はじめに
従来の教科書は、すべての学習者に対して同じ内容を提供する「フリーサイズ」のアプローチを取らざるを得ませんでした。しかし、学習者の理解度や興味は一人ひとり異なります。もし、教科書が学習者一人ひとりのレベルや興味に合わせて内容を変化させることができたら、学習効率や意欲は飛躍的に向上するのではないでしょうか。
近年、生成AI(Generative AI)の進化は目覚ましく、様々な分野でその応用が期待されています。特に教育分野では、上述した個々の学習者に合わせた「個別最適化学習(Personalized learning)」を実現するツールとして、大きな可能性を秘めています。
今回ご紹介するのは、Googleの研究チームが発表した論文「Towards an AI-Augmented Textbook」です。この論文では、生成AIを用いて従来の教科書を「AI拡張教科書」へと進化させるシステム「Learn Your Way」を提案しています。このシステムは、学習者の習熟度や興味に応じてコンテンツを自動で最適化し、多様な形式で提供することで、学習効果を向上させることを目指しています。
解説論文
- 論文タイトル: Towards an AI-Augmented Textbook
- 論文URL: https://services.google.com/fh/files/misc/ai_augmented_textbook.pdf
- 発行日: 2025年09月12日
- 発表者: LearnLM Team, Google
・あくまで個人の理解に基づくものであり、正確性に問題がある場合がございます。
必ず参照元論文をご確認ください。
・本記事内での画像は、上記論文より引用しております。
Learn Your Wayのデモページ
すでにデモページが公開されており、どのように学習が進められるのかを体験することができます。
要点
- 従来の画一的な教科書は、生成AIによって個々の学習者に合わせて内容を変換・拡張できる「AI拡張教科書」へと進化可能である。
- 提案システム「Learn Your Way」は、「パーソナライズ(Personalization)」と「多角的表現(Multiple Representations)」を2つの柱とし、学習者の学年レベルや興味に合わせてコンテンツを書き換え、スライドや音声、マインドマップなど多様な形式で提供する。
- このシステムは、Googleの先進的なAIモデル「Gemini 2.5 Pro」を基盤としており、追加のファインチューニングなしで多くの機能を実現している。
- 教育専門家による評価では、すべての機能が高い教育的価値を持つと判断され、特にシステム全体の体験は0.9以上の高評価を得た。
- ランダム化比較試験(RCT)の結果、Learn Your Wayを使用した学生は、従来のデジタル教科書(PDFリーダー)を使用した学生に比べ、学習直後のテストと数日後の定着度テストの両方で有意に高い成績を示し、学習効果の向上が実証された。
※Learn Your Wayのサンプル動画
詳細解説
ここからは、論文の構成に沿って、Learn Your Wayがどのようにして教科書を革新するのか、その詳細を解説していきます。
1. Introduction(はじめに)
本論文は、生成AIが教育に革命をもたらす可能性を秘めていると指摘するところから始まります。その中でも特に、教育の中心的な教材である「教科書」に着目しています。
従来の教科書は、一度印刷されると内容が固定されてしまい、学習者一人ひとりのニーズに適応させることが困難でした。例えば、ある概念を理解するのが難しい生徒や、特定の分野に強い興味を持つ生徒がいても、教科書はそれに応えてくれません。この「one-size-fits-all(フリーサイズ)」という制約が、学習効果を最大化する上での大きな課題でした。
研究チームは、生成AIの登場により、この長年の課題が解決可能になったと主張します。AIを使えば、元の教科書の内容の正確性を保ちつつ、学習者ごとに内容を書き換えたり、多様な形式に変換したりすることが、大規模かつ自動的に行えるようになります。このアプローチを具現化したのが、実験的な学習システム「Learn Your Way」(Figure1を参照)です。このシステムは、教科書の内容を学習者にとってより豊かで、個人的で、効果的なものへと変貌させることを目指しています。

2. Textbook Augmentation via Personalization and Multiple-Views(パーソナライズと多角的表現による教科書の拡張)
Learn Your Wayの核となるアプローチは、「パーソナライズ」と「多角的表現」という2つのステップで構成されています。Figure 2 に示されるようなステップで進められます。

