戦で共和派の医師だった父が投獄されていた刑務所の中庭を見下ろせる見知らぬ人のバルコニーに、母親がお金を払って入れてもらい、そこから父の姿を垣間見た記憶を再現しました。驚くべき偶然ですが、数十年後、カルメンさんの息子が同じ刑務所でソーシャルワーカーとして働いていましたが、母子ともにその事実を知りませんでした。昨年、家族全員が「合成記憶の公文書館」のインスタレーションを見に来た際、息子は母親の再現画像からすぐにその刑務所だと気づきました。ガルシア氏はこの出来事を「ループが閉じるような…美しいものでした」と語っています。

 さらに、このプロジェクトは、フランコ独裁政権(1939年~1975年)下のバルセロナで、LGBTQの権利や労働者の権利など、様々な社会運動で重要な役割を果たした市民活動家の物語を伝えることにも注力しています。74歳のホセ・カルレス・バジェホ・カルデロン氏は、そのような活動家の一人です。彼はフランコ政権下で労働組合を設立しようとして投獄され、拷問も経験しました。彼は、当時記録することが危険すぎた抵抗活動、例えば森の中で行われた秘密の集会などの記憶を、この技術で視覚化することに関心を持ちました。生成された白黒の曖昧な画像を見て、バジェホ氏は「まるでタイムトンネルに入ったようだった」と語り、このプロセスがトラウマ的な経験からくる記憶喪失の一部を埋め、過去と和解する助けになったと感じています。

倫理的考察と今後の展望

 「合成記憶」プロジェクトは、個人の記憶を豊かにし、記録が失われたコミュニティを支援する大きな可能性を秘めていますが、同時にAI技術利用に伴う倫理的な課題も抱えています。

 アラン・チューリング研究所の倫理・責任あるイノベーション研究部長であるデビッド・レスリー氏は、AIが学習するデータに元々含まれている文化的バイアスなどが、特に周縁化されたグループに対して、歴史修正主義的な記述や誤った記憶を生み出す可能性があると警告しています。また、「AIから何かを生成するだけでは、歴史的物語を修正したり取り戻したりする助けにはならない」とも主張しています。

 これに対し、DDSのガルシア氏は、「私たちが非常に大きなレッドラインを引いていることの一つは、歴史の再構築です」と強調します。「歴史について語るとき、私たちは何らかの形でコミットしている一つの真実について話します」と彼は説明しますが、合成記憶は歴史書が描けない人間経験の一部を描写できる一方で、これらの記憶はあくまで個人から来るものであり、必ずしも実際に起こったことそのものではないと強調しています。つまり、このプロジェクトは客観的な歴史的事実を再現するのではなく、個人の主観的な体験や感情を視覚化することに主眼を置いているのです。

 チームは、合成記憶が記憶を失う危機に瀕しているコミュニティを助けるだけでなく、文化や世代間の対話を生み出すことができると信じています。今後の計画としては、昨年洪水に見舞われたブラジル南部のような自然災害によって文化遺産が侵食される危険性がある場所に「緊急」記憶クリニックを設置することや、完成したツールを老人ホームなどで自由に利用できるようにすることなどが挙げられています。

 一方で、ガルシア氏は、あらゆるものが「過剰に記録」される未来において、このプロジェクトがどのような位置づけになるのかを思案しています。「私の父が子供の頃の写真は10枚あります。私が子供の頃は200枚以上。しかし、友人の娘(5歳)の写真は25,000枚もあるのです!」と彼は言います。「記憶画像の次の問題は、私たちが情報に圧倒され、物語を語ってくれる適切な画像を見つけられなくなることだろう」と彼は考えています。

 しかし、現時点では、バジェホ氏のような人々は、このプロジェクトが若い世代が過去の不正義を理解するのに役立つ役割を果たすと信じています。彼にとって、忘却は何の役にも立たず、記憶は「未来のための武器」なのです。「過去を麻痺させようとするのではなく、集団的にも個人的にも、忘れることよりも思い出すことの方が治療的だと思います」と彼は述べています。

まとめ

 本稿では、アルジャジーラの記事を基に、AIを活用して失われた、あるいは記録されなかった個人の記憶を画像として再構築する「合成記憶」プロジェクトについてご紹介しました。この革新的な試みは、高齢者や難民、歴史の中で声がかき消されてきた人々の個人的な物語を可視化し、尊厳を取り戻す手助けとなる可能性を秘めています。また、認知症ケアやトラウマの処理といった分野への応用も期待されます。

 一方で、AIが生み出すイメージの性質上、それが客観的な「真実」や「歴史」そのものではなく、あくまで個人の主観的な記憶の断片であるという理解が不可欠です。AIのバイアスや誤情報拡散のリスクといった倫理的な課題にも慎重に対処しつつ、テクノロジーが人間の記憶や感情とどのように関わり、支え合えるのかを問い続けることが重要です。

 「合成記憶」プロジェクトは、記録されることのなかった無数の物語に光を当て、私たちが過去と向き合い、未来へと繋いでいくための新たな視点を提供してくれるかもしれません。

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