はじめに
本稿では、イギリスのThe Guardian紙が2025年6月3日に掲載した記事「‘Nobody wants a robot to read them a story!’ The creatives and academics rejecting AI – at work and at home」をもとに、急速に進化する人工知能(AI)技術、特に生成AIに対して、その利用を積極的に拒否するクリエイターや学者の声を紹介し、その背景にある懸念や問題提起について解説していきます。
引用元記事
- タイトル: ‘Nobody wants a robot to read them a story!’ The creatives and academics rejecting AI – at work and at home
- 発行元: The Guardian
- 発行日: 2025年6月3日
- URL: https://www.theguardian.com/technology/2025/jun/03/creatives-academics-rejecting-ai-at-home-work



要点
- AIへの不信感と拒絶の広がりである。 小説家、脚本家、音響ナレーター、言語学者、細胞生物学者、映画製作者など、様々な分野の専門家が、生成AIの信頼性の欠如、著作権侵害、雇用の喪失、環境負荷、教育への悪影響、人間関係の希薄化などを理由に、AIの使用を拒否または制限している。
- AIの限界と問題点が指摘されている。 AIは既存のデータを学習してコンテンツを生成するため、真に新しいものを創造することはできず、誤情報(ハルシネーション)を生み出す可能性や、過去の焼き直しに終始する危険性がある。
- 人間による創造性と人間関係の価値が再認識されている。 AIには感情や経験に基づく深い理解は不可能であり、人間同士の繋がりや、人間ならではの創造プロセスが重要視されている。
- テクノロジーとの向き合い方が問われている。 AIを拒絶する人々は必ずしも反テクノロジーではなく、むしろテクノロジーを理解した上で、その利用方法や社会への影響を真剣に問い直している。彼らは、AIが人間の能力を奪うのではなく、人間が主体的にコントロールし、コミュニティのために活用されるべきだと主張している。
詳細解説
AIに対するクリエイターたちの懸念
近年、ChatGPTのような生成AI(Generative AI)が目覚ましい発展を遂げ、私たちの仕事や生活に大きな影響を与え始めています。しかし、その一方で、AIの利用に対して強い懸念を抱き、積極的に距離を置こうとする人々も増えています。本稿で紹介するThe Guardianの記事は、まさにそのような人々の声に焦点を当てています。
記事に登場する小説家のイーヴァン・モリソン氏は、ChatGPTに自身の著作リストを尋ねたところ、実際には書いていない3冊の小説名を「発明」された経験から、AIの真実性に対して深い不信感を抱いています。彼は、AIが既存の作品を盗用して新たなコンテンツを生成する著作権侵害の問題や、AIアルゴリズムが過去の成功例ばかりを推奨することでエンターテイメント業界の創造性が失われる危険性を指摘しています。
また、オーディオブックのナレーターであるエイプリル・ドーティ氏は、AIによる音声読み上げが人間の感情やニュアンスを再現できないと主張します。「ロボットに物語を読んでほしい人などいない」という彼女の言葉は、記事のタイトルにも引用されており、AIには人間の感情や経験に基づく深い理解は不可能であるという考えを象徴しています。さらに、AIの運用には膨大な計算能力が必要であり、その環境負荷も無視できない問題点として挙げています。
AIは人間の仕事を奪うのか? 教育への影響は?
AIの進化に伴い、多くの人々が懸念しているのが雇用の喪失です。ビル・ゲイツ氏がAIによって週休2日制が実現可能になると予測したことに対し、モリソン氏はAIによる失業を現実的な脅威として捉えています。実際に、記事ではラジオの司会者がAIによって職を失った事例も紹介されています。
教育現場においてもAIの影響は深刻です。モリソン氏は、学生の92%がAIを利用しているというデータに触れ、教育システムへのダメージを懸念しています。ワシントン大学の言語学教授であるエミリー・M・ベンダー氏も、学生がAIで生成したレポートを提出するケースに直面し、AIに頼ることで学生が本来得るべき学習機会を失ってしまうことを危惧しています。彼女は、**大規模言語モデル(LLM)**が生成する文章について、「誰も書いていないものを読みたいとは思わない」と述べ、人間が書いた文章から得られる書き手の視点や思考の理解こそが読書の価値であると強調しています。
AIと人間の創造性:私たちは何を失うのか?
映画製作者であり作家でもあるジャスティン・ベイトマン氏は、生成AIを「社会がこれまでに考え出した最悪のアイデアの一つ」とまで断言します。彼女は、AIがメール作成やプレゼンテーション資料作成といった日常的な作業まで代行することで、人間が本来持っている能力を衰えさせ、感情的にも空虚にしてしまうと警鐘を鳴らしています。AIは既存の情報を混ぜ合わせる「ミキサー」のようなものであり、真に独創的なものは何も生み出せないと彼女は主張します。
ウォリック大学の細胞生物学教授であるスティーブ・ロイル氏は、データ分析のためのコンピュータコード作成といった限定的な作業にChatGPTを利用していますが、テキスト生成には一切使用しないと言います。彼にとって、書くという行為はアイデアを練り上げ、明確化するプロセスそのものであり、それを機械に委ねることは本質から外れると考えているからです。
AI時代における「人間であること」の意味
興味深いことに、記事で紹介されているAI拒否論者の多くは、決してテクノロジー全般に反対しているわけではありません。むしろ、コンピュータサイエンスの学位を持つベイトマン氏や、計算言語学を専門とするベンダー氏のように、テクノロジーに深い知見を持つ人々が、その上でAIのあり方に疑問を呈しているのです。
彼らの主張は、かつて産業革命期に機械化に反対したラッダイト運動になぞらえられることもあります。しかし、ベンダー氏やモリソン氏は、ラッダイト運動を「自分たちの仕事やコミュニティを守るための正当な抵抗」として肯定的に捉えています。彼らは、AIという強力なテクノロジーを、一部の大企業の利益のためではなく、人間が主体的にコントロールし、コミュニティの利益のために活用すべきだと考えているのです。
AIが生成するコンテンツは、一見すると人間が作ったものと見分けがつかないほど巧妙になっているかもしれません。しかし、そこには人間が持つ経験、感情、そして他者との繋がりから生まれる「何か」が欠けているのではないか、という問いがこの記事からは浮かび上がってきます。
まとめ
本稿では、The Guardianの記事をもとに、AIの利用を拒否または制限する人々の声とその理由について詳しく見てきました。彼らの懸念は、AIの技術的な限界や倫理的な問題点に留まらず、人間とは何か、創造性とは何か、そして私たちはどのような未来を望むのかという根源的な問いを私たちに投げかけています。 AI技術が私たちの社会に急速に浸透していく中で、その利便性だけに目を向けるのではなく、AIがもたらしうる負の側面や、人間にとって本当に大切なものは何かを常に問い続ける姿勢が重要になるでしょう。AIと人間が真に共存できる未来を築くためには、技術の進化を鵜呑みにするのではなく、批判的な視点を持ち、人間中心の価値観に基づいてテクノロジーと向き合っていく必要があるのではないでしょうか。