[ニュース解説]AIによる性的ディープフェイク被害を防ぐ米国の新法「Take It Down Act」とは? その背景と内容、課題を解説

目次

はじめに

 近年、AI技術の急速な発展に伴い、ディープフェイクと呼ばれる精巧な偽造画像や動画による被害が深刻化しています。特に、同意なく作成された性的なディープフェイク画像(ノンコンセンシャル・ディープフェイク・ポルノ)は、個人の尊厳を著しく傷つけるものです。このような状況を受け、米国ではAIによる危害、特にディープフェイクの悪用に対処するための初めての主要な法律として「Take It Down Act」が成立しました。

 本稿では、この新しい法律がどのような背景で生まれ、どのような内容を持ち、どのような課題が指摘されているのかを解説します。

引用元記事

要点

 「Take It Down Act」は、AIによって生成されたディープフェイクによる危害、特に同意のない性的な画像の拡散を防ぐことを目的とした米国の新しい連邦法です。主なポイントは以下の通りです。

  • ノンコンセンシャル・ディープフェイク・ポルノの犯罪化: 同意なく作成された性的なディープフェイク画像の作成・拡散を犯罪と定めます。
  • プラットフォームへの削除義務: 被害者からの通知を受けてから48時間以内に、ソーシャルメディアなどのプラットフォームに対して、該当するコンテンツを削除することを義務付けます。
  • 超党派の支持: 共和党・民主党双方の議員から幅広い支持を得て、下院で409対2という圧倒的多数で可決されました。
  • 被害者の声が立法を後押し: 実際にAIによるディープフェイク被害に遭った10代の若者たちの声と活動が、法案成立の大きな原動力となりました。

詳細解説

背景:ディープフェイク被害の深刻化と法整備の必要性

 近年、生成AI(Generative AI)技術は目覚ましい進歩を遂げ、誰でも簡単にリアルな画像や動画を作成できるようになりました。しかし、その一方で、この技術が悪用され、特定の人物の顔を合成したわいせつな画像暴力的な画像(ディープフェイク)がインターネット上に拡散するケースが急増しています。テイラー・スウィフトさんのような著名人だけでなく、一般の人々、特に未成年者がターゲットとなる事例も後を絶ちません。

 引用元の記事で紹介されているテキサス州のエリストン・ベリーさん(14歳)やニュージャージー州のフランチェスカ・マーニさん(15歳)は、同級生によってAIで作成された自身のヌード画像が拡散されるという被害に遭いました。彼女たちが画像の削除や加害者への処罰を求めても、当初、ソーシャルメディアプラットフォームや学校側は「前例がない」として十分に対応できませんでした。このような状況が、法整備の緊急性を高める大きな要因となりました。

「Take It Down Act」の内容と特徴

 この法律は、主に以下の2つの柱で構成されています。

  1. ノンコンセンシャル・ディープフェイク・ポルノの明確な犯罪化: これまで法的な扱いが曖昧だった、同意なく作成・拡散される性的なディープフェイクを明確に違法行為と位置づけました。これにより、加害者に対する刑事責任の追及が可能になります。
  2. 迅速な削除義務(テイクダウン要求): 被害者やその代理人が、プラットフォーム(SNSなど)に対して違法なディープフェイク画像の削除を要求した場合、プラットフォームは通知を受けてから48時間以内にそのコンテンツを削除しなければなりません。これは、被害の拡大を迅速に食い止めるための重要な措置です。

 技術的な側面で注目すべき点は、この法律が連邦取引委員会(FTC)の権限に基づいて執行される点です。通常、インターネット上のコンテンツに関するプラットフォームの責任については、通信品位法230条(Section 230)が大きな論点となります。Section 230は、基本的にプラットフォーム運営者を、ユーザーが投稿したコンテンツに対する法的責任から保護する法律です。しかし、「Take It Down Act」は、このSection 230に直接触れるのではなく、FTCが持つ「欺瞞的かつ不公正な取引慣行」を取り締まる権限を利用して、プラットフォームに削除義務を課すというアプローチを取りました。

 記事によると、このアプローチが、プラットフォーム側の法的責任の範囲拡大を懸念する大手テック企業(SnapchatやMetaなど)の支持を得る上で重要な要因になったと指摘されています。Section 230の改正は非常に議論が多く、合意形成が困難であるため、FTCを通じた執行という「斬新なアプローチ」が法案成立を後押しした側面があるようです。

法案成立までの道のりと今後の課題

 この法案は、被害に遭ったベリーさんやマーニさんの勇気ある告発と活動、そして彼女たちの声を受け止めたテッド・クルーズ上院議員(共和党)らの尽力によって推進されました。クルーズ議員は自身の娘も10代であることから、この問題に積極的に取り組み、公聴会を開くなどして法案の必要性を訴えました。その後、エイミー・クロブシャー上院議員(民主党)など超党派の支持が広がり、下院でもマリア・サラザール議員(共和党)とマデレイン・ディーン議員(民主党)が法案を主導しました。

 法案成立の過程では、政治的な駆け引きもありました。一度は他の法案に紛れ込ませる試みが失敗しましたが、クルーズ議員が上院商務委員会の委員長に就任したことで、法案審議の優先順位が上がり、前進しました。さらに、メラニア・トランプ大統領夫人が被害者たちと共に記者会見を開き、法案への支持を表明したことも、下院での迅速な可決に繋がったと報じられています。

 一方で、この法律に対する懸念も指摘されています。市民団体などからは、法律の文言が曖昧であり、悪意のある者が合法的な表現まで「同意のない違法な画像」として通報し、インターネットから削除させるために悪用される可能性があるという批判があります。また、執行機関であるFTCの権限がトランプ政権下で弱体化しているため、大量の削除要求に対応しきれないのではないか、結果として法律が実効性を欠くのではないかという懸念も示されています。

まとめ

 「Take It Down Act」は、AIによるディープフェイク、特に同意のない性的な画像の作成・拡散という深刻な問題に対応するための、米国における画期的な一歩と言えます。被害者の声に耳を傾け、超党派の協力によって成立したこの法律は、プラットフォームに迅速な対応を義務付けることで、被害の拡大を防ぐことを目指しています。

 翻って日本国内に目を向けると、現時点(2025年4月)では、「Take It Down Act」のようなAI生成ディープフェイクに特化した包括的な法律は存在しません。もちろん、名誉毀損罪、侮辱罪、著作権法、わいせつ物頒布等の罪など、既存の法律が適用できるケースはあります。しかし、AIによるディープフェイクは、生成の容易さ拡散の速さ、そして加害者の特定困難といった特有の課題を抱えており、既存の法制度だけでは十分に対応しきれない可能性が指摘されています。

 米国での法制化の動きは、日本においても同様の議論を加速させる契機となるでしょう。表現の自由とのバランスを慎重に考慮しながらも、被害者の迅速な救済と権利保護を実現するための新たな法整備ガイドライン策定の必要性が高まっています。「Take It Down Act」の具体的な運用状況効果、そして課題を参考にしながら、日本社会の実情に合った対策を検討していくことが求められます。

 本稿で紹介した「Take It Down Act」は、AI技術が社会に与える負の側面に対して、どのように法的な枠組みを整備していくべきかという、世界共通の課題に対する一つの重要な試みです。私たち一人ひとりが、この問題に関心を持ち続けることが重要です。

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