はじめに
近年、生成AI(Generative AI)は目覚ましい進化を遂げ、社会の様々な分野で活用が始まっています。教育分野、特に高等教育においても、その変革的な(Transformative)、破壊的な(Disruptive)、ゲームチェンジングな(Game-changing)影響が注目されています。しかし、米国の最新調査によると、現地の大学の半数では、学生に対して大学として生成AIツールへのアクセスを提供していないことが明らかになりました。
本稿では、この米国の状況、いわば「デジタル格差(Digital Divide)」に焦点を当て、なぜアクセス提供が進まないのか、そしてそれが学生や社会にどのような影響を及ぼしうるのかについて、記事「The Digital Divide: Student Generative AI Access」を基に詳しく解説していきます。
引用元記事
- タイトル: The Digital Divide: Student Generative AI Access
- 発行元: Inside Higher Ed
- 発行日: 2025年4月21日
- URL: https://www.insidehighered.com/news/tech-innovation/artificial-intelligence/2025/04/21/half-colleges-dont-grant-students-access
要点
- 米国の大学の最高技術責任者(CTO)の半数が、所属機関が学生に生成AIツールへのアクセスを提供していないと回答しました。
- アクセスを提供しない最大の理由はコストであり、次いで倫理的な懸念、データプライバシー/セキュリティへの懸念が挙げられています。
- 専門家は、学生のデジタルエクイティ(Digital Equity:デジタル技術への公平なアクセスと利用機会)や就職準備(Workforce Readiness)、AIリテラシーの観点から、大学がアクセスを提供することの重要性を指摘しています。
- 大学が提供するツールは、個人で利用できる無料版よりも高機能で安全な場合が多く、データプライバシーも保護される傾向にあります。
- 一方で、米国の調査では、多くの教員が授業での生成AI利用を禁止しているという実態も明らかになっています。
詳細解説
なぜ大学によるアクセス提供が重要なのか?
ChatGPTのような生成AIツールは無料で利用できるものも多く、「なぜ大学がわざわざアクセスを提供する必要があるのか?」という疑問は、日本でも同様に聞かれるかもしれません。米国の専門家が指摘する、大学提供アクセスならではの重要な利点を見てみましょう。
- セキュリティとプライバシー: 大学が契約するエンタープライズ版などのツールは、安全で暗号化された環境で利用できることが多く、学生が入力したデータが外部のAIモデルの学習に使用されないなど、プライバシー保護の観点から優れています。個人利用の場合、特に無料版では入力情報の扱いに不透明さが残ることがあります。これは、個人情報保護に敏感な日本においても重要な論点です。
- より高機能なツールへのアクセス: 大学は、無料版よりも高度な機能を持つツールや、特定の研究・学習目的に合わせてカスタマイズされたAIツール(例えば、特定の専門分野のデータセットで学習させたAI)へのアクセスを提供できます。これにより、学生はより実践的で高度なAI活用スキルを習得できます。ミシガン大学では、AIアシスタントや対話型AIツール、カスタムデータセットでトレーニング可能なツールなどを提供している例が紹介されています。
- AIリテラシーの向上と公平性: 大学がアクセスを提供し、基本的な使い方や倫理的な利用に関するトレーニングを併せて行うことで、学生全体のAIリテラシーを引き上げることができます。また、経済的な理由などで個人では有料ツールを利用できない学生にも平等に機会を提供し、デジタルエクイティを確保する上で重要です。米国の専門家は、「高等教育機関を卒業する全ての学生は、AIに関するコアコースを少なくとも1つ履修するか、これらのツールに十分に触れる機会を持つべきだ」と強く主張しています。これは、将来の労働市場を見据えた人材育成という点で、日本にも当てはまる課題提起と言えるでしょう。
- 文化的に配慮されたAI: AIは学習データに含まれる偏りを反映してしまうことがあります。大学が主導することで、特定の文化や背景を持つ学生にとってより配慮された(Culturally Responsive)AIツールの開発・導入を進めることも期待されます。多様性を重視する現代において、考慮すべき点です。
アクセス提供が進まない背景(米国の課題)
米国の調査で、大学がアクセスを提供しない最大の障壁とされたのはコストでした。生成AIの利用には、プロンプト(指示)の量に応じて「トークン」と呼ばれる単位で課金されることが一般的ですが、その費用負担が導入のネックとなっています。ただし、専門家は、トークン単価は時間とともに大幅に低下しており、オープンソースの大規模言語モデル(LLM)も増えているため、コスト効率の良い選択肢は増えていると指摘しています。日本国内でも、導入コストは大きな検討事項となるでしょう。
コスト以外では、倫理的な懸念(不正利用や学術的不誠実への懸念)、データプライバシーやセキュリティへの懸念が挙げられています。また、「必要性を感じない」「導入・管理に必要な技術的専門知識が不足している」という回答もありました。これらの懸念は、日本においても共通する可能性があります。
大学の取り組みと課題(米国の動向)
アクセスを提供している米国の大学の形態は様々です。全学的なライセンス(特に公立大学に多い)、特定のプログラムや学部限定での提供(私立非営利大学に見られる)、独自開発のカスタムツールの提供などがあります。費用は、中央のIT予算で賄われるケースが半数を占め、次いで「費用は発生していない」(ベンダーとのパートナーシップなど)、個別の学部予算、となっています。学生に費用が転嫁されるケースはほとんどありませんでした。
しかし、アクセスを提供している大学でも課題はあります。アリゾナ州立大学のように、利用状況を詳細に追跡し、消費ベースのモデリング(Consumption-based modeling)によってコスト効率とニーズ充足のバランスを取ろうとしている例もあります。つまり、全ての学生に最高レベルの機能を提供するのではなく、必要とする学生に必要なレベルのツールを提供する、という考え方です。これは、限られた予算の中で効果を最大化するための現実的なアプローチとして参考になります。
さらに、米国のEducauseの調査では、学生の半数以上が「ほとんどまたは全ての教員が生成AIの使用を禁止している」と回答しており、大学の方針と教育現場の対応にギャップがあることも示唆されています。日本でも、教員間でのAIに対する認識や対応の違いは、導入を進める上での課題となり得ます。
また、記事では、AIモデル開発で大学の知見から恩恵を受けている大手テック企業に対し、大学への無料アクセス提供などでもっと貢献すべきだという意見も紹介されています。これは、産学連携のあり方を考える上で、日本でも議論の余地があるかもしれません。
まとめ
本稿では、米国の高等教育機関における生成AIツールの学生アクセスに関する調査結果と、それに伴う課題について解説しました。調査からは、米国の半数の大学が学生へのアクセスを提供しておらず、その主な理由がコストであることが明らかになりました。
この米国の状況は、対岸の出来事ではありません。セキュリティ、プライバシー、より高度な機能へのアクセス、AIリテラシー、デジタルエクイティといった観点から、大学が主体的にアクセスを提供することの重要性は、日本においても同様に増していくと考えられます。AI活用能力が将来のキャリアに不可欠となる中、国内の大学においても、学生間での「デジタル格差」を生じさせないための対策は、学生の将来や社会全体の競争力に影響を与えかねない重要な課題です。
コストの壁は依然として存在しますが、技術の進歩による低コスト化も進んでいます。日本の各大学が、米国の事例も参考にしながら現状を認識し、コスト効率の良い方法を模索し、学生に必要なAIツールとリテラシー教育を提供していくことが求められます。また、教育現場でのAI活用に関する統一的なガイドラインの策定や、国内企業や研究機関との連携も、今後の重要な鍵となるでしょう。
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