はじめに
生成AIが急速に普及する現代において、大学教育の根幹を揺るがしかねない問題に発展しています。本稿では、米The New Yorkerに掲載された記事「What Happens After A.I. Destroys College Writing?」を基に、学生によるAI利用の実態と、それが教育現場に投げかける課題を解説していきます。AIの登場によって、レポートや論文といった「書く」課題がその意味を失うとき、私たちは高等教育の目的にどう向き合うべきなのでしょうか。
引用元記事
- タイトル: What Happens After A.I. Destroys College Writing?
- 発行元: The New Yorker
- 発行日: 2025年6月30日
- URL: https://www.newyorker.com/magazine/2025/07/07/the-end-of-the-english-paper
要点
- 米国の大学生は、授業のレポートや論文作成において、生成AIを日常的に使用しているのが実態である。
- 学生はAIの利用が不正行為(チーティング)であると認識しつつも、効率化のためのツールとして割り切り、罪悪感は希薄である。
- AIの普及は、文章作成のプロセスを通じて思考力を養うという、従来の「書く」教育の価値を根底から揺るがし、高等教育の目的そのものに疑問を投げかけている。
- 教育現場では、AI検知ツールによる対抗策から、手書き試験への回帰、さらにはAIを思考のパートナーとして活用する新たな指導法の模索まで、様々な対応が行われている。
- この問題の根源は、AIという技術そのものよりも、学生たちを効率性や成果へと駆り立てる現代社会の構造的な圧力にある。
詳細解説
学生たちのリアルなAI利用実態
記事に登場するニューヨーク大学の学生、アレックス(仮名)の事例は衝撃的です。彼は会計士を目指す学生ですが、「人生におけるあらゆる種類のライティングでAIを使う」と語ります。彼にとって、ChatGPTやClaudeといった生成AIは、もはやノートを整理するツールに留まりません。授業で課されたアート展のレポートでは、展示物の写真と解説文をAIにアップロードし、あとは教授の指示を伝えるだけで、Aマイナスに相当する評価のレポートをほぼ自動で完成させてしまいました。
彼はそのレポートの詳しい内容を尋ねられたら「完全に詰む」と認めながらも、興味のない授業に対して「できるだけ最小限の労力で済ませたい」という動機から、このような行動に及んでいます。これは特別な学生の話ではありません。記事によれば、多くの学生が同様の目的でAIを利用しており、その使用法はレポート作成から、研究の要約、さらには異性へのメッセージ作成にまで及んでいます。
「不正行為」をめぐる教育現場の葛藤
当然、教育現場ではこうしたAIの利用を「不正行為」と見なす声が多数です。ChatGPTの登場直後、多くの大学はパニックに陥り、AIが生成した文章を検出するツール(GPTZeroなど)を導入しました。しかし、学生たちはそれを回避する方法をすぐに見つけ出し、いたちごっこが続いています。アレックスのレポートも、ある検知ツールでは「AI生成の可能性28%」、別のツールでは「61%」と、判定が安定しません。
学生自身も、それが不正であるという自覚はあります。アレックスは「もちろん、不正だよ」と笑いながら認めます。しかし、彼の友人ユージン(仮名)が言うように、「不正は不正でも、『重大な』不正だとは思わない」という感覚が、彼らの間では共有されています。特に自分の専門分野と関係のない必修科目では、課題をこなすこと自体が目的化しており、そのプロセスに価値を見出していないのです。
伝統への回帰か、新たな活用か:教授たちの模索
AIという強力なツールの登場に、大学教授たちはどう向き合っているのでしょうか。対応は大きく二つに分かれています。
一つは、伝統的な手法への回帰です。ブルックリンカレッジのコーリー・ロビン教授は、自宅で作成するレポート課題を廃止し、授業中に手書きで解答させる「ブルーブック試験」を30年ぶりに復活させました。これは、AIの介入する余地をなくし、学生が自身の知識だけで文章を書くことを強制するものです。
もう一つは、AIを教育プロセスに積極的に取り込む試みです。カリフォルニア大学デービス校のダン・メルザー教授は、「プロセスを伴わないレポート課題は、AIによる不正行為を助長しているようなものだ」と指摘します。彼は、AIを単なる答えを出す機械ではなく、思考を深めるための対話相手として使うことを推奨しています。例えば、AIに下書きを評価させ、そのフィードバックを基に学生が推敲を重ねるといった、AIとの協調的なライティング指導を実践しています。
AIは学習を加速させるのか?
AIがもたらすのは、負の側面だけではありません。AIを個別の学習チューターとして活用し、学生の理解度やモチベーションを高めたというハーバード大学の研究事例も紹介されています。しかし、記事は安易な楽観論に警鐘を鳴らします。
カリフォルニア大学リバーサイド校のバリー・ラム教授は、「AIで学習が早まるなら、もっと難しい課題を出せるはずだ」と考え、学部生に博士課程レベルの難問を出題する実験を行いました。その結果は「惨憺たる失敗」でした。この実験は、AIが情報を生成する能力と、人間がそれを深く理解し応用する能力との間には、大きな隔たりがあることを示唆しています。AIは便利な道具ですが、思考のプロセスそのものを肩代わりしてくれるわけではないのです。
問題の根源はどこにあるのか
本稿が紹介した記事は、この問題の核心がAIという技術そのものではなく、現代社会のあり方にあると結論づけています。
現代の学生は、幼い頃からデジタルツールに囲まれ、効率性を重視する社会で育ってきました。大学は知識を探求する場であると同時に、良い成績(GPA)を取り、良いキャリアを築くためのステップと見なされています。その中で、学生たちが課題を最短距離で解決するためにAIに頼るのは、ある意味で合理的な選択なのかもしれません。
ある高校教師は、現代の若者が直面する状況を「すでにとんでもなくまずいアイスクリームサンデーの上に乗った、小さなチェリー」と表現しています。AIは問題を悪化させる一因かもしれませんが、孤立感や過度な競争圧力といった、より根深い問題がその下には横たわっているのです。学生たちは、AIというシステムを導入するよう求めたわけではありません。彼らは、変化の激しい社会の中で、最も効率的な方法で適応しようとしているにすぎないのです。
まとめ
The New Yorkerの記事「What Happens After A.I. Destroys College Writing?」は、AIが米国の大学教育、特に「書く」という知的活動の根幹をいかに揺るがしているかを、学生と教授双方の視点から鮮やかに描き出しました。レポートが数十分で生成され、学生がその内容をほとんど記憶していないという現実は、衝撃的であると同時に、学生に問題がある、ということで解決する問題ではありません。
重要なのは、AIの利用を単純に禁止したり、規制したりすることではありません。それでは問題の根本的な解決にはならないでしょう。本稿で見てきたように、私たちはAIの時代における教育の本質を改めて問い直す必要があります。何を教え、何を評価するのか。そして、効率化や自動化が進む世界で、困難な課題に粘り強く向き合い、自分自身の言葉で思考を紡ぎ出す「書く」という行為の価値を、どのように伝えていけばよいのでしょうか。