はじめに
AI技術が社会実装のフェーズへと移行する中、技術そのものの性能だけでなく、それを支える「国や政府の準備状況」が極めて重要な要素となっています。インフラ、データガバナンス、法的枠組み、そして人材育成といった環境が整っていなければ、どれほど高度なモデルも社会でその価値を発揮し続けることはできないからです。
本稿では、世界195カ国のAI準備状況を分析したオックスフォード大学が発表したレポートを読み解きます。2025年版では、評価の枠組みが大きく刷新されました。従来の「公共サービスへの導入」という視点から、「政府がいかにAIを活用して公益をもたらすことができるか」という、より広範な問いへと進化しています。世界的な「AI主権(AI Sovereignty)」の潮流が技術トレンドにどう影響するのかを知る上で、有益な資料です。
なお、以下が日本の指標です。世界ランキングでは14位であり、東アジアでは、中国、シンガポール、韓国に続く4位とされています。
| Country | Rank | Policy Capacity | AI Infrastructure | Governance | Public Sector Adoption | Development & Diffusion | Resilience |
| Japan | 14 | 70 | 69.09 | 80.46 | 72.71 | 62.12 | 82.23 |
解説論文
- 論文タイトル: Government AI Readiness Index 2025
- 論文URL: https://oxfordinsights.com/wp-content/uploads/2025/12/2025-Government-AI-Readiness-Index-2.pdf
- 発行日: 2025年12月
- 発表者: Oxford Insights
要点
- 評価枠組みの刷新:これまでの「公共サービスへの実装」に加え、政府がAI開発の促進者や規制者として振る舞う多面的な役割を評価するため、「政策能力」「ガバナンス」「インフラ」など6つの柱(Pillars)に基づく新手法が採用された。
- AI主権(Sovereignty)の台頭:米国や中国による覇権争いだけでなく、EUの「OpenEuroLLM」やラテンアメリカの「Latam-GPT」など、各国・各地域が独自のAIインフラやモデル(ソブリンAI)を構築しようとする動きが加速している。
- 戦略から実装へ:多くの国で国家AI戦略の策定フェーズが一段落し、具体的な予算配分、GPU調達(例:インドの38,000 GPU確保)、人材育成(例:ウズベキスタンの500万人育成計画)といった「実行」の段階へ移行している。
- 世界的な二極化と多極化:米国が総合1位を維持する一方、中国(6位)は独自のハードウェア・エコシステム構築により、ランキング上の数値以上の実力を有していると分析されている。また、西欧、東欧、東アジアなどが地域ごとに独自の強みを発揮している。
詳細解説
以下、レポートの構成に従い、各項目について詳細に解説します。
Introduction(はじめに)
本レポートは第8版にあたります。今回は195カ国を対象とし、過去最大のデータセットを用いて分析が行われました。2025年は、DeepSeekのようなモデルによる「静かな破壊」や、AIバブルの議論がありつつも、政府が着実にAIを実践に移した年として位置づけられています。
Our framework(私たちのフレームワーク)
A new research question(新しいリサーチクエスチョン)
従来の指標は「政府が公共サービスにAIを実装する準備ができているか」を問うていました。しかし2025年版では、「政府はどの程度、AIを活用して公益(public benefit)をもたらすことができるか?」という問いに変更されました。これは、政府が単なる利用者としてだけでなく、AIの買い手、開発者、あるいは規制者として多様な役割を果たす現状を反映するためです。
The many roles of government(政府の多様な役割)
政府の役割は国によって異なります。開発の促進に重きを置く国もあれば、リスク軽減や規制に注力する国もあります。本指標は、こうした多様なアプローチを公平に評価するため、特定の政策手段に依存しない規範的な枠組みを採用しています。
Theory of Change: what makes an AI-ready government?(変化の理論:何が政府をAI対応にするのか?)
AI準備の整った政府とは、政策能力(Policy Capacity)を用いて、ガバナンス(Governance)とAIインフラ(AI Infrastructure)を整備し、公共部門での採用(Public Sector Adoption)と産業界での開発・普及(Development & Diffusion)を支援し、最終的にレジリエンス(Resilience)を持って社会的な公益を生み出す政府であると定義されています。