2.1. Text Personalization(テキストのパーソナライズ)
まず最初のステップとして、AIが元の教科書のテキストを学習者個人に合わせて書き換えます。この際、特に重要視されるのが以下の2つの属性です。
- 学年レベルへのパーソナライズ(Personalization to Grade Level)
学習者の読解力に合わせて、テキストの難易度を調整します。例えば、大学生向けの専門的な文章を、小学6年生が理解できるような平易な言葉遣いや表現に自動で変換します。この技術は「リレベル(re-leveling)」と呼ばれ、Gemini 2.5 Proの基本性能として組み込まれています。 - 興味へのパーソナライズ(Personalization to Interests)
学習者が事前に選択した興味(例:スポーツ、音楽、食べ物など)に合わせて、テキスト内の例え話を書き換えます。例えば、「ニュートンの第三法則(作用・反作用の法則)」を説明する際に、バスケットボールが好きな生徒には「ボールをドリブルする時の力」を例に、アートが好きな生徒には「筆でキャンバスを押す時の力」を例に挙げて説明します。これにより、学習者は自身の既存の知識と新しい知識を結びつけやすくなり、理解が深まります。
2.2. Content Transformations(コンテンツの変換)
パーソナライズされたテキストを元に、AIは多様な学習形式(ビュー)を生成します。これにより、学習者は自分に合った方法で学べるようになります。Figure 3の図のように、個人に適したコンテンツに変換されます。

- スライド&ナレーション(Slides and Narration)
授業で使われるようなスライド形式で、要点を簡潔にまとめます。さらに、AIが生成したナレーションを付けることで、まるで録画された授業を受けているかのような体験を提供します。スライド内の例も、もちろん学習者の興味に合わせてパーソナライズされています。 - 音声グラフィックレッスン(Audio-Graphic lesson)
教師と生徒の対話形式で内容を解説する音声レッスンです。「教師」と「生徒」のペルソナを持つ2つのAIが対話することで、生徒役のAIが素朴な疑問を投げかけたり、学習者が陥りやすい誤解を示したりするなど、リアルな学習体験を生み出します。音声と同時に、関連する図が動的に表示され、音声と視覚の両方から理解を促します。これは「二重符号化理論」という学習科学の理論に基づいており、異なる形式で同じ概念に触れることで記憶が強化される効果を狙っています。 - マインドマップ(Mind Maps)
学習内容全体の構造を視覚的に把握するためのマインドマップを生成します。(Figure 4参照)概念が階層的に整理されており、各項目をクリックすることで詳細な説明や関連画像を表示できます。学習内容の全体像を掴んだり、復習したりする際に非常に有効です。

2.2.1. Immersive Text(没入型テキスト)
「没入型テキスト」は、Learn Your Wayの中心的な学習画面です。これは単なるテキストではなく、パーソナライズされた文章の中に、学習を補助する様々な要素が埋め込まれています。
- タイムライン(Timeline)
歴史的な出来事や実験の手順など、時系列の情報を視覚的なタイムラインとして表示します。これにより、学習者の認知的負荷(頭の中で情報を処理するための負担)を軽減し、流れを追いやすくします。 - 記憶補助(Memory Aid)
重要な用語などを覚えるための「ニーモニック(記憶術)」をAIが自動生成します。例えば、覚えたい項目の頭文字をつなげて、意味のある文章を作成する手法です。AIは、覚えるべき内容と関連性の高い、覚えやすい文章をその場で生成してくれます。 - 視覚的なイラスト(Visual Illustrations)
文章の内容を補足するイラストをAIが生成します。一般的な画像生成AIはリアルな画像を生成することに特化しているため、教育用のシンプルな図解の生成は苦手な場合があります。そこで研究チームは、このタスクに特化してファインチューニング(特定のタスクに適応させるための追加学習)を行ったモデルを使用し、質の高い教育用イラストの生成を実現しています。(Figure 5参照)

3. Practice and Assessment(演習と評価)
学習効果を高める上で、学習中の形成的評価(Formative Assessment)、つまり自分の理解度をこまめに確認することは非常に重要です。Learn Your Wayには、そのための2つの評価機能が組み込まれています。
- 埋め込み型の質問(Embedded Questions)
テキストを読み進めていると、所々にクエスチョンマークが表示されます。これをクリックすると、その場で読んだ内容に関する簡単な多肢選択問題が出題されます。これにより、受動的な読書から能動的な学習へと切り替え、学習へのエンゲージメントを高めます。 - クイズ(Quizzes)
各セクションの最後には、5〜10問程度のクイズが用意されており、そのセクション全体の理解度を確認できます。クイズ終了後には、点数だけでなく、「Glows(よくできた点)」と「Grows(改善すべき点)」という形で具体的なフィードバックが提供され、自己評価を促します。

