はじめに
昨今、メディアやビジネスの世界で「AI」という言葉を聞かない日はありません。生成AIの登場により、私たちの仕事や生活が根本から変わるという期待が高まっています。しかし、こうした熱狂的な状況に、どこか既視感を覚える方もいるのではないでしょうか。
本稿では、オーストラリアのニュース解説サイト「The Conversation」に掲載されたGediminas Lipnickas氏の記事「The AI hype is just like the blockchain frenzy – here’s what happens when the hype dies」を基に、現在のAIブームをかつてのブロックチェーンブームと比較しながら、技術を取り巻く「ハイプ(過大広告や熱狂)」の本質と、その先に待つ未来について紹介します。
引用元記事
- タイトル: The AI hype is just like the blockchain frenzy – here’s what happens when the hype dies
- 著者: Gediminas Lipnickas (Lecturer in Marketing, University of South Australia)
- 発行元: The Conversation
- 発行日: 2025年6月11日
- URL: https://theconversation.com/the-ai-hype-is-just-like-the-blockchain-frenzy-heres-what-happens-when-the-hype-dies-258071
要点
- 現在のAIブームは、数年前に世界を席巻したブロックチェーンブームと酷似しており、技術の普及過程に見られる「ハイプ・サイクル」の典型的な事例である。
- 多くの企業が、流行への乗り遅れを恐れるあまり、短期的な利益や話題性を求めて、計画や戦略が不十分なまま新技術を導入する傾向がある。これは過去のブロックチェーンブームでも見られた光景であり、その多くは実質的な価値を生み出せずに失敗に終わった。
- ハイプが沈静化することは、技術の終わりを意味するわけではない。ブロックチェーンが投機的な熱狂の後に「資産のトークン化」といった実用的な応用分野を見出したように、AIも過度な期待が収まった後、より現実的で持続可能な価値を見出す段階に入る。
- AIの最も有望な未来は、人間を完全に置き換えることではなく、人間の生産性を向上させるための強力なツールとして機能することである。AIと人間が協働するモデルが、今後の主流となる可能性が高い。
- 企業が新技術を導入する際に最も重要なのは、流行を追うことではない。自社が抱える「現実の問題」をいかに解決するかという明確な目的意識を持つことが、長期的な成功の鍵となる。
詳細解説
記憶に新しい「ブロックチェーンブーム」との類似点
2017年頃、「ブロックチェーン」という技術が世界中の注目を集めました。この技術は、データを分散型の台帳に記録することで、中央集権的な管理者なしに高い信頼性と透明性を実現するものとして、金融から物流まで、あらゆる産業に革命をもたらすと期待されていました。
その熱狂はすさまじく、アメリカのある飲料会社が社名を「ロングアイランド・アイスティー」から「ロング・ブロックチェーン」へ変更しただけで、株価が一夜にして400%も高騰するという出来事もありました。しかし、その多くは実態の伴わない投機的な動きであり、記事によると2019年半ばまでに企業向けブロックチェーンプロジェクトの約90%が失敗に終わったとされています。
そして今、AIで同様の現象が起きています。ある企業が「AIを使ってコンテンツを生成する」と発表すれば株価が急騰し、またある企業は「AIチャットボットで700人分の仕事を代替した」と発表します。しかし、その裏側では、AIが生成した記事に誤りが多数見つかり信頼を損なったり、AIの顧客対応に満足できないユーザーが増え、結局は人間のオペレーターを再雇用したりといった問題が起きています。
これは、AIという技術そのものに価値がないということではありません。むしろ、技術の可能性が過度に膨らまされ、現実的な課題解決よりも「AI導入」という行為自体が目的化してしまっている状況を示唆しています。
すべての技術が通る道:「ハイプ・サイクル」とは?
こうした現象を説明する非常に有名なモデルが、アメリカの調査会社ガートナーが提唱する「ハイプ・サイクル」です。これは、新しい技術が社会に登場してから普及するまでの期待度の変遷を、以下のような5つの段階で示したものです。
- 黎明期(Innovation Trigger): 新技術が登場し、メディアなどで注目され始める段階。
- 「過度な期待」のピーク期(Peak of Inflated Expectations): 熱狂が最高潮に達し、成功事例ばかりが喧伝され、実現不可能な期待までが語られる段階。現在のAIは、まさにこの段階にあるか、あるいは少し過ぎたあたりにいると見られます。
- 幻滅期(Trough of Disillusionment): 技術の限界や課題が露呈し、期待が急速にしぼむ段階。多くのプロジェクトが失敗し、関心が薄れていきます。
- 啓発期(Slope of Enlightenment): 技術の本当の価値や、どのような条件下で有効なのかが理解され始め、より現実的な成功事例が登場する段階。
- 生産性の安定期(Plateau of Productivity): 技術が社会に広く浸透し、安定して価値を生み出す段階。
このサイクルを理解することは、経営者や技術者が「今起きている熱狂は本物か、それとも一時的な流行か」を見極め、賢明な投資判断を下すために不可欠です。例えば、Meta社(旧Facebook)は「メタバース」という壮大なビジョンに400億ドル以上を投じましたが、期待した成果を得られず、その後AI分野へと大きく舵を切りました。これもハイプ・サイクルの一例と見ることができるでしょう。
ハイプの先にあるAIの「本当の価値」
では、AIブームというハイプが過ぎ去った後、この技術はどうなるのでしょうか。引用元記事の筆者は、ブロックチェーンの例を引いて、決して技術が消え去るわけではないと主張します。
ブロックチェーンは、一時的な熱狂が冷めた後、「資産のトークン化」という分野で確かな価値を見出しました。これは、不動産や株式といった実物資産をブロックチェーン上のデジタルトークンに変換することで、取引をより簡単、迅速、低コストにする技術です。派手さはありませんが、金融市場において着実に実用化が進んでいます。
AIも同様の道を辿ると考えられます。現在の「何でもできる魔法の杖」のようなイメージから脱却し、より地に足のついた応用が見出されるでしょう。その最も有望な方向性が、「人間を置き換える」のではなく「人間の生産性を強化する」というものです。
AIは時に間違いを犯しますし、創造性や共感、複雑な意思決定といった分野では、依然として人間が優れています。AIを優秀なアシスタントとして活用し、人間はより付加価値の高い仕事に集中する。このようなAIと人間の協働こそが、ハイプの先にある現実的で最も価値ある姿なのかもしれません。
まとめ
本稿では、The Conversationの記事を基に、現在のAIブームをかつてのブロックチェーンブームとの比較から紐解きました。技術を取り巻く熱狂である「ハイプ」は、新しい技術が登場する際に繰り返されてきた歴史的なパターンです。
重要なのは、その熱狂に踊らされることなく、技術の本質的な価値を見極めることです。AIは間違いなく、私たちの社会に大きな変革をもたらす可能性を秘めた強力な技術です。しかし、その導入を成功させるためには、短期的な株価や話題性といったハイプに流されるのではなく、「自社の、あるいは社会の、どんな現実的な問題を解決したいのか?」という明確な目的を持つことが何よりも重要になります。
ハイプという嵐が過ぎ去った後、AIという技術の真価が問われる時代が始まろうとしています。