はじめに
本稿では、AI(人工知能)を用いて歴史上の人物を「生き返らせる」という新しい試みを取り入れた、アメリカの歴史展示について解説します。この展示は、その手法と内容をめぐり、歴史家たちの間で懸念の声が上がっています。
参考記事
- タイトル: ‘Founders Museum’ from White House and PragerU blurs history, AI-generated fiction
- 著者: Kristian Monroe
- 発行元: NPR (National Public Radio)
- 発行日: 2025年9月3日
- URL: https://www.npr.org/2025/09/03/nx-s1-5521261/white-house-ai-founders-museum
要点
- トランプ政権と保守系非営利団体「PragerU」が提携し、アメリカ建国の歴史をテーマにした展示「The Founders Museum」を公開した。
- この展示の最大の特徴は、AIによって生成された40本以上のショートビデオであり、建国の父たちが自らの物語を語るという形式をとっている。
- 歴史家たちは、AIが歴史上の人物の言葉や物語を再構築することで、史実とフィクションの境界が曖昧になると懸念している。特定のイデオロギーに沿って歴史が解釈され、社会的に疎外されてきた人々の声が歴史から排除される危険性が指摘されている。
- AIが生成した歴史上の人物が、現代の特定の思想を代弁するような発言をする事例がすでに確認されており、歴史の意図的な再解釈が行われているとの批判がある。
詳細解説
「The Founders Museum」とは?
「The Founders Museum」は、ホワイトハウスのすぐ近くにあるアイゼンハワー行政府ビル内に設置された新しい歴史展示です。アメリカ独立宣言に署名した56人の肖像画など、合計82点の絵画で構成されています。
このプロジェクトは、2026年に迎えるアメリカ建国250周年(Semiquincentennial)を記念するもので、トランプ政権のタスクフォースと、保守的な価値観を推進する非営利メディア団体「PragerU」のパートナーシップによって実現しました。
この展示で特に注目を集めているのは、AIによって生成されたショートビデオです。トーマス・ジェファーソンやアレクサンダー・ハミルトンといった建国の父たちが、まるで生きているかのように動き、自らの功績や考えを語ります。ホワイトハウスは、「AIの力で歴史上の人物や出来事を生き生きとさせ、歴史を魅力的なものにする」と説明しています。
AIが歴史を語ることの問題点
多くの歴史家は、この試みに警鐘を鳴らしています。アメリカ歴史協会の専門家たちは、AIによって生成されたコンテンツが、史実とフィクションの境界線を曖昧にしてしまう危険性を指摘しています。
1. 史実と現代的解釈の混同
最も象徴的な例として、AIが生成したジョン・アダムズ(第2代大統領)のビデオが挙げられます。ビデオの中で、アダムズは「事実はあなたの感情に配慮しない(Facts do not care about your feelings)」と語ります。しかし、このフレーズは歴史的にアダムズが語ったものではなく、PragerUのプレゼンターでもある保守派のコメンテーター、ベン・シャピロ氏が頻繁に使う言葉です。
このように、歴史上の人物の口を通して現代の特定の政治的メッセージが語られることで、視聴者は何が史実で、何が後から加えられた解釈なのかを区別することが困難になります。
2. 歴史の複雑さの単純化
もう一つの問題は、歴史上の人物や出来事の複雑さが、意図的に単純化されてしまうことです。ブラウン大学のカリン・ウルフ教授は、アメリカ独立革命期の作家マーシー・オーティス・ウォーレンのビデオを例に挙げています。
ビデオの中で、AIウォーレンは愛国心や自由について、当たり障りのない言葉を語ります。しかし、実際のウォーレンは建国の父たちに対して非常に批判的で、当時の政治状況を鋭く分析していました。彼女は1787年のフィラデルフィア憲法制定会議について、「アメリカは、親の権威から時期尚早に解放された、落ち着きがなく、精力的で、贅沢な若者のようだ」と記しています。
AIビデオは、彼女の批判的な視点を完全に省略し、当たり障りのない人物像に作り変えてしまっているのです。
コンテンツ制作者「PragerU」とは?
この展示のビデオコンテンツを制作した「PragerU」は、保守的なラジオ司会者デニス・プレガー氏によって2009年に設立されたメディア団体です。大学(University)という名前がついていますが、学位を授与する認定された教育機関ではありません。「5分で1学期分の知識を」をスローガンに、歴史や科学など様々なテーマに関する短い解説ビデオを数多く制作し、数百万回の再生回数を記録しています。
一方で、その内容はしばしば不正確さや誤解を招く表現が批判の対象となってきました。最近では、子供向けシリーズの中で、コロンブスが「殺されるより奴隷にされる方がマシだろう?何が問題なのか分からない」と語る場面があり、奴隷制の歴史的重大性を軽視しているとして大きな批判を浴びました。
歴史をめぐる現代の対立
この展示は、アメリカで現在進行中の「文化戦争」の一環として捉えることができます。トランプ大統領は、スミソニアン博物館などが奴隷制、移民、LGBTQ+の歴史といったテーマを取り上げることに批判的な姿勢を示してきました。
PragerUのCEOは、「アメリカには汚点もあるが、偉大な国である。その偉大さを教えたい」と語り、愛国心を再燃させることが目的だと述べています。
これに対し、ウルフ教授のような歴史家は、「私たちにとって最も役立つ歴史とは、すべての人々の完全な歴史である」と反論します。例えば、独立期のバージニア州では人口の40%が奴隷状態に置かれていたという事実から目を背けるべきではない、という主張です。
まとめ
「The Founders Museum」は、AIという新しい技術が歴史教育や展示にどのように利用されうるかを示す興味深い事例です。AIは歴史をより身近で魅力的なものにする可能性を秘めている一方で、その使い方によっては、特定のイデオロギーに基づいて歴史を単純化し、再解釈するための強力なツールにもなり得ます。
本稿で紹介した展示は、愛国的な物語を強調したいという意図と、複雑で多角的な視点から歴史をありのままに伝えようとする学術的な立場との間の緊張関係を浮き彫りにしています。