はじめに
世界的に権威のあるファッション雑誌『Vogue』に、AIによって生成されたモデルを起用した広告が掲載され、大きな注目を集めると同時に、さまざまな議論を巻き起こしています。
本稿では、AIモデルがファッション業界や私たちの美意識にどのような影響を与えるのか、その技術的な背景や社会的な論点を解説していきます。
参考記事
- タイトル: Does this look like a real woman? AI Vogue model raises concerns about beauty standards
- 発行元: BBC News
- 発行日: 2025年7月26日
- URL: https://www.bbc.com/news/articles/cgeqe084nn4o
要点
- ファッション雑誌『Vogue』に、AIで生成されたモデルを起用した広告が初めて掲載された。
- この出来事は、非現実的な美の基準を助長し、若者のメンタルヘルスに悪影響を与えるとの懸念を生んでいる。
- ファッション業界が近年進めてきた多様性の推進に逆行する動きであるとの批判がある。
- AIの活用は、コスト削減を目的としており、人間のモデルや撮影関係者の仕事を奪う可能性が指摘されている。
- 一方で、AIモデル制作者は、技術はモデルを「置き換える」のではなく「補完する」ものであり、新たな選択肢を提供していると主張している。
詳細解説
Vogueに舞い降りた「存在しないモデル」
問題提起のきっかけとなったのは、ファッションブランド「Guess」が『Vogue』に掲載した見開きの広告です。そこには、夏らしい服装でポーズをとる、完璧な容姿の金髪モデルが写っています。しかし、ページの隅に小さく「AIによって生成された」と記されている通り、このモデルは実在の人物ではありません。
この記事は広告であり、Vogue編集部が直接制作したものではないとされています。しかし、ファッション業界の権威である同誌にAIモデルが登場したという事実は、業界内外に大きな衝撃を与えました。
※前提知識:画像生成AIとは?
ここで言うAIモデルとは、「画像生成AI」という技術で作られています。これは、大量の画像データを学習し、そのパターンを組み合わせて全く新しい画像をゼロから作り出す技術です。これまで写真の修正に使われてきた「フォトショップ」のような加工ツールが、実在する写真をより美しく見せるためのものだったのに対し、画像生成AIはこの世に存在しない人物や風景を創造できる点が根本的に異なります。今回の広告のモデルも、まさにこの技術によって生み出された「架空のスーパーモデル」なのです。
論点1:さらに加速する「非現実的な美の基準」
AIモデルの登場に対して、最も大きな懸念として挙げられているのが、非現実的な美の基準を助長するという点です。AIは、シミやシワ、左右非対称といった人間的な「欠点」を一切持たない、完璧な容姿を容易に作り出せます。
参考記事では、摂食障害に関する慈善団体のCEOが「非現実的な身体のイメージに触れることは、自分自身の身体に対する考え方に影響を与え、摂食障害を発症するリスクを高める」と警鐘を鳴らしています。
実際に、AIに内在する「偏り(バイアス)」を指摘する声もあります。あるキャンペーンでAIに「世界で最も美しい女性」を生成させたところ、若く、痩せた、金髪で青い目を持つ白人女性ばかりが生成されたといいます。これは、AIが学習したデータに偏りがあることを示唆しており、GuessのAIモデルもそれに近いイメージでした。AI技術が、特定の美のイメージを再生産し、強化してしまう危険性があるのです。
論点2:ファッション業界の「多様性」への逆行
2010年代以降、ファッション業界では大きな変化がありました。プラスサイズのモデルや、さまざまな人種、トランスジェンダーのモデルがランウェイや広告で活躍し、「美の多様性」を認めようという動きが活発になっていました。
しかし、プラスサイズモデルとして活動するフェリシティ・ヘイワード氏は、AIモデルの起用はこうした長年の努力を台無しにしかねない「非常にがっかりさせられる、恐ろしい動き」だと語ります。
AIモデルを制作した会社「Seraphinne Vallora」の創設者は、「多様な人種のモデルも制作したが、SNSでの反応が薄かった」「プラスサイズモデルの生成は、まだ技術的な課題がある」と語っています。この発言は、市場の需要や技術的な制約が、結果として画一的な美の基準へと回帰させてしまうという、根深い問題を示唆しています。
論点3:人間のモデルやクリエイターの仕事は奪われるのか?
AIモデルを起用する企業側の大きな動機は、コスト削減です。制作会社のウェブサイトには、AI活用の利点として「高価なセット、メイクアップアーティスト、会場レンタル、カメラマン、旅費、モデルの雇用をなくす」ことが挙げられています。これは、ファッション撮影に関わる多くの人々の仕事が、AIに代替される可能性を示しています。
元モデルで、現在はファッション業界の労働者の権利を擁護する団体を主宰するサラ・ジフ氏は、この動きを「革新というより、コスト削減への渇望の表れ」と厳しく批判しています。
一方で、制作会社側は「私たちの技術はモデルを置き換えるのではなく、補完するもの」「自分たちも新たな雇用を生んでいる」と反論しています。AIモデルを制作する過程では、実在のモデルやカメラマンを起用して服の見え方を確認することもあるといい、完全に人間の仕事がなくなるわけではないと主張しています。
まとめ
今回、『Vogue』にAIモデルが登場した一件は、単なる新しい技術の紹介では終わりません。それは、「美しさとは何か」「多様性とは何か」そして「人間の仕事の価値とは何か」という、私たち社会の根幹に関わる問いを投げかけています。
AIが作り出す完璧な美は、私たちに新たなインスピレーションを与えるかもしれません。しかし同時に、非現実的な理想を押し付け、多様性を損ない、多くの人々の仕事を脅かす可能性も秘めています。