4. Pedagogical Evaluations(教育学的評価)
開発した各機能が教育的に本当に価値があるのかを検証するため、研究チームは複数の教育専門家に評価を依頼しました。物理学から社会学まで、10種類の様々な分野の教科書PDFを元に、Learn Your Wayで生成されたコンテンツを評価してもらいました。
評価は、「正確性(Accuracy)」「網羅性(Coverage)」「エンゲージメント(Engagement)」といった基準に加え、「認知的負荷(Cognitive load)」や「能動的学習(Active learning)」など、学習科学の重要な原則に基づいた複数の項目で行われました。
結果はグラフ(Figure 7:図加筆)に示されており、すべての機能が平均して高い評価を得ていることが分かります。特に、システム全体の体験(Overall experience)は、すべての評価軸で0.9を超える非常に高いスコアを記録しました。一方で、「視覚的なイラスト」は他の機能に比べてややスコアが低い結果となりましたが、これは教育用の画像を高品質に生成することの難しさを反映していると考えられます。

5. Efficacy Study Design and Results(効果測定研究のデザインと結果)
個々の機能の評価に加え、システム全体として学習効果を向上させる力があるのかを検証するため、15〜18歳の学生60名を対象としたランダム化比較試験(RCT)が実施されました。
- 実験設計(Experimental Setup)
参加者はランダムに2つのグループに分けられました。一方は「Learn Your Way」を使用するグループ、もう一方は対照群として一般的な「デジタルリーダー(Adobe Acrobat Reader)」で同じ教科書(PDF)を読むグループです。両グループは、40分間与えられた教材(「思春期の脳の発達」に関する章)を学習した後、学習内容に関するテスト(Immediate Assessment)を受けました。さらに、その3日後には、記憶の定着度を測るための追跡テスト(Retention Assessment)が行われました。

- 結果(Results)
結果は明確でした。学習直後のテスト、そして3日後の定着度テストの両方において、Learn Your Wayを使用したグループは、デジタルリーダーを使用したグループよりも統計的に有意に高い平均点を記録しました(それぞれ77% vs 68%、78% vs 68%)(Figure 9を参照)。
また、学習後のアンケートでも、Learn Your Wayを使った学生の方が「学習ツールがテストへの自信につながった」「ツールのおかげで内容をよく理解できた」「今後もこのツールを使いたい」といった項目で、デジタルリーダーの使用者を大幅に上回る肯定的な回答をしました(Figure 10を参照)。


6. Discussion and Future Work(考察と今後の展望)
本研究は、Learn Your Wayが実際の学生の学習効果を向上させる可能性を実証しました。しかし、研究チームはこれがまだ「氷山の一角」に過ぎないとしています。
今後の展望として、以下のような点が挙げられています。
- どの機能が学習効果に最も貢献しているのかを特定するための、より詳細な分析。
- 学習者のクイズの成績などに応じて、動的に学習内容を調整する、より高度な適応システムの開発。
- 学習プラットフォームに組み込み、教師が学習プロセスを管理・分析できるような機能の追加。
この研究は、生成AIを学習科学の原則に基づいて慎重に活用することで、教育をより効果的で魅力的なものに変える大きな可能性を示しています。
まとめ
今回のGoogleの論文「Towards an AI-Augmented Textbook」は、生成AIを用いて従来の教科書を、学習者一人ひとりに最適化された動的な学習ツール「Learn Your Way」へと進化させるアプローチを提示しました。
「パーソナライズ」と「多角的表現」を軸に、学習者の学年レベルや興味に合わせてコンテンツを自動生成するだけでなく、クイズや記憶補助といったインタラクティブな要素を盛り込むことで、学習エンゲージメントと効果を向上させることが示されました。実際の学生を対象とした比較実験では、従来のデジタル教科書に比べて有意に高い学習効果が確認されており、その有効性が実証されています。