はじめに
英国議会の財務委員会が2026年1月20日、金融サービス分野におけるAI利用のリスク管理について報告書を公表しました。報告書では、イングランド銀行(Bank of England)と金融行為監督機構(FCA)の現状の対応が消費者と金融システムに深刻な損害をもたらす可能性があると警告し、AI特化型のストレステスト実施などを求めています。本稿では、この報告書の内容と、英国における金融AI規制の現状について解説します。
参考記事
メイン記事:
- タイトル: Current approach to AI in financial services risks serious harm to consumers and wider system
- 発行元: UK Parliament Treasury Committee
- 発行日: 2026年1月20日
- URL: https://committees.parliament.uk/committee/158/treasury-committee/news/211401/current-approach-to-ai-in-financial-services-risks-serious-harm-to-consumers-and-wider-system/
関連情報:
- タイトル: Britain needs ‘AI stress tests’ for financial services, lawmakers say
- 著者: Phoebe Seers
- 発行元: Reuters
- 発行日: 2026年1月20日
- URL: https://www.reuters.com/sustainability/boards-policy-regulation/britain-needs-ai-stress-tests-financial-services-lawmakers-say-2026-01-20/
要点
- 英国の財務委員会は、イングランド銀行とFCAが金融サービス分野のAIリスクに対して「wait and see(様子見)」アプローチを取っており、消費者と金融システムを深刻な危険にさらしていると指摘した
- 英国金融サービス企業の75%以上がAIを利用しており、保険金請求処理や与信審査などの中核業務に活用されている
- 財務委員会は、AIに特化したストレステストの実施、2026年末までの実践的ガイダンスの公表、Critical Third Parties Regimeの活用などを推奨している
- AIのリスクとして、不透明な与信判断、アルゴリズムによる脆弱な消費者の排除、詐欺、AIチャットボットによる規制されていない金融アドバイスの提供、金融安定性への脅威などが挙げられている
- FCAは技術変化の速さを理由にAI特化型規制には消極的な姿勢を示している
詳細解説
財務委員会による警告の背景
財務委員会によれば、英国金融サービス企業の75%以上が現在AIを利用しており、保険会社と国際銀行での導入が最も進んでいます。AIは管理業務の自動化から、保険金請求処理や与信審査といった中核サービスの提供まで、多様な用途で活用されています。
この急速な普及に対し、消費者保護と英国経済の安定性を担う主要な公的金融機関が、AIの利用増加がもたらすリスクを十分に管理できていないと委員会は指摘しています。財務委員会のMeg Hillier委員長は「私が見た証拠に基づくと、重大なAI関連事故が発生した場合に英国の金融システムが準備できているとは思えず、それは懸念すべきことです」と述べています。
AIがもたらす機会とリスクのバランス
財務委員会は、AIと技術発展が消費者に大きな利益をもたらす可能性を認めています。そのため、企業とFCAが協力して、英国がAIの機会を活用できるよう推奨しています。
しかし同時に、報告書は「重大なリスク」についても警告しています。具体的なリスクとして、与信判断の不透明性、アルゴリズムによるカスタマイズを通じた脆弱な消費者の潜在的な排除、詐欺、AIチャットボットによる規制されていない金融アドバイスの提供などが挙げられています。
さらに、委員会に証拠を提出した専門家らは、AIとクラウドサービスについて少数の米国大手テクノロジー企業への依存が進んでいることによる金融安定性への脅威を強調しました。AI駆動型の取引システムが、市場におけるハーディング行動(模倣的な取引判断)を増幅し、金融危機のリスクを高める可能性があるとの指摘もあります。
委員会が求める具体的な対策
報告書では、安全なAI活用を確保するための行動が必要だとして、いくつかの具体的な推奨事項を提示しています。
第一に、イングランド銀行とFCAに対し、AIに特化したストレステストの実施を求めています。これは、将来のAI駆動型市場ショックに対する企業の準備態勢を強化することを目的としています。ストレステストは、金融機関が極端な市場状況下でどの程度耐えられるかを評価する手法で、現在は主に資本adequacy(自己資本比率)や流動性リスクの評価に用いられています。AI特化型のストレステストでは、AIシステムの誤動作や連鎖的な障害が市場全体に与える影響を評価することになると考えられます。
第二に、FCAに対し、2026年末までに企業向けの実践的ガイダンスを公表するよう推奨しています。このガイダンスには、消費者保護規則がAI利用にどのように適用されるか、組織内の誰がAIによって引き起こされる損害に対して責任を負うべきかについての明確な説明が含まれるべきとしています。
第三に、Critical Third Parties Regimeの活用を求めています。この制度は、AI・クラウドプロバイダーを含む、英国金融サービスセクターに重要なサービスを提供する非金融企業に対して、FCAとイングランド銀行に新たな調査・執行権限を付与するものです。報告書は、設立から1年以上経過しているにもかかわらず、まだ1つの組織も指定されていないことを指摘し、金融サービスセクターにとって重要と見なされるAI・クラウドプロバイダーを指定し、監視とレジリエンスを向上させるよう政府に要請しています。
エージェンティックAIがもたらす新たなリスク
Reutersの報道によれば、FCAは2025年末、銀行によるエージェンティックAI(agentic AI)の導入競争が個人顧客に新たなリスクをもたらすと述べています。エージェンティックAIは、生成AI(generative AI)とは異なり、意思決定を行い自律的にアクションを取ることができる技術です。
生成AIが主にテキストや画像の生成に用いられるのに対し、エージェンティックAIは与えられた目標に基づいて複数のステップからなるタスクを計画・実行できます。金融サービスの文脈では、例えば顧客の資産状況を分析し、投資判断を行い、実際に取引を実行するといった一連の行動を自律的に行う可能性があります。この自律性の高さが、従来のAIシステムとは異なる新しいリスクをもたらすと考えられます。
規制当局の反応
FCAのスポークスパーソンは、報告書を検討すると述べています。ただし、FCAはこれまで、技術変化の速さを理由にAI特化型の規則には消極的な姿勢を示してきました。
イングランド銀行のスポークスパーソンは、中央銀行がAI関連リスクを評価し、金融システムを強化するための措置を講じてきたと述べ、委員会の推奨事項を検討し、適時に対応すると付け加えています。
一方、英国の財務省は別途、Starling Bank最高情報責任者のHarriet Rees氏とLloyds Banking GroupのRohit Dhawan氏を任命し、金融サービスにおけるAI導入の指針を策定する体制を整えています。
日本への示唆
英国の動きは、日本の金融サービス分野におけるAI活用にも示唆を与えると思います。日本でも金融機関によるAI導入が進んでおり、与信審査、不正検知、顧客サービスなど多岐にわたる領域で活用されています。
英国の事例が示すように、AI活用の便益を享受しつつも、消費者保護、金融安定性、説明責任の確保といった課題にバランスよく対処することが重要と考えられます。特に、アルゴリズムの不透明性による差別的な扱いや、AIシステムの集中的な障害が金融システム全体に波及するリスクについては、事前の評価と対策が必要と言えます。
まとめ
英国議会の財務委員会は、金融当局の「様子見」姿勢を批判し、AIストレステストの実施や実践的ガイダンスの公表を求めました。英国金融サービス企業の75%以上がAIを活用する中、消費者保護と金融安定性の確保が急務となっています。規制当局がこの警告にどう対応するか、また世界の金融規制にどのような影響を与えるか、今後の動向が注目されます。