Key takeaways(主なポイント)
A multipolar AI landscape(多極化するAIの展望)
世界のAIリーダーシップは、米国と中国の二極化が進んでいます。米国は1位を維持していますが、中国(6位)の実力はランキングでは過小評価されている可能性があります。中国はHuaweiのAscendチップやSMICの製造技術により、西側の技術に依存しない独自の「ソブリンAIスタック」を構築しており、論文数でも圧倒的な存在感を示しています。

AI is moving from strategy to reality(AIは戦略から現実へ)
各国は戦略策定から実行フェーズに移りました。カナダの連邦公共サービス向けAI戦略や、ナイジェリアのAIスケーリングハブなどがその例です。また、政府はサンドボックス制度の導入や、ウズベキスタンのようにスタートアップ支援のための賞を創設するなど、エコシステムの触媒としての役割を強めています。
Clamours of AI sovereignty may be growing louder(高まるAI主権への要求)
地政学的な競争を背景に、技術の自律性を確保しようとする「AI主権」の動きが活発化しています。米国が技術的優位性の維持を明言する一方、インドは「IndiaAI Mission」を推進し、サウジアラビアは「HUMAIN」というフルスタックAIエコシステム構築に着手しました。地域レベルでも、ラテンアメリカの「Latam-GPT」やEUの「OpenEuroLLM」など、独自のLLM開発が進んでいます。
Cross-border efforts are taking shape…(具体化する国境を越えた取り組み)
アフリカ連合(AU)がAIを戦略的優先事項とし、EUがスーパーコンピュータ「JUPITER」を稼働させるなど、地域連携が進んでいます。また、米英間の技術協定や、中国とマレーシア、ブラジルとの連携など、二国間協力も加速しています。
…but the global regulatory landscape may be in flux(…しかし世界の規制環境は流動的)
EU AI法の一部が施行されましたが、その実効性や他国への影響については議論が続いています。国連も新たなガバナンス機関を設立しましたが、米国が南アフリカでのG20サミットをボイコットするなど、ガバナンスを巡る足並みの乱れも見られます。
Government remains a key AI catalyst(政府は依然として重要なAIの触媒である)
民間企業の動向に注目が集まりがちですが、政府は「ルールの設定者」であると同時に、インフラ投資や人材誘致(中国のKビザなど)を通じて、AIエコシステムの成功を左右する重要な触媒であり続けています。
Regional reports(地域別レポート)
North America(北米)
世界ランク1位。平均スコア79.75。米国(1位)とカナダ(11位)が牽引しています。米国ではOpenAIやNVIDIAなどが参加する「Stargate Project」による5,000億ドル規模のインフラ投資が進行中です。カリフォルニア州ではフロンティアAI規制(SB 53)が成立しました。

Latin America and the Caribbean(ラテンアメリカとカリブ海諸国)
世界ランク7位。平均スコア34.00。ブラジル(22位)が地域をリードし、AIサンドボックスを設立しました。チリ(50位)を中心に、地域独自のLLM「Latam-GPT」の開発が進められています。小規模なカリブ海諸国では、UNESCOと連携した政策ロードマップの策定が行われています。

Western Europe(西欧)
世界ランク2位。平均スコア62.75。英国(2位)とフランス(3位)が上位です。EU AI法の施行が進む中、欧州初のエクサスケールスパコン「JUPITER」が稼働しました。また、デンマークやスペインなどでは、国産言語モデルの開発が主権確保の手段として注目されています。


Eastern Europe(東欧)
世界ランク3位。平均スコア53.76。エストニア(19位)がデジタル政府の強みを活かしリードしています。ウクライナは防衛目的でのAI活用を進め、イノベーションハブ「WINWIN AI Centre」を設立しました。ポーランドなど中東欧諸国は、地域をAIハブ化するアクションプランを展開しています。


East Asia(東アジア)
世界ランク4位。平均スコア49.14。中国(6位)、シンガポール(7位)、韓国(8位)、日本(14位)が上位です。中国は米国に次ぐ開発・普及力を持っています。韓国では「AI基本法」が成立し、日本もAI戦略本部を設置して政策を推進しています。ASEANではガバナンスに関するワーキンググループが活動しています。


