[ニュース解説]ディープフェイクも野放しに?州のAI規制を禁じる法案に司法長官が「極めて憂慮」と警鐘

目次

はじめに

 本稿では、2025年6月26日にCNNで報じられた「State regulator: Proposed 10-year moratorium on AI law enforcement is ‘extremely disconcerting’」という記事をもとに、現在アメリカで議論されているAI(人工知能)に関する法案の動きとその潜在的なリスクについて、専門家の見解を交えながら詳しく解説します。

引用元記事

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要点

  • 米国議会で、各州がAI関連の法律を執行することを10年間禁止するという内容の法案が審議中である。
  • この法案が成立すれば、すでに一部の州で導入されているディープフェイク規制のような、有権者や消費者を保護するための法律が事実上無効化される恐れがある。
  • ノースカロライナ州の司法長官をはじめとする専門家グループは、将来予測できないAIの悪用に対して州政府が対抗できなくなるとして、この一時停止措置に極めて強い懸念を表明している。
  • 連邦議会は過去にインターネットやプライバシー問題で有効な規制を設けることに失敗しており、AIに関しても実効性のある連邦法が制定される可能性は低いと見られている。
  • この状況は、「各州による規制」か「完全な無策」かの二者択一を迫るものであり、専門家は「無策」という選択肢が社会にもたらすリスクは計り知れないと警鐘を鳴らしている。

詳細解説

アメリカで今、何が起きているのか?

 現在、アメリカの連邦議会では、トランプ大統領が推進する大規模な国内政策法案の審議が進められています。その法案の中に、テクノロジー業界と社会全体に大きな影響を与えかねない、ある条項が盛り込まれていることが明らかになりました。

 その条項とは、「今後10年間、各州がAI(人工知能)に関連する独自の法律を制定し、執行することを禁止する」というものです。これを「モラトリアム(一時停止)」と呼びます。

 AIはすでに、医療診断の補助、採用活動における候補者の選別、金融取引、そして選挙キャンペーンなど、私たちの生活のあらゆる側面に深く浸透し始めています。その一方で、AIが生み出すディープフェイク(精巧な偽動画・偽音声)による世論操作や、AIの判断に潜むバイアスによる差別など、深刻なリスクも指摘されています。このような状況下で、AIの「ルール作り」を10年間も停止させるという提案は、多くの専門家から強い懸念の声を集めています。

問題点1:すでにある「州の法律」が無効になる?

 アメリカでは、国全体を対象とする包括的なAI規制法はまだ存在しません。しかし、技術の進化に危機感を抱いたいくつかの州は、国に先駆けて独自の規制を導入しています。例えば、以下のような法律です。

  • ディープフェイク規制: 選挙を妨害する目的で、候補者の精巧な偽動画を作成・拡散することを禁止する。
  • 採用におけるAI差別防止: 企業の採用活動で使われるAIが、特定の性別や人種を不当に差別しないよう義務付ける。
  • なりすまし防止: 本人の同意なく、その人の顔や声をデジタルで複製(クローン)することを禁じる。

 今回の法案が可決されると、これらの先進的な州法は、たとえ善意のものであっても執行する権限を失ってしまう可能性があります。

 記事の中でインタビューに答えているノースカロライナ州のジェフ・ジャクソン司法長官は、「これは、意図的に人々を騙そうとするAIの悪用から、有権者や消費者を守るために作られた数々の保護策を、事実上すべて無効にしようとする試みだ」と述べ、強い危機感を表明しています。

問題点2:未来に現れる「未知の脅威」への無防備

 ジャクソン氏がさらに深刻な問題として指摘するのが、未来への影響です。彼が最も懸念しているのは、「今後10年の間に、AIがどのように悪用されるか、私たちは今日、予測することすらできない」という点です。

 テクノロジーの進化は非常に速く、10年という歳月は、私たちが想像もしていなかったような新しい技術やサービス、そしてそれに伴う新たな脅威が生まれるには十分すぎる時間です。この一時停止措置は、そのような未来の未知なる脅威に対して、州政府の手足を縛り、国民を無防備な状態に置くことになりかねません。 ジャクソン氏は、「悪意ある人々から国民を守ることができなくなるという見通しは、極めて憂慮すべき事態だ」と語っています。

なぜ連邦法に期待できないのか?:議会への根強い不信感

 「州法がダメなら、国(連邦)がしっかりとした統一ルールを作ればいいのではないか?」と考えるのは自然なことです。実際に、法案を推進する人々は「州ごとにバラバラな規制(パッチワーク)が乱立するより、国として統一されたアプローチをとるべきだ」と主張しています。

 しかし、ジャクソン氏をはじめとする多くの専門家は、この主張に懐疑的です。なぜなら、連邦議会はこれまで、テクノロジーがもたらした重要な社会課題に対して、有効な規制をほとんど設けることができなかったという「失敗の歴史」があるからです。

  • インターネットの普及: プライバシー保護のルール作りが大幅に遅れた。
  • SNSの台頭: 未成年者への悪影響や偽情報の拡散に対して、実効性のある対策を打ち出せていない。

 過去にこれらの問題で失敗してきた議会が、より複雑で多岐にわたるAIの問題に対して、迅速かつ適切に対応できると信じるのは難しい、と専門家は見ているのです。ジャクソン氏は自身の議員経験を振り返り、「議会が何か意味のあることをしてくれるという期待度は、正直に言って非常に低い」と断言しています。

現実的な選択肢:州による規制か、完全な無策か

 この状況を踏まえると、ジャクソン氏が指摘するように、現実的な選択肢は以下の二つしかありません。

  1. 州レベルでの規制を認める(パッチワークアプローチ)
  2. 実質的に何もしない(無策)

 「州ごとに規制が異なるとビジネスがやりにくくなる」というテック企業の主張にも一理あります。しかし、それと「悪意あるAIの利用を10年間野放しにする」というリスクを天秤にかけた場合、どちらが社会にとってより大きな脅威となるでしょうか。

 ジャクソン氏は、「何もしない、そして今後10年間、何もできない状態に縛られることを想像することはできない」と結論付けています。

まとめ

 今回ご紹介したアメリカの「AI規制10年間停止法案」は、単なる技術政策の話にとどまらず、社会の安全、民主主義の根幹、そして個人の権利をどう守っていくかという、私たち全員に関わる重要なテーマを内包しています。

 専門家たちは、この法案が既存の保護策を骨抜きにし、未来の予測不可能な脅威への扉を開いてしまう危険性を強く訴えています。テクノロジーが国境を越えて進展する現代において、一つの国でのルール作りが世界中に影響を及ぼすことも少なくありません。

 急速に進化するAIという強力なツールと、私たち人間社会はどのように向き合っていくべきなのか。そのルール作りにおいて、誰が責任を持つべきなのか。この米国の事例は、日本に住む私たちにとっても、決して他人事ではない重要な問いを投げかけていると言えるでしょう。

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