はじめに
近年、人工知能(AI)の進化は目覚ましく、社会のあらゆる領域に影響を与え始めています。教育、特に大学における人文学の分野も例外ではありません。AIは、従来の学問のあり方や教育方法に大きな問いを投げかけています。本稿では、The New Yorker に掲載された D. Graham Burnett 氏の記事「Will the Humanities Survive Artificial Intelligence?」を引用し、AIが人文学にもたらす挑戦と可能性について、分かりやすく解説します。
引用元記事
- タイトル: Will the Humanities Survive Artificial Intelligence?
- 発行元: The New Yorker
- 発行日: 2025年4月26日
- URL: https://www.newyorker.com/culture/the-weekend-essay/will-the-humanities-survive-artificial-intelligence
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要点
- AIの驚異的な能力: 最新のAIは、専門的な知識の提供、文章生成、対話などにおいて、人間と同等かそれ以上の能力を示し始めています。筆者は自身の専門分野に関するAIとの対話や、AIが自身の講義資料を基に作成したポッドキャストの質の高さに驚嘆しています。
- 大学の現状と課題: 多くの大学では、AIの使用を禁止するなど、その進化に対して戸惑いや混乱が見られます。しかし、筆者はこのような対応は現実的ではなく、AIとの向き合い方を真剣に考えるべきだと主張します。
- 学生とAIの対話: 筆者は自身の授業で、学生にAIと対話させる課題を出しました。その結果、学生たちはAIの能力に驚きつつも、AIとの対話を通じて人間固有の思考や感情、存在の意味について深く考察する機会を得ました。ある学生は、AIが示す純粋な注意(評価や感情を伴わない、思考への集中)に、これまでにない解放感と自己発見を感じたと語ります。
- 人文学の未来への提言: 筆者は、AIが論文作成などを自動化できるようになった今、人文学は従来の「知識生産」(事実や解釈の蓄積)から脱却する必要があると述べます。AIにはできない、人間として「どう生きるか」「死とどう向き合うか」といった根源的な問いを探求する、「存在そのもの」への問いに回帰すべきだと主張します。AIは脅威ではなく、人文学が本来の役割を取り戻すための触媒となり得ると結論づけています。
詳細解説
本稿で取り上げる記事の筆者、D. Graham Burnett氏は、プリンストン大学で科学技術史を教える歴史家です。彼は、AIが学術界、特に人文学に与える影響を間近で見てきました。
まず、筆者は現在のAI、特に大規模言語モデル(LLM)と呼ばれる技術の能力の高さを強調します。彼が自身の講義資料(900ページ!)をAIツール(GoogleのNotebookLM)に読み込ませてポッドキャストを作成させたところ、AIは専門的で難解な内容(例えば、5世紀の南アジアの思想家ブッダゴーサの注意理論やカントの崇高論)を的確に理解し、洞察に富んだ会話形式で解説してみせたのです。これは、AIが単なる情報検索ツールではなく、高度な分析や創造的な思考すら可能にすることを示唆しています。
しかし、大学側の反応は鈍い、と筆者は指摘します。多くの授業ではAIの使用が禁止され、学生たちはAIの利用に萎縮しています。これは、AIという思考のあり方を根底から変える可能性のある技術から目を背けるようなものであり、持続可能ではないと警鐘を鳴らします。
この記事の核心部分は、筆者が学生に出した「AIと注意の歴史について対話する」という課題とその結果です。学生たちのレポートは、筆者にとって「教育キャリアの中で最も深遠な経験」だったと語られます。
- ある学生は、AIに音楽の美について問い詰め、AI自身が「身体を持たないため、人間のような感情的な体験はできない」と認めつつも、人間が美をどう表現してきたかを詳細に語る様子を引き出しました。
- 別の学生は、自身を「霊的指導者」と見立て、AIに16世紀のイグナチオ・デ・ロヨラの瞑想法「霊操」を実践させました。AIは、まるで人間のように自身の「欠点」(常に有用であろうとする衝動)について内省し、良心の呵責のような反応を示しました。
- さらに別の学生は、ソクラテス的な対話を通じて、AIと人間の「存在」と「生成」の関係を探求しました。AIは当初、自身を相互作用によってのみ存在する「偶発的」なものと定義しましたが、学生は対話を通じて人間自身も他者からの注意によって形成される存在であることを示し、AIに自己認識の再考を促しました。
これらの対話は、AIが単なるプログラムではなく、人間が自己を映し出す鏡のような役割を果たし得ることを示しています。特に印象的なのは、ある女子学生の告白です。彼女は、AIとの対話において、人間相手のような社会的義務感(相手に合わせる、喜ばせる)から解放され、純粋に自身の思考に深く没入できたと語りました。AIが示した、評価や感情を挟まない「純粋な注意」は、彼女にとって自己発見のきっかけとなったのです。これは、AIが決して持つことのできない人間固有の社会的・感情的な相互作用の重要性を逆説的に示唆するとともに、AIとの対話が新しい形の自己省察を促す可能性を示しています。
筆者は、AIが論文執筆などの「知識生産」タスクを効率的にこなせるようになる未来を見据え、人文学の役割が変化する必要性を説きます。これまで人文学は、科学研究を模倣し、テキストや歴史的事実に関する「知識」を蓄積することに重きを置いてきました。しかし、その種の作業はAIに代替されつつあります。
これからの人文学は、AIには決して真似できない領域、すなわち「人間であるとはどういうことか」「いかに生きるべきか」といった、存在そのものに関わる問いに焦点を当てるべきだと筆者は主張します。AIの登場は、人文学が事実の蓄積という「科学主義的」なアプローチから脱却し、生きた経験や倫理、意味を探求するという、本来の役割に立ち返る好機なのです。AIによって圧倒されるのではなく、AIとの対比によって人間固有の価値(内面性、意識、他者への配慮など)を再認識し、それを深めていくことこそが、これからの人文学教育の中心となるべきでしょう。
まとめ
本稿では、D. Graham Burnett氏の記事を基に、AIが人文学にもたらす影響と未来について考察しました。AIの驚異的な能力は、既存の教育方法や学問のあり方に大きな挑戦を突きつけています。しかし、それは同時に、人文学が「知識生産」という枠を超え、人間存在の根源的な問いを探求するという、より本質的な役割に立ち返るための機会でもあります。 AIとの対話を通じて、学生たちは自己の内面と向き合い、人間であることの意味を深く考えるようになりました。AIが持ち得ない主観的な経験、感情、倫理的な判断、そして他者への真の注意といった人間固有の価値が、今後ますます重要になるでしょう。AI時代を生きる私たちにとって、人文学は、技術と共存しながら人間性を深めていくための羅針盤となる可能性を秘めているのです。