Middle East and North Africa(中東・北アフリカ)
世界ランク5位。平均スコア44.09。サウジアラビア(15位)、イスラエル(17位)、UAE(23位)が上位です。サウジアラビアは「HUMAIN」によるフルスタックAIへの投資を行い、UAEではMicrosoftによる巨額投資が行われています。リビアで初の生成AI「LIBIGPT」がリリースされるなど、開発力の向上が見られます。


South and Central Asia(南・中央アジア)
世界ランク6位。平均スコア41.41。インド(21位)が地域を牽引し、GPU基盤に巨額の政府投資を行っています。カザフスタンやウズベキスタンは、数百万単位のAI人材育成目標を掲げ、国を挙げた能力開発に取り組んでいます。


The Pacific(太平洋地域)
世界ランク8位。平均スコア30.39。オーストラリア(9位)とニュージーランド(38位)が先進的ですが、島嶼国との格差が課題です。オーストラリアは医療における責任あるAI利用のレビューを完了しました。島嶼国ではフィジーが2027年のAI戦略策定を目指しています。


Sub-Saharan Africa(サブサハラ・アフリカ)
世界ランク9位。平均スコア28.04。ケニア、南アフリカ、モーリシャス、ナイジェリアが上位です。アフリカ連合(AU)が大陸全体のAI戦略を承認しました。インフラ不足が課題ですが、ルワンダでのAIサミット開催や、ナイジェリアのロードマップ策定など、活発な動きが見られます。


Final reflections(最終的な考察)
There is no such thing as an overnight AI success(一夜にして成るAIの成功はない)
上位国の成功は、長年にわたるデジタル基盤や人材への投資の結果です。短期的な介入ではなく、長期的な戦略が不可欠です。
AI needs to be centred around people, not technology(AIは技術ではなく、人間中心であるべき)
計算能力の競争に終始せず、AIがいかに市民の生活や生計を向上させるかに焦点を当てる必要があります。
AI is not artificial(AIは人工的ではない)
AIは物理的なインフラ(データセンター、電力、水)や、労働市場への影響といった現実的な基盤の上に成り立っています。雇用の変化に対する懸念にも対処が必要です。
Bubble or not, AI can have real impact(バブルか否かに関わらず、AIは実質的な影響を与える)
市場の評価に関わらず、政府はAIの実装を進めています。エジプトやキプロスのように戦略を更新し、アジャイルに対応することが求められます。
Global sharing and learning are key(世界的な共有と学習が鍵)
各国のアプローチは多様ですが、成功や失敗の事例を共有し合うことが重要です。
No region has a monopoly on AI(どの地域もAIを独占していない)
特定の国が計算資源で優位に立つことはあっても、イノベーションはあらゆる場所で起きています。
Governments are still key(政府は依然として鍵である)
政府はルールの設定者であり、調達や投資を通じてAIの方向性を決定づける重要なアクターです。
Full rankings(完全なランキング)
レポート末尾には195カ国の詳細なスコアとランキングが掲載されています。上位国は米国、英国、フランス、オランダ、ドイツなど欧米諸国が占めていますが、シンガポールや韓国などのアジア勢もトップ10入りしています。
※以下、ランキングをスプレッドシートに転記したものとなります。誤っている可能性があるので、必ずレポート自体をご参照ください。
・Government AI Readiness Index 2025
まとめ
本稿では、「Government AI Readiness Index 2025」を通じて、世界のAI準備状況を概観しました。
- インフラの国家戦略化:GPUやデータセンターが国家安全保障レベルの資産として扱われており、利用可能なコンピュート資源が国の政策に左右される可能性があります。
- ソブリンAIの潮流:グローバルな巨大モデルだけでなく、各地域・各国の言語や文化に特化した「ソブリンAI」の開発需要が高まっています。
- 規制の実装フェーズ:EU AI法をはじめ、各国の規制が具体的に施行され始めており、コンプライアンス対応が開発の前提条件となりつつあります。
技術開発だけでなく、こうしたマクロな環境変化を理解することが、持続可能なAIシステムの構築には不可欠と言えるでしょう。
